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2010中国・チベット調査レポート(1)


孫文の妻?

 前号に引き続き、看護課・浅野ナースの2010年チベット調査のご報告です。

  『中国三大かまど』の一つであり、古代から現代に至るまで、重要な役割を担う都市として栄えた重慶市を散策してきました。

看護課 浅野 佳代


9月18日(土)重慶市

 18日は南京~重慶へ移動しました。重慶は、長江と嘉陵江の合流点に位置する所で南京より中国の西南方向、内陸へはいります。我々は飛行機であっという間に到着しましたが、学会のため南京医科大学の程先生と一緒に重慶にきていた南京の女子学生さんたちは、寝台列車で1日かけて南京へ帰るということでした。

  重慶も盆地で中国三大かまどのひとつ。南京と同様の猛暑で気温35度以上でした。そして火鍋に代表されるように重慶の食事は辛い料理が多いそうです。つまり……、汗を沢山かくということです。水分補給をおこたらないように注意し、一部のメンバーは日焼け対策を施しつつ2日間を過ごしました。


長江の船着き場

磁器口の街並み

磁器口の家並み
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  重慶江北国際空港に到着しバスでホテルへ向かいました。重慶市内への道路は舗装されており、その両側は山を切り開いたらしい土地にたくさんの高層ビルが建築されていました。まだ建築中のビルも多く、いったいこんなにビルをたくさん作ってどうするのだろうという疑問がわいてきます。経済成長している国とはこんなものなのでしょうか。しばらくバスに揺られていると長江、嘉陵江の合流地点を過ぎ、賑やかな町の中へすすんでいきました。重慶は盆地になっているためか、坂の多い町という印象でした。そして中心部は車が多く、道は渋滞しています。ガイドさんもとにかく渋滞するので予定どおりの時間で日程はすすんでいかないことを強調していました。時間に厳しいといわれる日本人への牽制かな……、と思いつつ、道を奪い合い先に先に進もうとする中国のドライバーに、みなさん感心するやらあきれるやら、日本との違いを楽しんでいるようでした。ホテルにチェックインしたあとは、嘉陵江に面し、古くから栄えた港・磁器口へいきました。磁器口という名前は、400年前くらい前から、この土地で茶碗等が作られるようになり、その積み出し港になったのが由来で、磁器を積み出す港だから磁器の口で磁器口といわれるようになったということです。清の時代には年間75万個もの磁器が生産され、磁器口から長江を下り中国全土に運ばれるようになりました。そして磁器口は港町として栄えたそうです。1930年代 、一時、蒋介石国民党の政府が重慶におかれたことで、工場や学校・劇場がつくられ商業や文化の中心となりました。その後、陸路が発達するとこの港町はしだいにさびれていったそうです。しかし、人々は清の時代の街並みを大切に守っていました。そのおかげで1998年重慶市の重要文化財に指定され、観光地として賑わうようになったそうです。磁器口の嘉陵江に面した船着き場の方から商店街に向かいました。磁器口は霧が多く晴れの日は少ないそうですが、この日は晴れてくっきりと対岸が見えていました。磁器口の商店街は、たいへんな賑わいでした。お菓子や綿あめ、飴細工、お土産やおもちゃを売っている店が立ち並び、なかには行列を作っている店先もあり、まるでお祭りのようでした。色々な店をひやかしながら磁器口の散歩を楽しみました。建物は中国らしさを感じさせられる趣のある木造の建物が多く、風情のある路地がたくさんありました。もう少しゆっくり歩けたらいいのに……、と思いながら磁器口を後にしました。

  この日の夜は重慶名物の火鍋をいただきました。火鍋は磁器口の港にきていた船乗りが始めた料理といわれています。貧しい船乗りが、捨てられていた牛や豚の内臓などを拾い集めて鍋にいれ、塩や山椒で味付けし食べていたのが始まりだそうです。この火鍋、とにかく見た目から激辛です。そしてぶくぶく煮たてた赤いスープに具をしゃぶしゃぶみたいにくぐらせて食します。具には牛の胃袋やのど・アヒルの腸などの内臓や野菜、あと何があったかな……、と思い出すのも大変なくらいの種類がありました。そしてやはり激辛! 激辛料理のあとは、お楽しみのマッサージでした。


重慶火鍋

流れた汗をビールで補充
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9月19日(日)市内の観光

 19日、重慶2日目は、まず人民大礼堂、人民広場、重慶中国三峡博物館を見学しました。三峡博物館は2005年にオープンした中国で三大規模の専門博物館です。三峡ダム区域の文化財保護活動の成果やその出土品の展示・三峡の自然・重慶の歴史や文化などを紹介しています。三峡は長江の本流にある三つの峡谷の総称で重慶市の白帝城から湖北省の193kmの間に瞿塘峡・巫峡・西陵峡が連続する有名な景勝地です。重慶は三峡下りクルーズの拠点です。博物館は古代石器時代からの地層や出土品、文字、石器時代から現代までのお金、古代人の墓や当時の生活の再現と工芸品や船などが展示されていました。それと日中戦争時代の写真などもあり、日本人としては少し心が痛かったです。

