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2021年10月(No.320)

 

北海道新聞の取材を受けました

院長 三好 彰

 

毎年、北海道の白老町学校健診でお世話になっている仙台藩元陣屋資料館々長の武永真さまを通じて、北海道新聞の取材を受けました。
 お話は、私の先祖で仙台藩の蝦夷地警備の責任者として現地に赴任された三好監物の人物像についてです。

取材当日、北海道新聞苫小牧支社の報道部長・中川大介さまとはウェブ上で面談しました。
 三好監物については、コミックコーナーにある「三好監物物語」を、ぜひご覧下さい。

さて、蝦夷地警備の責任者としてその能力を発揮した監物が、何故、最後は自害してしまったのか。
 監物の生きた時代、日本を含むアジア一帯は欧州列強による植民地拡大政策の真っただ中にありました。当時、鎖国体制を取っていた江戸幕府も、諸外国の開国要求の圧力にさらされていました。

外国とはこれまで通りに一切の交流を持たない!

いや、外国の文化を取り入れて国力を強めるべきだ!​​​​​​

そんな答えの見つからない議論が日々続けられました。
 ですが、弱腰の幕府に変わって政権を取ろうとする倒幕派と、体制維持を図る佐幕派との関係が悪化して武力闘争に発展するなど、混乱は加速するばかりでした。

仙台藩の内部でも意見は真っ二つに分かれる中、時代の潮流が倒幕派(新政府)にあることを肌で感じ、新政府側に帰順すべきと進言します。
 そのため、身内であった佐幕派から弾劾される事態となり、監物は武士のケジメとして地元・藤沢町黄海で割腹します。

その僅か一カ月後、仙台藩は新政府に降伏しました。

そして日本は新たな体制で国造りが推し進められ、近代化の道を歩むことになります。
 新しい世界を見ることなくこの世を去った監物。
 優れた先見の明を持ち合わせていたが故に、悲劇的な最期を迎えてしまったのかと思うと、なんともやりきれない想いが込み上げてきます。

図01 2021-08-30 天然の要害 東蝦夷地警衛 のコピー

図02
 zoomでの取材光景です。

 

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白老の子どもたちからの感謝の寄せ書き(上写真)。
 健診は終了しましたが、いつも院長は白老の子どもたちのことを大切な思い出として大事にしています。

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