3443通信3443 News

2022年6月(No.328)

マスクアンケートシリーズ①
ノーサイドクリニック研修レポ

看護課 工藤 智香


はじめに
 2009年1月15日(木)から18日(日)の3日間にかけて、当院の工藤技師が東京都にありますノーサイドクリニックで研修させて頂きました。ここではノーサイドクリニック所長・田中美郷先生のご紹介と、研修の要旨をご案内させて頂きます。

全ての子供には無限の可能性がある!
 2008年9月、東京国際フォーラムで開催されたベターヒアリングフォーラム2008の講演で、院長の好きな「全ての子供には無限の可能性がある」という言葉を、田中先生は引用されておりました。
 これは、院長と田中先生の共通の師匠である信州大学の鈴木篤郎先生の教えでもあります。
 また、田中先生は同じく院長の恩師でもあります鈴木淳一先生の教室にも在職されていたことがあり、難聴に対する深い知識と熱意を持たれた先生です。

そんな田中先生が、難聴児を治療教育するにあたり、難聴は耳の働きに原因があることであり子供の能力に問題があるわけではないので、適切に教育することで言語を獲得し、社会的にも活躍できる人間に育てることができるはずです、とお話されています。
 それには、子育て・教育を他人任せにせず、親の責任のもと教育する必要があります。
 田中先生は、子育ては親の責任という原則に基づき、昭和43年から約40年にわたってホームトレーニングと称した治療教育を、信州大学・帝京大学そして田中先生自らが経営するノーサイドクリニック(東京都世田谷区)で実践されております(図1)。

図1
 図1

 

本クリニックでは、聴覚障害児をはじめとする、コミュニケーション障害児の検査・診察・治療に携わった経験を社会に還元すべく設立された、田中美郷教育研究所の治療教育を行うための施設です。

ノーサイドとは?
 ラグビーの試合終了を意味する言葉で、選手たちが試合の勝敗は別にして、再会を約束するシーンとしてスポーツファンに広く知られている言葉です。
 田中先生は、持てる者。持たざる者といったワンサイドからの視点で物事を考えるのではなく、その間の垣根を取り払いノーサイドの信念で診療にあたるという意味を込めて、ノーサイドクリニックと名付けられたのではないでしょうか。

ホームトレーニング~心の安定を目指して~
 最近では、出産後の段階で難聴をみつける装置が普及しており、症状の早期発見が可能となっていますが、親御さんのショックは計り知れないものがあります。
 ホームトレーニングでは、難聴の診断をうけた子どもの両親に対し、難聴・医療に関しての講義を行い、親の精神安定を図りながら子どもの聴力検査、補聴器装用指導などを行います。
 重要なことは、子供は発達のためのエネルギーを持っており、そのエネルギーを維持するには子供の情緒が安定することが必要不可欠になります。
 それには先ず、ショック後のご両親の情緒を安定させ、夫婦が協力して子育てを行う事が必要となります。

難聴とは、脳の発育を妨げる重要な問題
 子供が、言語を習得する過程で大事なのが豊かな実体験です。
 耳が聞こえない子供は、言葉という情報が認識できないため、内言語(言葉として発声する前の頭の中のいわば「つぶやき」)の発達が遅れてしまうという問題があり、それは、ただ単に言葉が聞き取れないということに収まりません。
 言葉が聞こえない、言いかえるならば、言葉という情報の刺激を受けることがなければ、考える・推察するなどの『思考力』が身に付かなくなるということになります。
 子どもにとって、親との会話やスキンシップは非常に重要な意味をもちます。それはコミュニケーションの刺激を五感で受け、心や脳を健全に育てる上で必要なことになりますので、難聴だからといって、いたずらに人工的な教材に頼って教えることは好ましいとは言えません。

教育とは導くことにあらず。引き出すことにあり
 
田中先生が、耳の聞こえの不自由な子供、難聴児を治療教育されるにあたり、教育とは『答えまでの道筋を教えるのではなく、子供自身が答えまでの道筋を選べるようにする』こと。
 それは様々な障害を持って生まれてきた子供たち、ここでは、生まれた時から耳の聞こえが悪い難聴児は、いまだ知識が蓄積されていない真っさらな状態であり、まさに『子供には無限の可能性がある』という言葉の通り、子供は結果までの道筋を独自に模索し、大人では思いつかないような発想を生み出すことが出来ること。
 我々は、その子の力を引き出す手伝いをすることが、重要であるとお話されています。
 研修当日も多くのご家族が訪れており、担当の先生たちと子ども達が、楽しげに授業をうけている様子がみてとれました。

