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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集
 
2010中国・チベット調査レポート(3)

 この度、花粉症シーズン期間中の2月・3月に、当院にご指導のためお越しの中川雅文先生に、自己紹介して頂きました。

チベット調査に参加

 中川雅文と申します。
 三好先生がチベット調査に行かれた時に同行させていただいて、見事高山病というものにかかりました。

 通常、手術室で患者さんの酸素のレベルを計るときに95%をきると、麻酔科の先生が大騒ぎするんです。それがチベットにいくと、普通に70〜80%位の数値になるんですが、それを私は58%という数字を出してしまいました。何故その数字かと言うと、計測に使った機械の下限が58%だと後から知って、恐ろしい経験をしたんだと思いました。

 三好先生とチベットに行くようになってしまった理由は、1998年に、ある大学の教授就任パーティーがあったんです。その時、私は順天堂大学の講師で、教授も副教授も行けないと言う事で、代わりに出席したんです。そこで、壁の花になっていたアジア系の方に話しかけたところ意気投合しました。

 彼はネパールのコイララさんという方で、コイララさんと言えば、ネパールのコイララ首相と同じ名前ですが、彼はその甥っ子だそうです。また、彼の叔父さんがコイララ医科大学の学長だったんです。

 お酒の席ということもありますが、その時に冗談交じりに、「先に教授になった方が相手を招待しよう」という話になりました。

 そしたら、翌年に私が招待されまして、ネパールに行く事になったんです。時を同じく、ネパールにもう一人の日本人が行く事になっていました。その人が鈴木淳一先生(現・帝京大学名誉教授)という方です。

 その方に、突然「お前は日本人だろ」と言われ、「日本人です」と答えたんですが、ネパール滞在中の2週間、2人で一言も日本語を喋らず英語でやりとりをしていました。

 その後、日本に帰国したら神尾記念病院で働くことになり、同時に鈴木先生からHIJ(ヒアリング・インターナショナル・ジャパン)に誘われたんです。

 それは、WHO(国際保健機構)と病院が協力し、アジアの難聴を救済し、難聴対策のレベルアップを計ろうとする試みで、日本の団体のトップが鈴木先生だったんです。

 それから、インドネシアやら何やらの国へ、事あるごとに呼び出しがかかる様になりました。そして、鈴木先生が現役を引退される時に、三好先生と引き合わせて頂いたんです。

低酸素は悟りへの近道?

 ここで、最初の話しに戻りますが、血中酸素濃度が70%をきると視界がゴールドになるんです。色が黒と金しかなくなってしまう、不思議な状態になるんですね。

 ネパールに行った時、カトマンズ(標高3,500m位)からビラトナガル(標高800m)という町に8人乗りのセスナで向かうんですが、そのセスナが縦に一列に並んで座るタイプでして、席は全部折りたたみ式、座ると両側に窓があるという機体でした。

 それで標高8,000mのヒマラヤを越え、街に着いたら、更にバスで15時間かけてヒマラヤに向かって走ります。簡単に言うと、ヒマラヤの東側にある町に行くのに、一度山を越えて、バスで戻るような形になります。ちなみに歩いて行くと4日間かかり、遭難する危険性が高いそうです。

 また、セスナもヒマラヤ上空だと空気が薄いですから、上昇気流が無くなると、遊園地のフリーフォールのような感じでスゥーッと落ちていくんです。

楊貴妃役のガロ今年はシルクロードへ行今年はシルクロードへ行く中川先生(左)と院長
今年はシルクロードへ行く
中川先生(左)と院長
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 そのヒマラヤを越えている最中、私は高山病になったんですが、足がフラフラして、耳鳴、頭痛がしました。その時に、視界が黄金色になったんです。
 
 私は、耳鼻科医ですが呼吸生理学とかもやってまして、その時に、中国の気功を使う人の呼吸を真似したら、ブラックアウトしてしまいました。なので、これは低酸素状態ということがわかっていたので、三好先生とチベットに行った時に、世界が黄金色になっても残念ながら悟りを開いたとは思わなかったんです。

 これを知らなかったら、多分、お釈迦様の領域にいったのだと勘違いしましたね(笑)。

 ただ、不思議な事に、帰国してから一緒に働いていた同僚から、「中川先生が優しくなった」と言われました。

 もし、知人の方とかで、性格のキツイ方がいらっしゃったら、三好先生と一緒にチベットにいくと、良いかもしれませんよ。

関連リンク: 用語集 索引:ドクター紹介

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No.194
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