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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集
 

ナポレオンと花粉症


図1

日本人の国民病と言われる花粉症。花粉症は別名「百年の恋も醒める病気」とのあだ名もあって悩ましい病気です。なぜなら、くしゃみ・鼻みず・鼻づまりに目が痒いあまりに掻きむしった目蓋が腫れ上がり、どんな美男・美女でも怪談もどきのご面相になってしまいます。とうてい「海よりも深く、山よりも高い」至高の愛など、語れそうにありません(図1)。

この興醒めな病気の花粉症は、国民病とは言いながらその原因がところによって異なります。

日本全般に多く見られるのはスギ花粉症ですが、関西ではヒノキ花粉症が多発します。北海道ではシラカバ花粉症ですし、東北の岩手県ではカモガヤ花粉症が目立ちます。

そう言えば欧米で花粉症と言うとき、原因花粉はスギではありません。

ヘイ・フィーバーと呼ばれる米国の花粉症はブタクサによるもの、英国のヘイ・フィーバーの原因はカモガヤです。

どうして地域によって花粉症の病態がこんなにも、違ってくるのでしょう。

その原因を探るとき、世界で初めて花粉症という病気の発見された英国の歴史が、われわれに考えるヒントを与えてくれます。

世界で初めての花粉症、それは19世紀初頭の英国で農民が牧草を刈り取って乾燥のためにサイロへ収納する際、出現しました。つまりそのとき、人によっては鼻からのどにかけて焼け付くような痛みと痒みが生じ、くしゃみ・鼻みず・鼻づまりの止まらなくなることが知られていました。

そして当時この症状は熱っぽくなることからか、枯草熱と呼ばれました。

後日この症状は牧草であるイネ科、ことにカモガヤによるアレルギーであることが判明しますが、当時は感染症の1種と考えられたみたいです。

なにしろ英国には牧草地が多く、花粉症の原因であるカモガヤが繁殖し易いのです。

図2

図2は、オックスフォードからケンブリッジへ向かう車の中から撮影したものですが、本当に英国には森林が少なく牧草地の広がっていることが理解できます。

それにしても英国にはたしか、ロビンフッドの住んでいたシャーウッドの森があったはずです。それにアーサー王の騎士たちが放浪した深い森林。そこには妖精マーリンなどの物の怪が、木陰に多数潜んでいたはずです。

それにしても英国にはたしか、ロビンフッドの住んでいたシャーウッドの森があったはずです。それにアーサー王の騎士たちが放浪した深い森林。そこには妖精マーリンなどの物の怪が、木陰に多数潜んでいたはずです。

そんな木々の追憶の中にある英国ですが、なぜか今では森林は国土全体の面積の9%にしか見られません。それどころか現在の英国は、国土の45%が牧草地と化しており、この広さは世界一と伝えられます。(図3)。

こんな広々とした牧草地には、英国の花粉症の原因であるカモガヤが、いたるところに繁殖しているのです。

そして毎年初夏には、それらを牧草として家畜に与えるべく、子どもの背丈ほどもあるロールに作成し、サイロの中へ保存するのです。当然この時期英国は国中がカモガヤの花粉で溢れんばかりです。

図4は私の娘の学校のあるサフォーク州の光景ですが、巨大なカモガヤ・ロールの至る所に転がっている様子が、良く見て取れると思います。

 
図3   図4
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娘の学校を訪問するには、空港でレンタ・カーを借りて学校までドライブするのですが、このシーズンに走っていると花粉がもうもうと舞い上がります。それを吸い込んだ人がどんな思いをするのか、容易に想像できるのです。

英国で世界初の花粉症が発見されたのは、決して偶然ではなかったと認識を新たにするわけです。

それにしても英国では、どうしてそんなにもカモガヤの繁殖する牧草地の面積が、広くなってしまったのでしょう。 

これをお読みの皆さんにはしかし、大英帝国の軍艦の建造に、一隻あたり樹齢百年以上のオークの大木が、二千本は必要だったという事実をお伝えするだけで十分かも知れません。

ギリシャ・ローマ・スペイン・ポルトガルと、世界の海を制覇していた国が没落するのには、共通の理由があります。

軍艦製造のために国内の木々を切り倒してしまい、新たな軍備が不可能となってしまうのです。

ですから英国の直前に海の覇者であったスペインなど、無敵艦隊が英国海軍により大敗すると、それ以降の大規模な艦隊編成が困難となり、英国に世界の海を譲り渡すことになります。

ついでに付け加えれば、スペインの無敵艦隊の戦法は昔ながらの肉弾戦、つまり船ごと敵船に突っ込み、戦闘員がなだれ込んで敵の人員を殲滅するそれだったのです。これに対して英国海軍の戦法は、舷側の砲門を活用して火力で戦う近代戦のやり方でした。この面でも、英国はスペインよりも優位に立っていたと形容することができそうです。

ともあれ木々を切り倒したその跡地は、ギリシャ・ローマのような乾燥した地域では草木の生えない荒地となります。それに対して湿潤な気候の西ヨーロッパでは、牧草が芽生えて来ます。

こうして軍備のための木材の供給が不安定だった国々に較べ、英国ははるかに恵まれていました。国内のオーク材はまだ消費され尽していませんでしたし、植民地だった北米からも、木材の搬入は可能だったのです。

これらの木材がどんなに英国を救ったか、それはナポレオン(図5)のためにオランダやポルトガルがヨーロッパから姿を消したあの時期、英国だけが国境を守り切ることができた事実を思い浮べても、容易に理解できます。

図6は長崎の出島ですが、世界中にオランダという国家がこの出島にしか存在しなかった時期があります。つまり1810年にオランダがフランスに併合され、1811年にはバダビアが英国の支配下に置かれます。そしてこの後、1815年に後述するような流れの中でネーデルランド大国が成立するまで、全世界でオランダ国旗が翻っていたのは、出島だけだったのです。つまりオランダはヨーロッパには存在しなかった、ということになります。

図5
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図6

 

ポルトガルにも、似たような事情が起こりました。

図7は、私がブラジルでアレルギー調査を実施したときの写真ですが、1つの教室を覗くとご覧のようにさまざまの混血の子供たちが、集まって来ます。これこそ、ナポレオンに駆逐されたポルトガルがブラジルのリオデジャネイロに首都を設けた折の名残、そのものなのです。そのときポルトガルからは白人が、奴隷としてアフリカの黒人を連れてブラジルへ移住し、現地住民と渾然一体となって生活しました。その結果混血が進み、白人の両親のもとにいかにも現地らしいこんがりと焦げた肌の子どもが生まれる、一見奇妙な現象が当たり前になったのです。 

ナポレオンがヨーロッパをほぼ支配下においたそんな時代の流れを、塞き止めたのはトラファルガー海戦でした。図8は、英国海軍を率いてナポレオンの海上支配の夢を断ち切ったネルソン提督の絵です。ネルソン提督はご覧のように、右腕がなかったそうです。

図7
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図8
 
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