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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集
 
森林の消失と花粉症増加
三好 彰(三好耳鼻咽喉科クリニック・院長)
耳喉頭頸 71(1):75-80,1999

図1 スギ林の造林面積の年次推移と花粉発生の盛んな林齢31年以上のスギ面積
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はじめに

 こんなに花粉症が増えたのはなぜか、という議論があります。その答として現在までいくつかの仮説が提唱されていますが、1つだけすごく確かなことがあります。それは、スギ花粉などアレルゲンとなる花粉の絶対量が増加したという事実です。

 考えてみると確かに、この世の中では総て原因が増えれば結果が増え、原因がなくなれば結果もなくなります。花粉症もこの世の絶対的法則に例外であるはずはなく、花粉が増えれば花粉症は増加し、花粉が飛ばなくなれば花粉症発作も起きなくなります。

 ここではそんな花粉症増加の原因となっている花粉の激増が、こともあろうに人為的な森林の消失を契機として生じた経緯について、日本と英国そして中国を例として書き記してみたいと思うのです。

日本における杉植林の背景

 日本において、スギ花粉症が激増し社会問題化したのは1979年のことでした。一般的に杉は、樹齢30 年を超えると花粉を大量に飛散させるようになります。第二次世界大戦後(以下、戦後と略)、復興のために伐採されつくした全国の森林を、治山や治水などの目的もあって再建しようと杉が植樹されたのは1950年代です(図1)〔1〕 。したがって、植樹後30 年を経過する1980年代に、日本国内の杉は一斉に花粉を飛ばすようになります。1979年以降の社会的スギ花粉症激増に、矛盾しない経緯と言えます。

  国土と治水そして杉植林との関係について、井上栄氏の著書〔2〕 に次のような内容の記載があります。
「水問題評論家の富山和子氏は前橋市の生まれで、毎年初夏になると赤城山をツツジの花がほんのりと赤い色に染める光景を覚えている。その頃利根川は毎年水害を引き起こしており、カスリン台風(1947年)の折には赤城山と榛名山に降った400ミリの雨によって、大被害が発生した。その時赤城山では山津波が生じ土砂が利根川に流入。下流の埼玉県栗橋近辺で堤防が決壊し、東京都内だけで被災者38 万人を出した。群馬県では死者・行方不明者699名だった。それに対し1981年の台風15 号では、榛名山で590ミリの雨が降ったにも関わらず、被害は起きなかった。戦争直後の赤城山の森林の状況は、群馬県林務部の資料によると木のないところが約1割。残りも上腹部に至るまで、ほとんどが樹齢5〜6年の広葉樹であった。初夏の赤城山がツツジで赤く染まったのは、他に大きな木がないからであった。現在、赤城山と榛名山は樹齢30 年以上の杉・檜に覆われている。それこそは水害後、地元の人たちが懸命に治山・砂防を重ねて来た結果だった。この森が花粉を撒き散らしながらも、約600ミリの雨を防いでいるのである」。

  このような治水そして木材としての有用性〔3〕 を目的として、戦後日本中の山々に杉が植樹されました。「♪これこれ杉の子起きなさい、お日さまニコニコ呼び掛けた〜♪」という「お山の杉の子」などの歌も、こうした光景をバックに歌われたものと思われます。

  そして図1に見るように、樹齢30 年を超えた杉の木が大変な量の花粉を撒き散らすようになり、治水の益を享受した日本人が同時にスギ花粉症に悩まされることになりました。

  確かにスギ花粉症は大洪水と違い死者こそ発生しませんが、「国民病」などと有り難くない名前をもらう結果ともなったわけです。

英国における枯草熱の発症


図2 各国の森林面積率と土地の利用率 英国では牧草地が多く、日本は森林が多い。
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 日本人の国民病・花粉症の、しかしそもそものルーツは英国にあります〔4〕 ・〔5〕 。

