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嗅覚・味覚障害

味覚障害

味覚と一言で言うとき、実はいくつもの複雑な感覚の総合覚のことを、ひっくるめて考えています。例えば、夏の厚い盛りにざる蕎麦を味わう場合のことを、想像して見ましょう。蕎麦のざるとそば猪口が、私たちの目の前に供されます。まず感じるのは、蕎麦とそばつゆの冷たさ、つまり温度です。暑い夏の盛りにざる蕎麦を頂く、その最初の楽しみがこの冷たさであることを考えれば、温度が味覚を左右することは判ります。ついで頬張った蕎麦の、舌や頬の粘膜に与える快い圧迫感(深部知覚と呼ばれる感覚に関係しています)を感じます。

そう言えば、そもそも”頬張る”という言葉自体が、この感覚を見事に言い表わしています。空腹のときにはこの圧迫感だけでも、うまい、との感慨を覚えます。もちろん舌を滑る蕎麦の触覚も、味わいのうちです。そして蕎麦そのものの味、そばつゆの旨味のすばらしさは味覚それ自身です。蕎麦を、口に含んだ瞬間に感じる馨しさだって蕎麦の醍醐味ですが、これは前項での述べたように後鼻孔を通じた嗅覚のなせるわざです。そして、蕎麦を飲み込むときの”のどごし”の味わいと来たら、蕎麦好きには堪えられない楽しみです。この”のどごし”の味わいは、触覚、深部知覚、後鼻孔を通じた嗅覚、の複数の感覚です。

このように味覚は口腔全体で感じ取る感覚であり、その内訳も実に豊富です。ですから、例えば嗅覚の障害でも味わいが害なわれ、味覚がおかしくなったような気がします。これを風味障害と呼ぶことは、前項で触れました。医学的には、味覚を論ずる場合単純に味だけ、つまり甘味・塩味・酸味・苦味・旨味を対象とします。しかし味覚障害を論じるに際しては、味覚の持つ豊富な意味合いを念頭に置いておくべきです。医学的な味覚以外の障害でも、味覚全体が障害されたように感じることは多いからです。

一方、味と言うには感覚的に違和感があるかも知れませんが、医学的に味覚障害を検出するために、電気味覚という現象を利用することがあります。これは、口腔粘膜に直流電気刺激を加えると、釘を舐めたような感覚が生じます。この原理を使って、電流の微妙な強弱の差が判るかどうか、感じ方に異常が無いか、部位によって違いが無いか、を検出する方法のことです。味覚という感覚の幅広さを裏付けるエピソードとして、ご紹介しておきます。

なお味覚は狭い意味でも、口腔全体で感じ取る感覚です。つまり味覚は3種類もの異なる神経によって支配されており、舌表面・゛舌の奥・軟口蓋(口腔内の天井部分)表面、即ち口腔全体で感じ取るのです。

ところで味覚は嗅覚と並んで、”生命に近い感覚”と呼ばれます。それと関連してか、人生の有り様を味覚で形容することが、時にあります。青春は甘酸っぱいものですし、若い人間は考え方が甘い訳です。つらい思い出は辛く、塩味に塗れていますし、苦いことさえ多いものです。また、人生が思い通りに行かぬことを知り諦観を憶えると、その渋味を理解するようになります。

このような絶妙な比喩も、味覚が嗅覚とはまた違った意味で、”生命に近い感覚”であることから、生じているように思われます。もしかすると人間は、人生をも”味わう”ことによって、初めてその本当の価値を知るのかも知れません。

ところで視覚や聴覚は大脳皮質において、検知(何か見える、何か聞こえる、ということが判るとの意味です)に関わる領野と、認知(見えているものが何なのか判別できる、聞こえているのが何なのか判定できる、という意味です)とに携わる領野とが異なります。従って脳卒中(脳血管傷害)などで大脳皮質が傷害されると、物は見えるがそれが何なのか判らない、音は聞こえるけれどもどういう音か判別できない、といった現象が見られたりします。

それに対し嗅覚や味覚は、検知・認知の領野が別なのかあるいは分化していないのか、良く判っていませんでした。そこで私は、味覚障害について中枢神経疾患との関連を研究しました。嗅覚障害については、残念ながら機会が無く、検討できませんでした。

多数の中枢神経疾患について様々の検索を試みていますが、今回の対象は視床の脳疾患7例です。なぜなら大脳皮質に行く味覚の神経繊維は、その直前に視床と呼ばれる脳の一部を全て通過しています。従って、ここの疾患で味覚障害が生じればその障害の性質は、大脳皮質のそれを代弁していることになります。私のこの研究で対象となった視床疾患は、脳腫瘍の5例と血管障害2例でした。

すると興味深いことに、脳腫瘍5例中の2例と血管障害2例において、甘味・塩味・酸味・苦味に関する検査で「味のすることは判るが、何の味か判定できない」との回答が得られました。これは、味覚の検知は可能だが認知はできない、という意味です。つまり、味覚においても視床の障害では検知域値と認知域値とは異なる訳です。そしてそれはとりもなおさず、大脳皮質で味覚の検知領野と認知領野とが分かれていることを、指し示しています。味覚も、視覚や聴覚と同様の神経支配形式をとっていることが、世界で初めて立証されたのです。

こういった特殊な味覚障害はともかく、一般に多く見られる味覚障害は、血清亜鉛の低下によるものです。血清亜鉛の低下には、特発性と呼ばれる原因不明のものもありますが、ほとんどは亜鉛の摂取不足か過剰排泄によっています。

摂取不足というのは、例えばお年寄りで食が細くなった方などで、栄養が偏りがちの場合に発生します。また過剰排泄とは、薬剤性味覚障害の背景に良く存在するのですが、内服したある腫の薬剤が体外に排泄される際に、亜鉛と結合したまま一緒に体から出てしまう。そのために、体内の亜鉛が不足してしまう。そんな現象を言います。これらのうち薬剤性味覚障害は、最近とくに多く報告されるようになって来ました。

その治療として当然亜鉛の補充が必要ですが、現在亜鉛の内服補充には硫酸亜鉛が使用されています。薬剤性味覚障害の場合には、それと共に原因となる薬剤を中止して頂く必要があります。けれども障害の原因となる薬剤は、多岐にわたります。心当たりの方は、一度主治医にてご相談ください。

嗅覚障害のとき同様、デプレッションでは味覚も障害されます。生命の維持が困難になる、という訳です。それにしても味覚の傷害された人生は、正に”味気ない”ものでしょうね。

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