●エピソード1「床屋さんと瀉血」
床屋さんのお店の前に看板として立っているグルグル回るシンボルは、何色から成っているかご存じですか?
そう、赤・青・白ですね。
そしてこの3色は、それぞれ動脈・静脈・包帯を表現しているのだそうで、つまり昔は床屋さんが外科医を兼ねていた証拠なのだそうです。
かつて幕末に漢方医が主流だった時代の日本では、内科的な治療が正統であって(これを「ほんどう」と称していました)外科的な治療は異端視されました。けれども膿瘍など急性の化膿性炎症が多かった当時、外科的な治療手段は劇的に有効で、オランダなどから移入された西洋医学は近代医学の基礎となりました。
これを見ると、西洋医学では伝統的に外科系が優位であったかのように錯覚されますが、事実はそうではありません。17世紀のヨーロッパでは、幕末の日本と同じように内科医が医学の本流だったのです。
E.コンゼンツィウス編「ヨーハン・ディーツ親方自伝」(白水社)には、こう書いてあります。
”当時、学識ある医師はまだ外科手術を手がけなかった。医学は、大学で学問を修め病人に内科的治療をほどこすドクトルと、外科医の職務を果たした理髪師の二つに区分されていた。当時外科医はまだ大学で勉強しなかった。理髪師親方のもとで修業したのである。(略)それから親方候補職人は、最後は傷の手当てをする医師としての本格的な修業の道を、いくさと戦場とに求めた。軍医を日々新たな課題に直面させた戦争こそ、外科医にとって最上の学校だったからである。」
(そう言えば、「セヴィーリアの理髪師」の中にも、床屋のフィガロとは別にドクトル・バルトロという名前の内科医が出て来ますよね。)
こうした理由から、その時代の外科的治療や瀉血は床屋さんに任されており、名残が現在の床屋さんの看板だという訳です。
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