研修1日目。ノーサイドクリニックにて難聴児の個人レッスン見学
 閑静な住宅街にノーサイドクリニックはあります。
 病院という雰囲気はまったく感じられない、とてもかわいらしい建物には『ノックして下さい』とかかれた掲示。そして可愛らしいノッカーがありました。
 ごく普通の一戸建てといった印象で、誰でも気軽に迎え入れてくれるような、そんな雰囲気が感じられます。到着早々、大きな荷持を抱えながら、やや緊張しつつ私はノッカーを鳴らしました。

 ——トントン

「ハーイ」という明るい声。

 中へ迎え入れて頂き、最初に目にしたのはスタッフの皆さんの素敵な笑顔でした。玄関ではアンパンマンとお正月ミッキー(図2)、そして、土の中で就寝中というカブトムシが迎えてくれました(図3)。丸まって眠っているのか、姿は見えずじまいでした……。

図2
 図2

図3
 図3


 扉を開けてすぐ、目に飛び込んで来たのは足元で楽しげに並んでいる大きなぬいぐるみや積み木、ブロックなどでした(図4、5)。

図4
 図4

図5
 図5


 さらに壁際はおもちゃ棚になっており、ぎっしりと無数のおもちゃが積まれていました。また、テレビゲームやお絵描き用の大きなホワイトボードがありました。子どもたちはお勉強(レッスン)が終わると目を輝かせ夢中になって遊んでいるようでした。見るからに明るく楽しげな空間で、クリニックとは思えないほどです。
 また、図鑑や絵本、ドリルなど本棚には本がたくさん並べられていました。特に写真や絵が豊富な図鑑や絵本は子ども達にとって言葉の数を増やし知識を育てるための大切な教材です。子どもの知りたいという気持ちを伸ばすことは言語の発達を促します。
 レッスンルームは10畳ほどの洋室です(図6)。
 田中先生のお部屋には、検査機器が揃えられており、必要があれば各種検査を行うことができるそうです。

図6
 図6


マンツーマンの個人レッスン
 
言語聴覚士(以下、先生)と難聴の子どもとその母親とのレッスンです(図7)。

図7
 図7


 先生と子供が向かい合って座り、お母さんが持ってきた宿題シートをみながらのスタートです。
 宿題シートはノーサイドクリニックならではの手法で、子どもでなくその母親に次回までの課題を『宿題シート』として手渡しているそうです。宿題シートの課題を日常の生活の場で実践し力としていくのです。
 宿題シートの内容は子ども達ひとりひとりの発達に合わせて作成するもので、実物はこちらです(図8)。

図08
 図8


 前回の宿題シートに今回先生が赤ペンで書き込んでいき、記録しています。それがカルテとして各種検査データと一緒に保管されています。検査や診察は基本的に、田中美郷先生が小児難聴外来を担当されている神尾記念病院で行われています。ノーサイドクリニックでも各種検査の設備は整っているので必要があれば可能だそうです。
 レッスンの回数は週に1回が最も多いそうですが、週2回や、2週間に1回などになる場合もあるそうです。原則的には2週間以上は間を開けずに行うそうです。

人工内耳とは?
 
人工内耳は、手術で内耳の蝸牛(耳の奥のカタツムリ状の器官)に細い電極を植え込み、聴神経を電気的に刺激し、それを脳に伝えて聴覚を取り戻すという画期的な医療です。
 耳にかけたマイクから音を拾って、スピーチプロセッサという機器で音を電気信号にかえ、内耳の電極に無線で送ります。
 補聴器がほとんど役に立たない100dB以上の重度難聴児に対して人工内耳が選ばれることがあります。
 大人になって失聴した人は多くの場合、人工内耳を装着して特別訓練を経なくても会話ができるようになります。しかし子どもの場合は事情が全く異なります。人工内耳は難聴を治す方法ではないので、装用後も機器を通して入って来る信号を言語として認識する言語指導をすることが大変重要です。

トップダウン方式
 ノーサイドクリニックで行われている人工内耳のトレーニング方法です。
 人工内耳の手術に先立って、補聴器活用に加えて幼児期の早期から手話を導入し、指文字も活用して先ず言語発達を促します。その上で人工内耳を装用させて言語と聴覚を脳の中で結びつけるという方式です。
 この方式により、人工内耳の手術年齢が3、4歳になっても決して遅くはありません。脳の中に豊かな言語が発達していると、それが聴覚と結びつくことにより、手術して1年前後で手話から聴覚口話に比較的急速に移行してきます。
 挨拶人工内耳を必要とする子供には2歳前から手話を導入して言語指導を進めます。このためには親は手話の勉強をはじめねばなりません。手話でコミュニケーションがスムーズに進むようになると情緒が安定し、言語獲得に導くことが容易になります。