  19 世紀初め頃、英国の農民が牧草を刈り取って乾燥のためにサイロに収納する際、人によっては鼻からのどにかけて焼けつくような痛みと痒みが生じ、くしゃみ、鼻水、鼻詰まりと涙の止まらなくなることがありました。そして、この症状を当時一般的にheyfever(枯草熱)と称していました。それを医学的に初めて報告したのは英国のボストークで、同じく英国のブラックレーは枯草熱がイネ科の花粉に起因していることを明らかにしました。こうして枯草熱は花粉症と呼ばれるようになり、のちに花粉によるアレルギー反応であることが判明します。

  こうした英国における花粉症は牧草であるイネ科、ことにカモガヤによるアレルギーでした。そして英国では牧草地が多く(図2)〔1〕 、花粉症の原因であるカモガヤが繁植しやすいのです。

 それでは、なぜ英国では19 世紀初頭に牧草地がそんなに広大になっていたのでしょう。

 いくつかの文献〔1〕・〔6〕〜〔9〕 によると、その背景には次のような歴史が秘められているようです。

 英国が7つの海を制覇し大英帝国の名を欲しいままにしたのは、1588年のスペイン無敵艦隊撃破以来のことです。そのとき英国海軍は、ほぼ均しい勢力であったスペイン艦隊に舷側の砲門による攻撃という新戦法で挑み、折からの暴風雨の助けもあってスペイン艦隊を撃退しました。

 その後の英国の世界の海への飛躍には、他のヨーロッパ諸国が当時それぞれの国内での革命の気運に怯えて、海外進出を計れなかったことが利していました。それともう1つ、他のヨーロッパ諸国では海軍を編成するための木材が不足するようになったことも、大きな原因となっていたようです。

 英国でも実は、軍艦を造るためのオーク材が様々の目的から切り倒されて、16 世紀には「森林の消滅」と称される生態学的危機に見舞われていました。

  事実1666年のロンドン大火は、当時1マイル四方の面積しかなかったロンドンの中心街「シティ」をほぼ全焼しましたが、その再建には火災に対する対策として石材の家屋が用いられました。いかに法令により石材の使用が義務づけられていたにせよ、ロンドン全体が石造りの街になってしまったのですから、その背景にいかに深刻な木材の枯渇が存在したのか、容易に想像がつきます。ほぼ同時期(1657年)、木材の豊富な江戸で発生した「明暦の大火」ではたちまちにして以前と同じ木造の家が建ち並びましたし、そもそもロンドンでは住宅に関する政府の建築制限など、それまで守られたことはあまりなかったのですから。

 ともあれこのロンドン大火によって、それまでロンドンの家造りの主流だったオーク材と漆喰造りの家はほとんど見られなくなりました。現在こうした造りの建築物はわずかに、シェークスピアで有名なグローブ座などに残されるのみです。

 そして英国は、1706年に開発されたコークスによる製鉄技術などいわゆる産業革命を迎えなければ、軍艦を製造するための材料の欠如やそれを動かす燃料の不足のために、海軍力を保持できなかったといわれます。つまり7つの海で大英帝国が覇を唱えることができた最大の理由は、産業革命と称される工業化の促進にあったのです。

 なお、産業革命以前に英国中から切り出されたオークの、森林の消滅した跡は牧草地となりました。

 図2に見るように、現在の英国の森林面積は国土の9%に過ぎません。それに対し、森の消滅した跡にできた牧草地は国土全体の45 %にもなり、世界最高といわれます。

 その国土は、それでは英国に先駆け世界の海を制覇した国々、例えばギリシャやローマではどうなっているでしょう。

 和辻哲郎はその著書「風土」〔10〕 の中で、ギリシャの風景を「山は多く岩山で”峨峨(がが)”とか
”崔嵬(さいかい)”というごときことばによって形容せられるような形をしている」と表現していますが、要するにそこはハゲ山だらけとなっています。ギリシャやローマのような乾燥した気候では、森林の切り倒された跡には緑は生えてこないのです。

