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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

 

公衆衛生情報みやぎ 〜世界の花粉症調査(3)〜

三好 彰
三好耳鼻咽喉科クリニック
南京医科大学国際鼻アレルギーセンター


この原稿を書いている3月半ばの仙台では、スギ花粉症が猛威を振るっています。あまりの流行ぶりに、花粉症は日本心の国民病だとさえ騒がれます。

けれどもスギなどの花粉によるアレルギーつまり花粉症は、日本特有のものでしょうか。それに、戦前は見られなかった花粉症が近年こんなに増加したのには、いったいどんな訳があるのでしょう。

ここでは私たちの疫学調査のデータを核にして、さまざまの文献から花粉症のルーツに迫って見ます。


図1:各国の森林面積率と土地の利用率
英国では牧草地が多く、日本では森林が多い


写真2:サフォーク州の牧草地にて
子どもの背丈ほどの牧草ロールが
あちこちで観察される

日本人の国民病・花粉症のそもそものルーツは、実は英国にあります。19世紀始め頃、英国の農民が牧草を刈り取って乾燥のためにサイロに収納する際、人によっては鼻からのどにかけて焼け付くような痛みとかゆみが生じ、くしゃみ、鼻みず、鼻詰まりと涙の止まらなくなることがありました。そしてこの症状を、当時一般的に「枯草熱」と称していました。それを医学的に初めて報告したのは英国の学者ボストークで、同じく英国のブラックレーは枯草熱がイネ科植物の花粉に起因していることを明らかにしました。

こうして枯草熱は「花粉症」と呼ばれるようになり、のちに花粉によるアレルギー反応であることが判明します。もちろん当時まだアレルギーという概念は存在しませんでしたから、その本態が理解されるまでしばらく時間が必要でした。

こうした英国における花粉症は牧草であるイネ科、ことにカモガヤによるアレルギーでした。英国には牧草地が多く、花粉症の原因であるカモガヤが繁殖し易いのです。

事実、英国の牧草地の面積は国土全体の45%にも達していて、これは世界最大と言われます。それに対して英国の森林の面積は、国土の9%に過ぎません(図1、写真2)。現在の英国には、アーサー王を育てた妖精マリーンの潜むオークの森林や、ロビンフッドの住んでいるシャーウッドの森は見られないのです。

それでは、なぜ英国では19世紀初頭に牧草地がそんなに広大になっていたのでしょう。

英国が七つの海を制覇し大英帝国の名をほしいままにしたにしたのは、1588年のスペイン無敵艦隊撃破以来のことでした。そのとき英国海軍は、圧倒的な勢力であったスペイン艦隊に舷側の砲門を使った新戦法で挑み、折からの暴風雨の助けもあってスペイン艦隊を撃退しました。

その後の英国の世界への飛躍には、他のヨーロッパ諸国が政治的不安定により海外進出を図れなかったことが利していました。それに加えて、他のヨーロッパ諸国では海軍を編成するための木材が不足するようになっていたことも、大きな原因となっていたようです。

英国でも実は、軍艦製造などさまざまの目的からオーク材が切り出されて、16世紀には「森林の消滅」と称される生態学的危機に見舞われていました。なにしろ大きな軍艦を1隻作るためには、樹齢百年以上のオークの巨木が2000本は必要だったそうですから。

事実1666年のロンドン大火は、その時代には1マイル四方の面積しか無かったロンドンの中心街「シティ」をほぼ完焼しましたが、この再建には火災対策もあって石材の家屋が用いられました。いかに法令により石材の使用が義務づけられていたにせよ、ロンドン全体が石作りの街になってしまったのですから、背景ではどんなに木材の枯渇が深刻だったのか、容易に想像できます。

ほぼ同時期(1657)、木材の豊富な江戸で発生した「明暦の大火」では、たちまちにして以前と同じ木造の家が立ち並びましたし、そもそもロンドンでは住宅に関する政府の建築制限など、それまで守られたことはあまり無かったのですから。 ともあれこのロンドン大火によって、それまでロンドンの家造りの主流だったオーク材と漆喰造りの家屋は、ほとんど見られなくなりました。現在こうした造りの建築物はわずかに、シェークスピアで有名なグローブ座などに遺されるのみです。なお付け加えるならばこのグローブ座は、当時の様子そのままに再建されたものです。

そして英国は、1708年に開発されたコークスによる製鉄技術などいわゆる産業革命を迎えなければ、軍艦を製造する材料の欠如やそれを動かす燃料の不足のために、海軍力を保持できなかったといわれます。つまり七つの海で大英帝国が覇を唱えることができた最大の理由は、産業革命と称される工業化の促進にあったのです。

なお、産業革命以前に英国中からオーク材が切り出されて森林の消滅した跡は、牧草地となりました。比較のために付け加えると、英国に先駆けて世界の海を制覇した国々、例えばギリシャやローマでは森林の切り倒された跡はハゲ地となっています。こうした地域の乾燥した気候では、緑は再生しないのです。

