3443通信 オンライン  
みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集
 
岩手県の情報雑誌『家と人。』19号に院長のエッセイが掲載されました
酸素・さんそ・サンソ … 三好 彰

標高5,190メートルの地点にて
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 仙台の街を歩いていた私は、ふと恐怖で身をすくめました。
心臓がどきどき音をたて、呼吸までせつなく喘ぎます。

 頭がボーッとして来て、なんだか気が遠くなったような感じです。

 何があったんだろう?

 不思議に思って周りを見渡した私は、登り階段が目の前にあることに気付きました。

 一瞬、チベットの薄い空気の中、必死に階段を登った記憶がよみがえります。

 必死になんていうと、多少大げさに聞こえます。

 たしかに最初の相手は、たかがホテルの2階へ昇るなだらかな階段でした。私もそれ故に、相手を見縊ったのです。でもこの階段は実に、標高3,640メートルの高地にあったのです。

 ですから私はそのとき実質的に、標高3,643メートルの二階へ向かって一歩一歩足を踏みしめる登山者、といった風情だったのです。

 それにしてもホテルの二階へのんびり上がるだけの行為が、あんなにも苦しい酸素欠乏状態を引き起こすなんて。

 でも、同行のメンバーが持参していた気圧計を見て、私は納得しました。宿泊したラサ・ホテルの気圧は660hpa で、通常の3分の2の空気しか私は呼吸していなかったのです。

 私は気圧が1,013hpa の仙台市へ戻ってからも、登り階段を目の前にするとラサの光景がよみがえり、たちまち酸欠のトラウマに襲われるようになったのです。

 悪夢はしかし、その程度では終わりませんでした。

 私は毎年アレルギーについての調査のために、チベットを訪れています。その移動の中で、なんと標高5,190メートルの地点を通過せねばならなくなったのです。

 写真はその光景で、背景にナムツォ湖という世界でもっとも高い位置にある塩水湖が、輝いています。そしてここの気圧は、542hpa 。実に仙台市の半分の酸素しか、体の中へは届きません。

 それでも昼間はまだましです。本当に恐ろしいのは、その夜なのです。

 日中目覚めているときは、だれでも意識して深い呼吸に努めます。空気と酸素が薄くとも、努力して息を吸い込むなら、なんとか生き延びることはできます。

 ところが無意識状態では、つまり眠ってしまうと、そんなにうまく行きません。

 気圧の低いところで懸命に呼吸し、体内に酸素を取り込むと、反対に血液中の二酸化炭素は減って来ます。

 皆さんはご存じですか?人間が呼吸するのは脳の呼吸中枢が、二酸化炭素の刺激を受けて体に呼吸するよう、命じているせいです。ですから体内の二酸化炭素が少なくなると、脳は酸素が十分だと錯覚します。すると人間は、自動的に息をしなくなるのです。

 この傾向は酸素吸入をしてやると、もっと酷くなります。つまり酸素を吸わせると、高山での睡眠中人間の息は止まるのです。

 それを医学では、中枢性睡眠時無呼吸と称するのですが、脳がサボッて息が止まるのですから、たまったものじゃありません。

 悪夢とともに過ごした一夜の記憶は、トラウマとなって私に染み付き、二度と消え去りません。

 階段を見かけただけで冷汗の出る仙台の毎日を過ごしながら、それでもなぜか私は次のチベットを楽しみにしています。

 酸素・さんそ・サンソ…、と呟きながら。


関連リンク: 索引:チベット
  索引:睡眠時無呼吸症候群(SAS)

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No.190
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