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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

ラジオ3443通信

ヨーロッパに存在しなかった国

# ロビン・フッドがいなくなって、そしてカモガヤ花粉症が出現した。
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An.:
さて、三好先生今回こそ、お待たせ! の英国の花粉症のお話しの続きですよっ!!
2週間前の先生のお話しでは、英国には軍備が十分だったので、ナポレオンがヨーロッパを制覇した19世紀初頭、英国はナポレオンの脅威を逃れることができた。そうでしたよね?
で先生、江澤は気になる先生のセリフが、あれからずーっとひっかかっていまして、ですね。なんでもその時代、本来ならヨーロッパの大国であるはずの、ポルトガルとオランダは、なんとヨーロッパには存在しなかったって言うんですけど……。先生、いくらなんでもアレは、冗談ですよねぇ?
Dr.:
事実は小説よりも奇なり、つまり現実に起こっていることは、本に書いてあることよりももっとびっくりするような現象が、あり得るんです。
An.:
だけど先生、オランダやポルトガルがヨーロッパじゃなかったなんて……。それじゃいったい、オランダなんかは地球上のどこに存在したって、先生はおっしゃるんですか?
Dr.:
ナポレオンが、英国やロシアを除くヨーロッパ全土を支配下においたのは、1804年12月2日に即位式を行いフランスの皇帝になったときからです。
An.:
えっ、ナポレオンって、フランスの皇帝だったんですか?
Dr.:
この前後には、とても有名なエピソードがありまして、ですね。江澤さん、ベートーベンってお知り合いですか?
An.:
ええ、あの人はこの江澤のためにピアノ曲を作曲してくれまして、ですね。一般には東北弁のために言葉が訛って「エリーゼのために」って、憶えられているようなんですけれども、ね。あれは実は「エザーワのために」って呼ぶのが、正確なドイツ語なんですよ。
Dr.:
ああっ! あの名曲は、江澤さんに捧げられたものだったんですね!?
An.:
そうなんです。でもベートーベンはとってもシャイな人柄だったものですから、その真実をだれにも告げずにこの世を去ったんです(笑)。
Dr.:
お話しは、元に戻ります(笑)。
当時のフランスの、革命後のゴタゴタした社会に絶望していたベートーベンなど、意識の高い人々は、ナポレオンこそ人民に自由をもたらしてくれる英雄だと期待してまして。
An.:
ナポレオンは人民の英雄だったんですね。
Dr.:
ところが、古い権威の象徴とも言えるフランス皇帝の地位に、ナポレオンが執着していると、すっかり見抜かれてしまいまして。
An.:
フランス革命はそもそも、ルイ14世始め皇帝など古い権威を倒すためのものだったはず、ですものね。
でも、ギロチンを発明するなんて、惨すぎることもありましたから。
それでそのとき、ベートーベンはどんなことを?
Dr.:
若く、情熱に満ちたベートーベンはそのとき、交響曲第3番を書き上げたばかりでした。第2楽章に、有名な葬送行進曲を有する、あの名曲です。
An.:
江澤も、ベートーベンのあの曲は大好きです。第1楽章の始まる「ジャン! ジャン!」という音を聴いただけで、壮大なドラマの予感に怯えます。
Dr.:
ベートーベンはあの曲に当初は、「ボナパルト」つまりナポレオンの名前を付けようとしたんです。
An.:
でもあの曲は、今では「英雄」と言う名前で知られてますよね。
Dr.:
たまたまベートーベンが交響曲を書き上げて、スコアつまりオーケストラ用の楽譜の表紙に、「ボナパルト」と記入した瞬間、ナポレオンの皇位就任の知らせが入ります。
An.:
ベートーベンは、びっくりしたんですね!
ナポレオン ※画像をクリックすると拡大写真がご覧いただけます。
Dr.:
「あの男もただの俗物に過ぎなかったんだっ!」と叫んだベートーベンは、一気に表紙を破り捨て、そこに「エロイカ」つまり「英雄」とタイトルを記したんです。
An.:
それであの交響曲が、「英雄」と名付けられたんですね。江澤は初めて聞きました。でも、ベートーベンって、すごい勇気のある人だったんですね。
Dr.:
だから、「エリーゼのために」じゃなかった「エザーワのために」って言う名曲が残されているんじゃないでしょうか(笑)。
An.:
先生、江澤はともかく、オランダはどうなったんでしょうか。
Dr.:
江澤さんは、長崎に出島(でじま)っていう土地があるのを、ご存じでしょうか。
An.:
ええ、長崎の観光名所で、ちゃんぽんで有名な!
Dr.:
江澤さんは何でも、食べ物のお話しになりますね(笑)。
ここは江澤さん、レディーらしく、美しい花のお話しをしましょうよ。
An.:
先生、花粉症とは関係のないお花ですよね(笑)。
Dr.:
長崎らしい、と言うか出島と縁の深いお花ならば、あの紫色のアジサイでしょうね。俗称をおタクサ花(おたくさばな)と言って。
An.:
先生、なんかオウムに話し掛けているみたいですね、「おタケさん!」とか言って(笑)。
Dr.:
鋭い! 江澤さんはホントに鋭い。 「おたくさばな」も「おタケさん」も、おんなじ「お滝さん」と言う女性の名前だったんです。
An.:
ええっ! 三好先生、それはどうして?
Dr.:
出島に、医学指導のためにやって来た、ドイツ人医師、フォン・シーボルトの、日本における相方(あいかた)の名前です。
An.:
ドイツ人医師ですか!?
Dr.:
出島には、オランダ商館があって、そこへシーボルトが密かにやって来たわけなんですけど、ね。実はナポレオンのオランダ本土占領のために、1810年から15年までの5年間、地球上にオランダという国は、出島だけだったんです。出島に来たシーボルトは、一人娘を日本に遺し、その娘がおイネという日本初の女医さんに育つんです。
An.:
すっごく面白そうですけど、先生、時間です。お話しの続きが、とっても楽しみです。