それに較べると英国など西ヨーロッパは、牧草などの生育に適したやや湿潤な気候で、伐採の跡には牧草が生えて来ます。英国で森林が消滅し牧草地が増えたことは、そのままアレルゲンとしてのカモガヤの繁殖につながり、人体においては花粉症の激増となって表われます。つまり19世紀初頭の英国において、花粉症のルーツであるカモガヤへのアレルギー「枯草熱」が世界で初めて発見されたのは、決して偶然ではなかったのです。


図2:スギ林の造林面積の年次推移と花粉発生の盛んな林齢31年以上のスギ林の面積

ところで前回も触れたように日本では、スギ花粉症が1980年前後から増加し、1979年には社会問題となります。一般的にスギは、樹齢30年前後から大量に花粉を飛散させるようになります。これも前回ご説明したように、戦後復興のために伐採されつくした全国の森林を、治山や治水などの目的もあって再建しようとスギの植樹されたのは1950年代です(図2)。ですから、植林後30年を経過する1980年頃に日本全国のスギは、一斉に花粉を飛ばすようになります。

スギの植林と治水の効果に関して、次のようなエピソードが知られています。

スギ花粉症の多発する関東平野を流れる利根川は、戦後しばらく悲惨な水害をたびたびもたらしました。群馬県林務部の資料によると、終戦直後の赤城山は樹齢わずか数年の広葉樹がほとんどで、樹木の生えていない場所も1割ほどありました。その当時の赤城山は、春先には全山がツツジの赤に染まったと聞きます。それは、ツツジの赤を遮るほどの大きな木が存在しないからであったといわれます。このため、1947年のキャサリン台風の際には、赤城山と榛名山に降ったそれぞれ約 400ミリの豪雨によって、大被害が発生しています。赤城山では山津波が生じ、土砂が利根川に流入しました。このため下流の埼玉県大利根町では堤防が決壊し、埼玉県東部一体が水没しただけでなく、東京都内だけで38万人の被災者を出しました。これに対して1981年の台風15号の際には、榛名山で 590ミリもの豪雨に見舞われたのに、被害は発生しませんでした。これは戦後の植林のおかげといえます。

井岡山に始まる中国共産党の長征コース
図3:井岡山に始まる中国共産党の長征コース
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このエピソードは関東平野でのことですが、日本の至るところで同じような状況が見られたに違いありません。

現在の赤城山と榛名山は、樹齢30年以上のスギやヒノキに覆われています。こうしたスギやヒノキは戦後水害に悩まされた地域住民の、治山や治水の努力の結実なのです。これらの木々がアレルゲンである花粉を大量に飛散させながらも、利根川の氾濫から流域や都内の人々を守っている訳です。国内のあちこちで観察されるこうした光景が、大洪水の被害と引き替えに「国民病」のスギ花粉症をもたらしました。

こうした経緯はどうでしょう、英国における世界初の花粉症出現の経過と、実に良く似ていると思いませんか。

ところで英国における世界初の花粉症出現、日本におけるスギ花粉症激増の経緯と似たようなことを、人類はまた繰り返しているようです。その現場は、日本のお隣の国、中国です。このシリーズの最初に記した中国のスギ花粉症が、やはり増加しつつあるのです。

中国でも、19世紀の英国や戦後の日本のように、国中の木々をほとんど切り倒してしまいそうになった時期がありました。それは1958年の大躍進運動のときです。 毛沢東の号令一下、先進国に肩を並べるべく粗鋼の生産量を上げようと中国全体が狂奔状態となり、全土の木々は燃料として燃やし尽くされたのです。その有様はノンフィクション小説「ワイルド・スワン」にも書いてありますが、中国の山々は結果的にほとんどハゲ山となってしまったのです。当然の帰結として、戦後の日本のように中国でも治山や治水が問題となります。1998年に、当時の江沢民首席が人民解放軍を指揮して大洪水に立ち向かった姿が、新華通信社を通じて日本の新聞にも掲載されましたが、こうした長江の氾濫も大躍進運動の名残といえないことはないでしょう。 治山や治水の目的で、中国でも日本と同じようにハゲ山に木々を植えました。その植林のときに、他の多くの木々とともにスギも大量に植樹された形跡があります。中国ではなぜ、植林すべき木々の中にスギを加えたのでしょう。

写真4:市民がスギ林の下で太極拳に励む
写真5:杉林の前にある毛沢東の住居

私たちは、中国共産党が国民党に対抗して立て篭もった革命揺籃の地である井岡山(図3)の光景を見たときに、そのなぞが解けたような気がしました。なぜなら井岡山は、全山がスギに覆われていたからです。町中では、市民がスギ林の下で太極拳に励んでいます(写真4)そして当時の毛沢東の寓居も、スギ林の前に建っていました(写真5)。もしかすると、毛沢東と一緒に革命を戦った若かりし共産党幹部たちの脳裏には、植樹と聞いたときに懐かしいスギの木が思い浮かんだのかも知れません。インプリンティング(すり込み)とか称して。

 

 

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