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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

白老健診ミニコラム
毎年初夏に行っている、北海道白老町学校健診(今年は7月16・17日)をひかえ、
ここでは白老町に関するミニコラムをご紹介します。

仙台陣屋かわら版より 七月号

 院長が、白老町健診のさいにお伺いしている元陣屋資料館は、仙台藩の北海道警備の本陣跡にあり、ご先祖である三好監物像が建てられています。 その資料館が発行している情報誌・仙台陣屋かわら版(研究員・武永真さん編集)より、記事の紹介です。

陣屋人物史1 〜三好監物編〜

 みなさんは三好監物(本名・武三郎清房:1814〜1868年)という人物を知っていますか?当館に来られたことのある方なら、きっとご存知でしょう。展示室に入ってすぐのところにある3体の人形の内、向かって1番右に立っているのが、彼を象った人形です。 監物は仙台藩の侍で禄高は400石、藩内では中級の家柄でした。

  先祖は四国地方で力を振るった“阿波の三好家”、しかし、天正13(1585)年、織田信長に滅ぼされてしまいます。その後、京に逃れていた三好義元が、伊達政宗の家臣片倉小十郎に推挙され、仙台藩に召抱えられました。ちなみに、監物は義元から数えて10代目の子孫です。

  監物が北方警備のため、出入司兼公儀使として蝦夷地巡察を行ったのは安政2(1855)年6月。この結果、元陣屋の建設地を、幕府が指定する勇払(苫小牧)から、白老に変更すべきと報告し、認められました。2年後の安政4(1857)年には、2代目御備頭として白老元陣屋に着任しています。

  帰藩後は江戸に留学したり、藩主上洛に従い京都に上ったりと、活躍の場を与えられました。しかし、自分の信念を貫く言論で井伊直弼の怒りを買い一時幽閉されたことや、藩が勤王派と佐幕派に分かれた際には積極的に尊王攘夷を唱えるなど、藩内で多数派を占める佐幕派から疎んじられた不遇の時代もありました。そしてついには、戊辰戦争に及び「会津藩討伐の勅命を受け入れるべし」と主張したため、任を解かれ、藩内の勤王派粛清が行われる中、監物にも官軍との内通の疑いがおよび、従容として自決。時に明治元(1868)年8月15日、享年53歳でした。 辞世の句は

生き帰り死にかはりても

  国を思ふ赤き心の色は変らじ


「会津藩と幕府を見放した」とされる監物ですが、それは北方警備や江戸・京都で培った見識によって、「日本国のためには新体制による近代化しかない」という考えに至り、国を慮っての行動だったのでしょう。事実、岩倉具視など維新に携わった人々が監物の死を悼んでおり、その魂は多くの維新志士同様、靖国神社に合祀されています。 監物についてより詳しく知りたい人は、曾々孫にあたられ、仙台で耳鼻科医院を営まれる三好彰さんが、「三好監物物語」をマンガで出版されていますので、ぜひ読んでみてください。

インターネットで「3443」と検索し、三好耳鼻咽喉科クリニックHP内の
「まんが」コーナーで閲覧できます。

コミック(10)内にあります
「三好監物物語」です。
院長の医学コミック(10)
「笑顔で愛にこたえたい!」

関連リンク: 用語集 北海道白老町

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No.174
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