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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集
医師という隣人たち
国際保健のダイナミズムに惹かれ
訪れた途上国は60か国

 ファイザー製薬(株)発刊の『医師という隣人たち』より、國井修先生のご活躍について掲載された記事をご紹介致します。
國井 修
-Osamu Kunii-
東京大学大学院医学系研究科・
国際地域保健学(当時)
東京大学大学院、国際地域保健学講座。十数名の学生を前に熱弁をふるっているのは、國井修先生である。ふとしたジョークに、学生から「先生、若い!」の茶々が入る。学生たちと言えば・・・あまり若いとは言えない。それもそのはず。彼らは、すでに海外で国際協力の実体験を積んだ医師や看護婦たちなのだ。ネパールやミャンマーの政府から派遣された留学生も多い。地域保健医療の重要性を痛感し、より深く学びたいと考える人ばかりである。この講座が、和やかななかにも、ぴりりとした緊張感を秘めているのはそのためだ。
「アフリカの医者」になるのが 高校時代の夢だった

 國井先生は本来「フィールドの人間」である。現在も、大学院で教えるかたわら、アラル海の環境汚染問題やアフリカ難民の健康問題などの研究を続け、しばしば海外へ渡る。これまでに訪れた国は60か国以上。ほとんどが発展途上国だ。

 医者になろうと決意したのは小学生の頃だった。看護婦をしていた母親が、添い寝をしながらいろいろな話を聞かせてくれた。たとえば、医者からも家族からも見放され、首を吊って死んだ末期がん患者の話。子どもが寝物語に聞く話として適切だったかどうかはわからない。しかし、とにかく國井少年はこういう話を聞きながら育ち、「患者の身体だけでなく、心もいっしょに診てあげられる医者になりたい」と思ったのである。

 高校の頃には、シュバイツァーやリビングストンの伝記を夢中で読んだ。そして、自分も「アフリカの医者」になって、一生過ごしたいと考えた。キリンやライオンがいる広大な草原で、夕日をながめながら仕事をする。そんな生活にロマンを感じていた。

 自治医大に進学してまもなく、はじめての外国タイを訪れる。スラム街で暮らす人々が明るくて元気なのに驚いた。汚い格好で水質検査をしていたら、見知らぬ女性が水と焼き鳥を恵んでくれた。彼女の温かさに感激した。その頃、日本ではファミコンを買ってもらえずに自殺した小学生の話が世間をにぎわせていた。いったい、どちらが豊な生活なのか・・・。「貧しい国の人を助けたい」などと考えていた自分が傲慢に思えてきた。

 卒業後に診療所長として赴任した栃木県栗山村は、鬼怒川温泉の奥にある標高900mの村で、東京23区の3分の2ほどの面積に人口わずか3000人。「日本の僻地」だった。ここでも國井先生は、それまでの思い込みをくつがえされるような体験を重ねた。


1992年栃木県栗山村・学校健診にて
(左:小学生たち、中央:國井先生、右:院長)
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 患者が死にそうだという連絡を受けて往診に行くと、家のまわりには近所の人が大勢集まっている。家のなかでは、子や孫が「おばあちゃん、おばあちゃん」と声をかけながら、患者の手足をさすっている。親しい人々に見守られながらの死。これこそが「人間のあるべき死」ではないか・・・。日本もアフリカもない。

 医者のやることは、どこにいても同じ。目の前にやるべきことがあれば、それをやるだけだと思うようになった。

犠牲的精神でできることではない 楽しいから長続きしている

 やるべきことはいくらでもあった。在日外国人の医療問題に取り組み、支援ネットワークを組織。『15か国語診療対訳表』(医学書院)も作成した。阪神淡路大震災の翌日には現地入りし、紛争下のソマリアにも行った。そうした活動を通じて、國井先生の関心はしだいに臨床から、地域保健・公衆衛生へと移っていった。

 「肺炎の患者を治しても、栄養状態が悪ければ再発する。環境が悪ければ、すぐ別の病気にかかってしまう。地域全体の環境や衛生状態を改善しなければダメだと思ったんです」

 国際保健の分野は、勉強すればするほどおもしろく、ダイナミックだ。その地域の文化的、社会的な背景まで分析して問題を抽出し、解決法を考える。住民への健康教育はどうするか、予算はどこから調達し、どう配分するか、政治家や地域活動とはどう連携するか。世界の健康・保健の不公正とどう闘うか・・・。日本ではまだ新しい分野だが、それだけに課題がたくさんある。

國井先生は、院長の医学コミック(4)の主役として登場しています。

  こんな仕事をしていると、犠牲的精神から身を粉にして働いていると思われることも多い。しかし先生に言わせれば、楽しくなければやっていられない。

 「だって、自分が幸せでなければ、他人を幸せにすることなんかできないでしょ」性格的には切り替えの早いタイプだが、悲惨な状況にある子どもを見ると頭から離れない。自身も2人の息子をもつ父親だ。「代わってあげたい」と思い、涙が止まらないこともある。そういう胸の痛みを忘れたくはないと國井先生は言う。

 痛みがあってこそ、次に何をやるべきかを考え、実行する原動力となるからだ。

関連リンク: 用語集 國井Dr.
  用語集 医師という隣人たち
  3443通信 No.90 「医師という隣人たち」

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