 それに対し英国など西ヨーロッパでは、牧草などの生育に適した気候で、伐採の跡には牧草が生えてきます。英国で森林が消滅し牧草地が増えたことは、そのままアレルゲンとしてのカモガヤの増殖に繋がり、人体においては花粉症の激増となって現れます。

 つまり、19 世紀初頭に英国で花粉症が発見されたのは、決して偶然ではなかったのです。

 それにしても図2を見ると、アレルゲンの絶対量とアレルギーの種類との関係がよく判るみたいで、興味をひかれます。森林(そのかなりの部分は杉)の多い日本ではスギ花粉症が生じ 牧草地の広い英国ではカモガヤ花粉症が発生しているのですから。

  やはり原因が増えれば結果が増え、原因がなくなれば結果もなくなるというこの世の法則は、花粉症にも見事に当てはまっているようです。

英国における私たちの研究

 話は逸れますが、私たちがなぜ英国の花粉症について調べているのか、少し触れたいと思います。

 私たちは以前からこのコラムでお話ししてきたように〔11〕・〔12〕 、アレルギーの発症にはアレルゲンの状態が密接に関連していること、そしてそれは人間のライフスタイルと無関係ではないことを主張してきました。

 そしてあるきっかけから、私たちと同じようにライフスタイルとアレルギーの相関について調べている研究者のいることを知りました〔13〕 。

 その研究者、つまり白川太郎先生はライフスタイルの研究からアレルギーの遺伝の研究〔14〕に入り、昨年の夏までオックスフォード大学遺伝疫学部門に在席していました。白川先生と私は、鼻アレルギーとライフスタイル、そして遺伝についての共同研究を進めているのです。この共同研究では、日本と中国そして英国の被験者に同一条件で鼻アレルギー疫学調査を実施する予定で、英国ではウェールズ大学生を対象に調査の準備をしています。

 ウェールズ大学を対象に選んだのは、白川先生が昨年の秋からウェールズ大学の助教授として赴任したからです。

 そんな事情から、私たちは英国の鼻アレルギーの歴史的背景にとても関心があるのです。

中国における花粉症の背景


図3 寧夏自治区泉七溝地区の花粉症の増加
(顧瑞金ら,1982)

図4 北京にて 左から2番目が顧瑞金教授

図5 柳杉の分布地域
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  私たちが鼻アレルギー疫学調査を実施しているもう1つの国・中国において、花粉症を論ずる場合避けて通れないデータがあります(図3) 〔15〕 。

  これは寧夏という中国北西部のヨモギの多い地域に移り住んだある集団の8年間の花粉症有病率の推移で、この8年間に感作率が100倍にも上昇していることが見て取れます。詳細は原文には記載されていませんが、私たちが北京で執筆者の顧瑞金・協和医科大学
アレルギー科教授(図4)に直接聞いた話では、軍隊として全く別の地方から寧夏地区に駐屯することになった集団の8年間の変化だということでした。つまり未感作の成人が、生まれて初めて接触するアレルゲンに曝されて感作に至る経過の経時的観察なのです。

  このデータにしても、アレルギーにおいて原因が増えれば結果も増加する、その鉄則の確認みたいな感じがします。

  さて、花粉症とその背景についての中国における話題です。

  私たちが中国で杉の植生を確認したこと(図5)〔12〕 、中国にもスギ花粉症はみられることについては 〔16〕 、これまでに何度か触れました。

  そして、どうやら中国において毎年スギ花粉飛散量は増えているような感があります。それは中国で、1986年から3年の間に全国的に実施された花粉の飛散量測定調査で〔17〕 、その当時武漢地区の1年間のスギ花粉飛散量が1、551個/cm2 だったのに対して、1994年5月から1995年4月にかけて測定された記録〔18〕 では、全く同じ地区のスギ花粉飛散量が5、523個/cm2 に増加していることから判ります。