「この子の手話はとても速くて私たちでもなかなか追いつけないことがあるんですよ」と、担当の先生は話しておられました。

 きっといろいろなことに興味があり、話したいこと伝えたいことが次々と飛び出してきているのだろうな。そんな印象を受けました。
 発声、発音を訓練中で、手話(指文字)をしながら声を出すよう指導されていました。

「あなたの将来の夢は何ですか?」

 そうきかれた男の子は、んー。と、考え込み「おまわりさん!」とこたえます。

「なぜ、おまわりさんになりたいの?」

 その質問に「夢でみたから!」と。
 どうやら将来の夢と夜寝ている時の夢の区別がついていないようです。
 先生曰く『将来の夢と夜寝ている時の夢、この2つの手話は同じなのです。だから少し混乱するかもしれないですね。』とのこと。とても可愛らしく微笑ましいエピソードでした。
 とても明るい笑顔の元気な男の子でした。お母さんお父さんも気さくで朗らかな方々で、撮影も快く引き受けてくださいました。

研修2日目、神尾記念病院にて小児難聴外来を見学
 2日目に見学をさせていただいたのは、ノーサイドクリニック連携施設である神尾記念病院です。神尾記念病院では週2回、田中美郷先生の小児難聴外来が行われています。
 こちらが診察室の様子です。明るい雰囲気の一室には、ノーサイドクリニックほどではありませんが子どもにストレスを与えないようにするため様々な工夫が施されていました。
 田中先生が行っているのは、子どもの発達やきこえの状態のチェックです(図9)。

図09
 図9

いくつかの絵が描いてある紙をみせ、まずはその絵の一つを差しそれが何であるかを子どもにポイントさせます。
絵はハト・金魚・茶碗・ネコ・スイカ・時計です。

 次に口を見せずに発話しその絵を選ばせます。
 それでもわからない場合は、口元をみせながら発話し同じように絵を選ばせます。口を見せずに発話し正解を選べた場合は、ささやき声で発話し同じように絵を選ばせます。
 このテストで遊びの要素を取り入れながら、子どもの言語発達やきこえの程度を確認することができるそうです。

例えば先生が『ハト』を指さした時、「ハト!」としっかり言える子どももいれば、「トリ」と答える子どももいます。「カラス」と言う子どもが多いようだと田中先生はおっしゃられていました。また、『金魚』を指差した場合「サカナ」とまず答える場合もあるようです。子どもの答えは多様ですがそれをみながら言葉発達の程度(語彙力)がわかるといいます。

親御さんにその難聴について説明するため、色々な音域の出るスピーカーを使い実際に子どもにきかせているところです。こちらのお子さんは高域急墜型難聴という比較的発見しにくい難聴の例で、このようなケースは発見が遅れてしまうことが多いと言います。

低音域はよくきこえているため、物音や話しかけられた言葉には反応するものの、高音域がきこえないため言葉の成分で言う子音部分がわからず話がきこえてもきき取れないのです。年齢を重ねていき、何度もききかえすことが多いと親御さんが感じたことから受診し検査を経て発見された例で、今後補聴器の装用を行うことになったようです。

現在、幼稚園へ通っているらしいのですが、言語発達の遅れがあることから一般の小学校へ通学するようになると徐々についていけなくなるため、補聴器を装用しての言葉の訓練が必要となるとの説明がありました。

親御さんは困惑しながらも真剣に耳を傾けているようでした。子どもの将来に関わる問題は親にとってショックな現実であり、避けて通れない難しい現実であると感じました。田中先生は一日も早く訓練をはじめる必要があります。今からなら間に合いますよと医師の立場から勇気づけるように話していらっしゃいました。

Peep Showテスト
 この検査は音が聞こえたらボタンを押し、窓の中に明かりがつきおもちゃがみえる仕組みです(図10)。
 田中先生と院長の共通の恩師である鈴木篤郎先生が開発された、幼児難聴の検査法です。

図10
 図10

 

これは子どもの反応を確認しながらの検査です。幼児の場合、音に対する反応なのか否かその判断が難しいため熟練した技術がないと正確な検査は難しいように感じました。子どもが幼ければ幼いほど、いかに短時間で正確な結果を得るか。それがこの検査のポイントであるようです。

研修3日目、ノーサイドクリニックにてホームトレーニングの見学
 3日目は土曜日に行われているホームトレーニングを見学させていただきました。
 ノーサイドクリニック2Fに設けられた会場で田中先生の講義がなされました。
 ホームトレーニングは田中先生が開発・確立された難聴乳幼児及び両親のための診断・治療プログラムです。全9回の田中先生の講義をきき、育児記録への個別アドバイスを受けます。ホームトレーニング終了後はノーサイドクリニックで個別の教育を開始します。ホームトレーニングのテーマは以下の通りです。