古代から続く要衝として栄える

 古代、重慶は巴蜀の地(巴は現在の重慶、蜀は現在の成都一帯)といわれていました。紀元前316年、秦によって支配されるようになります。中国は秦の始皇帝によって統一されるのですが、秦の時代も長くは続かず紀元前206年に滅亡します。その後、天下を争ったのが項羽と劉邦で巴蜀の地をあたえられたのが、劉邦でした。やがて劉邦が項羽を討ち、中国を統一し漢朝を建てました。この間、巴蜀の地は険しい山岳地帯であるため、地理的条件から流刑の地とされていたようです。漢王朝ができた後、徐々に土地は豊かになっていきました。漢王朝が衰退していくと各地に力を持った武将が現れ、それぞれの勢力をのばしていくことになります。その中で巴蜀を治めたのが劉備です。魏・呉・蜀の三国時代です。魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備が登場する三国志は有名ですね。三国時代も長くは続かず263年には蜀が滅び、265年に魏が滅亡、280年には呉が滅びます。そして、司馬炎によって晋が建国されます。巴蜀は四川と称されるようになり、重慶は四川省に属することになります。その後、現在に至るまで中国は、色々な王朝が支配しては滅んでいくのですが、1949年人民解放軍が成都を占領し、四川省は中華人民共和国の支配下に入りました。そして、1997年に重慶は直轄市として四川省から分離しました。重慶では古代巴人の群墓が発掘され色々な出土品が出てきているようです。とにかく中国は紀元前から王朝が成立しているのですから、すごいです。改めてびっくりしました。


重慶の古い地図

古代人の生活を再現

戦争中の重火器
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  もうひとつ 重慶は1938年日中戦争時、南京を追われた蒋介石率いる国民党の臨時政府がおかれた場所です。そして日本は1939年5月4日、重慶に無差別攻撃をしかけます。その時の写真が多数展示されていました。日中戦争時、慰問に訪れた宋三姉妹の写真もありました。宋三姉妹の長女は宋露齢、財閥・孔祥煕の妻で、蒋介石を支援していました。二女が孫文博士の妻・宋慶齢です。三女が孫文の後を引き継いで国民党の党首になった蒋介石の妻・宋美齢です。しかし、二女・宋慶齢は、蒋介石が孫文博士の意志をついでいないという理由で蒋介石とうまくいっていませんでした。宋三姉妹が三人そろって行動するのはめずらしいことだったようです。日中戦争時は、衝突していた国民党と共産党も手を組んで日本に立ち向かっています。それだけの国の一大事だったということですね。日中戦争終結後、国民党政府は南京にもどります。しかし、毛沢東率いる共産党との内戦が激化し1949年、蒋介石は台湾に脱出し、毛沢東の中華人民共和国が成立するのです。今回、重慶を訪れることによって中国と日本の関係をあらためて勉強することができてよかったと思います。

世界遺産を見学

 昼食をとった後は世界遺産の大足石窟を見にいきました。大足は重慶の西端に位置する小さな町で重慶の市街地から168kmです。車で移動しました。市街地をぬけていくと高層ビルはさすがに少なくなり、道沿いの景色は、山間にぽつんぽつんと民家があるようなのんびりした風景にかわりました。石窟群は広範囲にわたり点在しているそうですが、我々は、宝頂山の石刻を見学しました。宝頂山の石刻は南宋時代の1179年から70年の歳月をかけて刻まれたそうです。石刻は仏教を題材にしたものが中心ということですが、宝頂山の石刻は伝統的な主題にこだわらず儒教や道教の影響、地方の特異な伝説を扱うなど土地にねざした生活感にあふれた点に特色があるということです。セミがジージー鳴いている暑い中、山の岩肌に彫られた石の彫刻をひとつひとつ見ていきました。大きなものから小さくて繊細なもの。庶民の日常を描いたものや、宗教的な物語を表しているもの。穏やかな表情をしている観音様。色彩の残っているものもあり、出来たばかりの頃はさぞかし美しかったのではないでしょうか。

  大足を後にしたあとは、船上レストランで南京医科大学の程先生と教え子の女学生さんたちと夕食をともにし、賑やかな夜になりました。若い学生さんは、かなりお酒を飲まされていました。やはり、中国です。お酒での挨拶はかかせないのですね。私は明日のチベット入りを理由に、控え目にさせていただきました。2度目の訪問となると、要領もよくなります。学生さんは、この後すぐ駅へ直行、寝台車で南京へむかいました。そして、私たちは明日いよいよチベットへ出発です。

※蒋介石は正しくはとなります。

神兵の像です

輪廻を表しています

涅槃像

多数の仏像①

多数の仏像②

冷たいペットボトルを手ににっこり
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2010年チベット調査 旅レポ(1)   2010年チベット調査 旅レポ(3)


関連リンク: 用語集 索引:チベット
関連リンク: 用語集 索引:アレルギー調査
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No.192
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