  そして、もしも日本と同じような森林の伐採と杉の一斉植樹が約30 年前に中国で行われていたとしたら、このスギ花粉飛散量の激増は説明がつきます。

  1990年の30 年前は1960年です。1958年から中国で全国的に何が起こったか、中国に少し詳しい方ならご存じでしょう。毛沢東のお声掛けでそのとき中国では、「大躍進運動」が始まったのです。世界の一流国に伍すべく、粗鋼の生産量を上げようと中国は狂奔状態に陥り、全土の森林は燃料として燃やし尽くされました。その有様は「ワイルド・スワン」〔19〕 にも詳述されていますが、中国の山々は結果的にほとんどハゲ山となったのです。

  そして現在もこうしたハゲ山が、戦後の日本の利根川と同じ理由で治水を妨げているのなら、最近話題の長江の氾濫は大躍進運動のもたらしたもの、と形容できるはずです。

  なおごく最近、中国では植林の重要性が強調されていますが、大躍進の直後から植樹が開始された可能性はあります。そしてこの際、他の多くの木々と同様、杉が植栽されたらしいとも聞きます。

  もしもその折に杉の植樹もなされていたならば、その杉は樹齢30年を迎えていることでしょう。

中国の杉はどこから来たのか

 さて、それではその植樹された杉は、もともと中国に生えていたものでしょうか。それとも、それこそ日本の利根川の治水に倣って、日本から杉を運んで植えたということではないのでしょうか。

  なぜなら戦時中、日本軍が中国沿岸部の各地に日本の杉を植樹して歩いた、との言い伝えを時折耳にするのです。

  私たちはそれに対する回答を求めて、昨年9月、中国における杉の自生地の天目山と杉巨木の存在する昆明市に調査に行きました。

  天目山に現地調査に出かけたのは、調査団のうち佐橋紀男・東邦大学教授と渡邉幹男・愛知教育大学助教授などです。

  この天目山は斬江省に位置し、氷河期以前からの植物が見られることで有名です。それらのうち図6には、樹齢1億7千万年の銀杏を示しました。


図6 樹齢1億7千万年のいちょう

図7 佐橋先生と大樹王 右が佐橋先生

図8 昆明市郊外の樹齢800年の杉
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  天目山の杉は、私たちが以前報告12 )した柳杉(Cryptomeriafortunei)と呼ばれるタイプの杉で、中には樹齢1000年を超えるものも見られます。それらのうち最大のものは「大樹王」の異名が付けられています。これは傍に立つ佐橋先生の体格との比較から考えると(図7)、直径3メートル近くありそうです。

  この柳杉は、前回日本杉と一属一種と表現しましたが(12)、現在渡邉助教授により進行中のDNA分析でやや異なった形質のものも観察されており、その厳密な分類に関しては分析結果を待ちたいと思います。

  一方昆明市の郊外には、直径2メートルで樹齢800年の、元の時代に植えられた杉が観察されます(図8)。

  これらを見る限り、中国の杉は少なくとも戦時中日本から移植したものではなく、はるか昔から中国に自生していた杉のようです。

  それでは大躍進直後のハゲ山に、なぜ杉が選ばれて大量に植林されたのか、という疑問が今度は生じます。けれども、大躍進後の文化大革命のせいでしょうか、どんな理由で杉が選ばれ日本同様一斉に植樹されたのか、実はよく判らないところもあります。

  とはいえ中国共産党が国民党に対抗し、1930年代に立て籠った中国共産党の聖地・井岡山(図5)の風景が、その疑問に回答を与えてくれるような気はします。


図9 井岡山の杉

図10 杉並木の下で太極拳

図11 毛沢東の寓居とその背後の杉林
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  図9〜11 を見て下さい。図9は、その井岡山の全山杉に覆われた光景です。そして図10 は、市民が杉並木の下で太極拳に興じる有様です。最後の図11 は、井岡山時代の毛沢東の寓居とその背後の杉林のスナップです。いずれも、整然と植林された杉林が観察されます。おそらくこの緑を、当時の共産党幹部も目の当たりにし、革命に荒んだ心を癒されたことでしょう。