1.ホームトレーニングの哲学
2.難聴の種類ときこえの関係
3.オージオグラムの読み方
4.聴能訓練(聴覚学習)
5.補聴器
6.ことばの発達を促すには(言語指導)Ⅰ
7.ことばの発達を促すには(言語指導)Ⅱ
8.難聴の医学的問題
9.難聴児の学校教育と将来

テーマは繰り返し行われているそうです。
 家族が集まり講義をきく形態ですがこれにより一番期待されるのは親御さんの不安を解消し教育へのモチベーションを高めることだといいます。同じ境遇の子どもを持った親同士の交流によって、それぞれの親が抱えている精神的負担を和らげることを目的としている部分も大きいそうです。

研修最終日、ノーサイドクリニックにてグループレッスンの見学
 ノーサイドクリニック2Fの広間で、小学生の子ども達が集まり3時間ほどのレッスンが行われました。
 人工内耳や補聴器を装用中の子ども達が親の見守る中、グループで学習をするプログラムです。
 また、多人数で行う作業でコミュニケーションマナーや相手の気持ちを推測する力、社会性を育てるといった目的もあるそうです。加えて文章表現力をつけるという目的もあります。
 遊びの要素を存分に取り入れ、子どもたちが楽しみながら取り組めるような内容になっていました。

まとめ
 私は今まで、子どもたちと触れ合うことがあまりなかったということもあり、はじめはどこか探り探りでした。しかし、不思議なものでいつの間にか居心地の良ささえ感じるようになっていました。
 STの先生からは、

「子ども達は見学の人(同じ部屋にいる先生以外の大人)は一緒に遊んでくれるものだと思っているからよろしくね」と、あらかじめきかされていました。

 その言葉を絵に描いたような触れ合いが待っているとは思いもしませんでした。ノーサイドクリニックを訪れる子ども達は、親御さんも含め見学者が居ることにずい分と慣れている様子でした。その理由は一年を通して言語聴覚士の学生さん等の見学が絶えないからだろうと先生はおっしゃっておられました。

子ども達は慣れているという枠を越え、どんどんどんどん距離を縮めてきました。ほとんどの子ども達が眼を輝かせ近付いてきては、これで遊ぼう! もっともっと! そう言ってグイグイ私を引っ張るのです。難聴があることを微塵もまとわない元気なパワーに圧倒され、さらに振り回されつつ、気がつけば時計の針はズンズン進んでいきました。

子どもたちは補聴器や人工内耳をつけているとはいえ、健聴の子どもたちとなんら変わりないのです。ただ、その見た目ではわからない障害という部分での問題が生じてしまうのも現実です。これまで経験したことのない速度で世界がまわっている。そんな風に感じていたと思います。

戸惑っている暇をみつけられないほど、全てが新鮮で刺激的なひとときでした。難聴を負い目として隠すのではなく、明るく前向きに進んでいる姿はノーサイドクリニックの田中先生をはじめとするスタッフの皆さんの想いを鮮明に映しているようでもありました。この素晴らしい積み重ねの現実がもっと幅広く社会へ伝わり、私たちひとりひとりの意識が変われば、福祉の制度もさらによいものへと変わっていくのではないでしょうか。

大変印象的だったのは、コミュニケーションを本当に大切にしているということです。難聴児の家族とのコミュニケーション、特に母親との円滑なコミュニケーションは言語獲得や情緒の発達にとても重要だといいます。それを田中先生は経験的にご存じで、先生自身の哲学としても掲げていらっしゃいます。難聴児にとって、コミュニケーションは全ての原点なのです。

療育という言葉を田中先生はよくお使いになられていますが、今回私はまさに療育の現場を目の当りにしたのだと思います。一般的に、「療育」は発達障害のある子どもさんが、機能を高めるべく、かつ、社会的自立生活に向けて、援助することと位置づけられているそうです。
 子どもさんの発達に関わる全てに真摯に取り組む方々の熱意を強く感じました。

主任ST(言語聴覚士)である芦野先生の『子ども達そして親達の人生に責任があると思いながらやっています。』その言葉に大変感銘をうけました。同時に、聴覚が人間の発達や人格形成にとても大切なものであることを知りました。さらに、親子のコミュニケーションが子どもの発達を大きく左右するということを学びました。今後とも今回の貴重な体験をきっかけに、さらに知識と理解を深めていければと思います。
 このような機会をいただき本当にありがとうございました。

※本記事は、3443通信2009年4月号に掲載された内容の引用です。

[目次に戻る]