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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

出版記念パーティのご挨拶
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今野皆さん今晩は。三好先生は、きょうはこのような耳鼻咽喉科の病気の解説集の、8冊目ですかもう、出版されたということで、その記念パーティ大変おめでとうございます。

三好先生とはじめてお会いしてからかれこれもう30年以上経つんですけれども、最初お会いしたときのことを今でもついこの間のように覚えております。三好先生、ちょうど岩手医科大学を卒業されて東北大学の医学部に入られて数ヶ月経って、ある日、われわれのところ、その頃私は秋田大学にいたんですけども、夏休みの一週間あるから先生のところで一緒に過ごさせてくれないかというんですね。その頃東北大学というのは耳の研究で大変優れた研究をなさってて、われわれのところは今でこそ睡眠時無呼吸症候群という名前は誰でも知るようになったんですけど、あの頃はそれに興味持ってるのはわれわれぐらいで、睡眠時無呼吸症候群とか、東北地方ではまだ興味を持たれていなかったアレルギーの研究だとか、頭頚部の癌の治療とか、そのころの東北大学とはかなり違った仕事をやっていて、それを見に来たいということだったんですね。その当時ひとつの大学の臨床の教室に身をおくと、他の教室に入ったばっかりで他の教室に行ってそこでなにやってるか見てくるなんていうのはとても考えられない状態だったんですけれども、1週間近くわれわれと一緒に過ごして、患者さん一緒に診たり実験を一緒に手伝ってもらったりして、実験室の様子をビデオとかで撮って、すごい人だなあと思って、いったい10年経ったらどういう人になるだろうと思って別れたんですけれども。そのころ四駆のジープかなんかに乗ってきて、大きいテープレコーダなんか持ってきて。それだけでもう田舎で過ごしてる僕にはびっくりしてしまったんですけれども、10年経ったらこの人いったいどうなるのかと思ったんですが。5年ぐらい経ったら三好病院を継ぐということで、わが三好先生も普通の人に、普通の耳鼻科医になって、普通の耳鼻科医というのは日中は一生懸命患者さんのケアをして土曜日になったらばゴルフでもしてストレスを解消して、そういう生涯を送るのかと思ったらそうじゃなく、さすがに三好先生違うんですね。どのぐらい経ったのか、卒業して10年ぐらい経ったらば、北海道でアレルギーの検診を始めた。何年か経ったら今度は北海道じゃなくて、中国で検診業務を始めて、そして学会で発表するようになりました。先生の今までの流れを見てみますと、アレルギーという病気や花粉症が非常に増えたということが大分前から問題にされてますけども、その増えた原因がなんなのか、それを知りたいということと、最近の仕事を見てますと、そのアレルギーが増えるのをなんとか小さいうちにできないか、そこらへんが大きな流れとしてあるような気がするんですね。かねがねアレルギーがなんで増えてきたんだと研究しようと思ったらば、すでにアレルギーが発症している地域で疫学調査をやってもなかなか無理なんで、まだアレルギーという病気.があまりない地域に行って、何年かかけてアレルギーが増えてきたときにどういう背景があったのか、それをやる以外にないのかなと私も思ったんですけれども、先生さすが。最初あったときこの人途方もなく行動力のある人だなあと、ひとつの東北大学という古い大学に属しながら、われわれのような新設医大に見学に来るわけですからそれは途方もないことだなあと思ったんですけども、その行動力が十分にものすごく生かされて今日の三好先生になったんだろうと思います。

きょうのお話にもありましたように、小国町の検診にも関与しておりますし、それはアレルギーのちいちゃいうちになんとかすることによってアレルギーを根本から治せるんではなかろうかと、そこらへんが・・先生の夢があるのかなあという思いがいたします。これまで何十年か先生をつぶさに見てきてすごいなと思っているんですけれども、これからの10年間先生がどのように成長といいますか、どのように発展をしていくのか非常に興味をもって、また期待をもって見守らせていただきたいと思います。

これからのますますのご発展を期待しております。どうもありがとうございました。

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