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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

小国町におけるアレルギー予防の試み、特にスギ花粉症について

ヒアリング・インターナショナルについて
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鈴木:三好君のお蔭で大変貴重なお話、ありがとうございました。勉強になりました。知らないことばかりおっしゃいます。私はほんの4、5分ちょっと。

前置きとしては、耳鼻科の人も多くいらっしゃると思うんですが、いろんな障害がございますね。目が見えないとか、四肢が調子悪いとか、ちょっと頭がおかしいとか、耳が聴こえない。そのなかで耳が聴こえないというのがいちばん皆さんの同情を惹いてないんです。世界中同じでございます。その大きな理由は、難聴の人が街でもシャーシャー歩いていますし、それから自分の好きなことをボンボン言ったりするので、彼らが別に困っていることはないだろうというようなことで、政府の支援もないし大きな企業のサポートもないし、これは日本だけじゃないんですよ。特別な例外の北欧の2、3の国を除いて世界中。そういうことが分かりまして、それが前置きになるんですが。

グローバル・イヤ・ヘルスケアと呼んでいます。それがスタートしたのがこれが聴覚医学会、これが提案したんですね。これが国際耳鼻咽喉科学会連合と言います。これがWHOですね。これが1984年にそういうことを言い出して、そのときにスタートして、私はその頃から関係してきてるんですが、ですから大体20年ですね。それでつくづく思ったのは、社会の同情がないなということなんですね。難聴者を支援、お手元にこういうパンフレットいってると思うんですが、あとで読んでいただければもう話はそれで終りなんですが、ここにありますようにバンコクにセンターが出来て、それからWHOも大分協力して、ヒヤリング・インターナショナルが1992年に出来て、そのときにヒヤリング・インターナショナル・ジャパン、これが私たちの…。私は両方に関係してるんですが、それで今日に至って、いま1995年から、それまではアジアあるいは世界を相手にしていたんですけれども、インドネシアに集中しております。

あとちょっと時間があれば絵をお見せしたいと思っていますが、そういうことがあってここに政府の支援を、あるいはJICAの支援、あるいはロータリークラブの支援その他もらいましたけど、今また日本の経済が難しいというので非常に困難になってますね。あと1年半JICAとパートナーシップを組んでやるというようなことになってます。次のをお願いします。

この本ですね、なんと訳すかというと、hearing impairment、難聴ですね、聴力障害。これにinvisible disability と書いてあります。disabilityは彼らが持っているのだけれども、どんなdisabilityかというのはよく分からない。私は耳鼻科の医者なんですけれども、こういうことを始めるまではそんなに難聴者が大変だということ、気がつきませんでしたねえ。それで難聴でやっていけるかというようなことがこの本に書いてあるんです。インドネシアのジョグジャカルタというところがあります。ジャカルタの前の首府ですね。ここである会をもったときに7歳の聾の子どもが先生と一緒にやってきまして、そしたら素晴らしい絵を書いてるんですよ。その素晴らしい絵を私は買い求めてきたんですが、この本を出した理由というのは、難聴者を理解して欲しい。これは素人の方のために書いたんですね。皆さん買っていただくといいと思うんですが、私はこれを大体20年やっているものですから世界各国に知り合いがたくさんいるんですよ。1人で書いたって…、実は小さな本をわれわれが2人で書いたんですが、それを翻訳してみても始まらない。それで小林武夫君と2人で難聴の本を書いたら、それを英訳したらどうかという人がいたんですけど。本屋をすぐ調べまして、アメリカには非常に著名な人が書いたそういう素人相手の、難聴を理解するための本というのが8冊あるんです。ということが分かって、ヨーロッパには2冊ぐらいありますね。日本には勿論、小さな本はあるんですがそれを翻訳しても始まらないんじゃないかという話になって、これはスプリンガーという会社ですけど、で、それじゃあどうしようかということで話が駄目になりそうだったんですけれども。世界中の友達に手紙を書きましたら、年とって書けないという人は数名いたのですけど、ほかの人はみんな書いてよこして、予定が300ページだったんですけど600ページになってしまった。本屋はちょっとうれしい悲鳴になっちゃったんですが、600ページの本が出ております。

今、アチェで大地震があったわけですけども、われわれはあちらこちらに、ジャカルタですね、これが申し上げましたジョグジャカルタ、この辺はバリ島です。これはパダン、メダン、パレンバンとかサマリンダ、これはマナドというところです。そういうところにあと1年半でもっとセンターを作ろうということで、今申し上げたのは大体もうセンターが出来ているんです。そんなことで、足が調子悪いんですけどもまた3月に出かけていくんです。

それは消していただいて、写真をあと2、3分。ここにありますように1985年から2003年と書いてありますけれども今日まで。はい、どうぞ。

これがさっきの世界耳鼻咽喉科会議の1987年ですね。この方がベルギーのマルケという方なんですが、もう亡くなってしまったんですけど、このプロジェクトを立ち上げた1人でございます。次、お願いします。

これがバンコクのセンターが出来あがったとき、1985年、スティツラーさん、今この方が会長をしてますね。もう1人この方が重要な人で、スウェーデンのトーレ・ルンドボルグというこの人も立ち上げた人、これはさきほど申し上げたマルケさんですね。ここに立木先生がおられますね。次お願いします。

これがクラウン・プリンセス・シリンドンという非常に評判のいい王女の1人なんですね。この方は、僕らが、バースデイのときにお祝いを持って行った。というのはわれわれが始める大分前から難聴者を助けることをやっておられたんですね。次お願いします。

これが、IFOSの集まりがあって、それでヒヤリング・インターナショナルをスタートさせようという話し合いが出来たわけです。これは関係者ですね。このアル・カプアというインド出身のアメリカ人ですけど、この人が最初のプレジデントになりました。それは1992年。次お願いします。

これはジャカルタでセンターが出来たんですね。これはヘンダルロさんで、今も一緒にプロジェクトをやってるわけです。この人はインドネシアにたくさんの聾学校、あるいは speech therapy の学校なんかを作っています。ほとんど全部に関係しているんですね。次お願いします。

これは1992年のWHOで、今もうちょっといろんな施設が出来ています。WHOをお見せしている理由は、難聴者を専門にする人は1人もいないんです。これはもうたまげたですね。眼科の人、たった1人です。だけどそれはちゃんとしたポジションを持っております。難聴はいなくて、あといろいろな感染症はたくさんいるんですよね、人が。それはご存知だと思いますが、4千人余りの人の中で、いま難聴でボランティアが1人われわれが送りこんでいる人がおります。そんな状況は少し改めなきゃいかんと思うんですが、なかなか力が…。次お願いします。

東京のロータリークラブの方で、ロータリーが六年間ずっと助けてくれました。今でもいろんな形で助けてくれます。次お願いします。

これが1992年、ジャカルタのオープニングのときの状況ですね。さっき玄関が出ましたけど、それの中。

もう1枚、ちょっと先を、もひとつ先。これがその眼科の唯一の人です。この人がわれわれが送りこんでるイギリスの人なんです。小児科の先生ですね。この人は一生懸命やってますけど、やはり耳のことの専門家ではないということですよね。それからポジションがないんです。これはなんともしょうがないですね。

終えたいと思います。どうもご静聴ありがとうございました。

なにか質問があったらいつでも…、今でなくてね。

―――― 拍手 ――――。

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