  これらの今も緑に輝く杉を眺めながら、私は想像に耽るのです。もしかすると、大躍進直後の中国共産党幹部の頭には植林すべき樹木として、心に輝くあの懐しい光景の中の、杉の木しか思い浮かばなかったのかも知れないな、と。

おわりに

 第二次世界大戦後スギ花粉症の激増した日本、花粉症のルーツの英国、そして現在スギ花粉症の増加しつつある中国。これら3国の花粉症増加の歴史を紐解くと、アレルゲンとしての花粉の増えたわもナや、その背景として一斉に森林の消失した事実が、鮮やかに浮かび上がってきます。

  3つの国の住民は、全く知らずにお互いの国の轍を踏んでいたのでしょうか。

  まるで事情の異なるはずの3国の実情の比較はとても興味深く、鼻アレルギーの背景的社会要因をも含めた疫学調査に、私たちをのめり込ませてくれるのです。

 

 

 

 

■文 献
〔1〕 横山敏孝・他 : 花粉発生源としてのスギ林面積の推移.IgE抗体産生と環境因子-スギ花粉アレルギー急増の原因解明への学際的アプローチ,村中正

治他・編.メディカルトリビューン,東京,1990, pp67-79
〔2〕 井上 栄 : 文明とアレルギー病-杉花粉症と日本人-.講談社,東京,1992
〔3〕 野村 勇 : 流通と価格.新版 スギのすべて.全国林業改良普及協会,東京,1983, pp447-464
〔4〕 石橋 達 : 花粉症の歴史と定義.花粉アレルギー,石崎 達・編.北隆館,東京,1979,
ppl-7
〔5〕 奥田 稔 : 鼻アレルギーとはどんな病気か.鼻アレルギー 第2版.金原出版,東京, 1992, pp29-112
〔6〕 中西輝政 : 大英帝国衰亡史.PHP研究所,東京,1997
〔7〕 川北 稔・編 : 新版 世界各国史-II.イギリス史-.山川出版社,東京,1998
〔8〕 今井 宏・編 : 世界歴史大系.イギリス史2-近世-.山川出版社,東京,1990
〔9〕 岩崎広平 : テムズ川物語.晶文社,東京,1994
〔10〕 和辻哲郎 : 風土-人間学的考察-.岩波書店,東京,1979
〔11〕 三好 彰 : 鼻アレルギーと寄生虫?中国からみた日本の鼻アレルギー増加?.耳喉頭頸68 : 791-796, 1996
〔12〕 三好 彰 : 中国のスギ花粉症-スギ花粉症は日本独特か-.耳喉頭頸 70 : 139-145, 1998
〔13〕 白川太郎,他 : ライフスタイルとアレルギー反応.ライフスタイルと健康,森本兼曇編集,医学書院,東京,1991
〔14〕 白川太郎 : アレルギーと遺伝.鼻アレルギー,三好 彰編著.日本評論社,東京,1998
〔15〕 顧 瑞金・他 : 寧夏泉七溝地区花粉症的流行疫学研究.中華耳鼻咽喉科雑誌 17 : 155-159, 1982
〔16〕 殷 敏・他 : 中国におけるスギ花粉症.耳鼻と臨床(印刷中)
〔17〕 中国気伝致敏花粉調査領導小組(組長. , 葉世泰)編 : 中国気伝致敏花粉調査,北京出版社,北京,1991
〔18〕 劉 光輝・他 : 武漢城区花粉症患者主要致敏花粉的研究.中国臨床耳鼻咽喉科雑誌12 : 226-227, 1998
〔19〕 ユン・チアン : ワイルド・スワン(上・下).講談社,東京,1993


関連リンク: 索引 花粉症

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