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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集
 
 

 私たち調査団は、2011年9月15日(木)~26日(月)の12日間、中国・ウイグル自治区などでアレルギー調査を行ってきました。

 今年は、ヨーロッパとアジアを結んだ一大交易路・シルクロードを巡ってきました。

 かつて、幾多の商人や旅人そして三蔵法師らが行き交った土地に、自らの足で立つという経験は大変な感動を覚えました。

 その感動の一端を、本レポートの連載でご紹介いたしますので、お楽しみください。


9月15日(木) 出国
 初日は、成田空港からのフライトで南京空港へ行き、専用車で江蘇省常州市にある天目湖へ向かいました。

 常州市は2500年の歴史を誇る、名所・旧跡が数多く残る風光明美な都市です。なかでも、私たちの宿泊地・天目湖は、国家AAAA級のリゾート観光地として多くの観光客が訪れています。

 天目湖は非常に美しい湖ですが、もともとダム用の人造湖として作られました。そのため、食事にでてくる魚料理は、湖底に泥が溜まる自然湖とちがい、泥臭さがまったくなく美味しくいただきました。


歴史と文化の宝庫
 この地域周辺はかつて、春秋時代(紀元前770~403年頃)に呉(ご)(江蘇省(こうそしょう))と越(えつ)(浙江省(せっこうしょう))という国があり、長年にわたり両国は激しい戦を続けていました。

 その戦いの歴史の中で、いまに伝わる呉越同舟(ごえつどうしゅう)(お互いに憎しみ合っている呉と越の人間が、一つの舟にのって嵐にあうと、それまでの憎しみを忘れて協力する)や、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)(呉王・夫差(ふさ)が越王・勾践(こうせん)に復讐するため薪の上で寝起きし、その痛みで屈辱を忘れないようにしたという故事の「臥薪」と、戦に敗れた勾践が、その怒りを忘れないように苦い胆を嘗めたという故事の「嘗胆」を合わせた故事成語)という言葉が生まれました。

 お話しは、勝ちにおごった呉王・夫差が、越の忠臣・范蠡(はんれい)の送りこんだ美女・西施におぼれ、自ら国を滅ぼしたところで終わっています。

 日本の古典でも、春秋時代の故事を使ったエピソードがあります。

 それは、春秋時代から1500年以上あとの南北朝時代(1336年~1392年頃)に、鎌倉幕府に捕らえられた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が、隠岐(島根県)に流刑される際、天皇を奪還するためにかけつけた伝説の武将・児島高徳(こじまたかのり)が、天皇の宿泊先にある桜の木に「天、勾践(こうせん)を空(むな)しゅうすること莫(なか)れ、時に范蠡無(はんれいな)きにしも非(あら)ず」と、書き記したと言われています。

 この言葉の意味は、天は勾践を忘れず、范蠡という忠臣が現れて国を救ったように、児島高徳は、後醍醐天皇にとっての范蠡は自分であり、南朝を勝利に導くという自らの志を説いたエピソードとして、語り継がれています。

 これらの逸話からも、地域周辺が非常に歴史深い土地だということがわかります。

(図1)ろくろを回す (図2)紫砂の陶器
(図3)陶器細工のエビ (図4)陶器細工のカニ
(図5)陶器でできた工具(紫砂の細工品です) (図6)調査光景
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(図7)四世代が同居する中国の民家

 また、宜興市ははるか昔から陶器の生産地として有名です。現在、陶器の種類は約7500余りもあり、紫の砂、青磁、皆陶、彩陶、精陶の「五朶金花」と呼ばれる逸品が有名です(図1~図5)

 とくに、紫の砂(シーシャ)と呼ばれる土は今はすでに取り尽くされており、非常に高価な陶器として扱われています。
 宜興市では、過去にアレルギー調査を行ってきましたが、今回は4世代5家系の聴力調査を行いました(図6)

 何故、中国で聴力調査を行うのかというと、同じ環境にいた人たちを調べることにより聴力低下の原因(遺伝・年齢・環境・病気)がわかるのではないかというアイデアから始まったものです。

 日本では4世代(曾お祖父ちゃん、お祖父ちゃん、お父さん、息子)が一緒に住んでいる事は少ないのですが、中国では「4世同堂」という4世代の家族が同じ家に住んでいる場所もあり(図7)、まずその人たちを調べることにしました。

 しかし、病気を調べるには地域全員の調査を行わなければなりません。その理由は、例えばある町の住人が昼食に何を食べるか調べるとき、食堂に来る人がラーメンを食べたからと言って、地域全員がラーメン好きかという話にはならないのです。

 一軒ずつ調べないと、住民全員が何を食べており何が好きかという実証的な話題にはなりません。

 ですが、なかなか全員調査には難しく、今後の調査のやり方について考えていく必要があります。


歓迎の大宴会!
 夕食は、私の南京医大の教え子である殷先生の肉親や友人を交えての大宴会です。

 今回、私は彼にまつわるスピーチをしました。

 それは以前、村一番の秀才といわれた殷先生を、必ず南京医大の教授にしてみせると宣言したことがありました。その折は半ば夢だったこの予言が、今回いきなり現実味を帯びてきたため、殷先生の師匠としても公約を果たせる喜びに満ちています、という内容です。

(図8)呑んでるときから二日酔い (図9)竹海1
(図10)竹海2 (図11)竹海3
※画像をクリックすると拡大写真がご覧いただけます。

 そんな話になったため、ただでさえ盛り上がる宴に拍車がかかり、翌日は全員見事に二日酔いになりました(図8)

 翌日、9月17日(土)は宜興市近郊の竹海を訪れました(図9)
この一帯の山は、国家重点風景名勝区として有名な太湖(たいこ)の水源となっています(図10)

 一面を竹で覆われた山が連なり、風にゆれて囁く葉音が耳に気持ち良く響きます(図11)

 午後は、宜興市の北にある南京市へ向かいます。

 かつては三国時代の呉、6朝の都、南京国民政府の首都として栄えた南京市のお話しは、次回ご紹介いたします。

 

2011年ウイグル調査 旅レポ(2)


関連リンク: 索引:シルクロード
関連リンク: 索引:アレルギー調査

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No.201
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