ポルトガルとブラジル

An.:
三好先生、前回はフランス革命後に新たにフランス皇帝となったナポレオンが、ヨーロッパ全土を支配しようとしていて、オランダさえもヨーロッパには本拠地を守ことができなくなって、ですね。なんと、この日本の長崎の出島にしか、オランダという国は存在しなかったとの、お話しを伺いました。
ホント、江澤のジョーシキがすべて、デングリ反ってしまうようなお話しで、1週間たった今でも信じ切れません。でもたしかに、今でも長崎のアジサイの美しい紫の花びらを、「おたくさばな」と言いますし、先生のお話しはやっぱり本当だったんだな、と心の中で反芻している状況です。
でも先生。その時期ポルトガルまでもが、ヨーロッパになかったと聞きましたが、それじゃいったい、ポルトガルはどこにあったんでしょうか。
Dr.:
江澤さん、世界地図を広げてください。 ポルトガルは、どこにありますか?
An.:
えーっと。ポルトガルはですね、江澤の地図ではヨーロッパの南西の端っこですね。ちょうど東の陸側にスペインが存在し、西は大西洋に面しています。南側は、先生、ジブラルタル海峡を挾んで(はさんで)アフリカ大陸のモロッコとなります。
Dr.:
それでは江澤さん、ポルトガルの人々が西へむかう貿易風、これを北東貿易風と呼ぶんですけれど、ね。これに乗っかって船で移動するとしたら、どこへ辿り着く(たどりつく)でしょうか?
An.:
ああ、判りました。そこには、赤道直下の南アメリカ東海岸があります。アレッ、三好先生。アマゾン川の河口もこの辺りにありますよ。
Dr.:
江澤さんには、答えはもう、お判りでしょう。ブラジルですよ。
An.:
えっ、それじゃあ三好先生。ポルトガルはナポレオンに攻められて、大西洋を越えてブラジルへ移っちゃったんでしょうか?
Dr.:
オランダがナポレオンのために、出島にしか存在しなかったのが、1810年から1815年のことなんですけれどね。
An.:
シーボルトとお滝さんのお話しは、前回お伺いしました!
Dr.:
ナポレオンが、ポルトガルに侵攻したのは1808年のことでしたが、ポルトガル王とその王室はリオ・デ・ジャネイロに移り、1821年までそこに留まりました。
An.:
リオって、すっごく良いとこみたいですね? ポルトガル王みたいに江澤も、リオでゆっくりしてみたいですぅ。
Dr.:
リオはコパカパーナ海岸を始めとする、太陽に満ちあふれた数々の海岸があって、江澤さんのようなブラジル美人たちが、闊歩(かっぽ)しています。リオの海岸からは、イエス・キリストが水平に腕を伸ばして直立している大きな偶像が見えまして、コルコバードの丘として知られています。
An.:
それじゃあ、街中にサンバのリズムが溢れていて、さぞかし開放的な雰囲気が漂っているんでしょうね?
Dr.:
リオはサンバじゃあなくって、むしろボサノヴァでしょうよね。海岸通りをちょっとひっこんだところに、有名な「イパネマの娘」の作曲された喫茶店兼飲み屋さんがありますよ。
An.:
江澤はブラジルの音楽って、全部サンバなのかと思ってました。
Dr.:
その辺りが、ブラジルという国の成立の仕方と相俟って、奇妙なくらい面白いところなんですよ。
An.:
奇妙なくらい(笑)。
Dr.:
今でもブラジルへ行くと、さまざまの人種が混じり合っていて、ですね。私が実際に、南緯10度のレシーフェという町でアレルギー調査を行なった1999年のとき。
An.:
三好先生は南半球でも、医学調査を実施しているんですね。スゴイッ!
Dr.:
調査の被験者となる小学生たちの皮膚の色が、千差万別なんです。真っ白い子どもがいる一方、黒い皮膚をした子どももいますし、その中間の色の子どもたちなんて、数え切れないくらい教室中を走り回っています。
An.:
それはどうして、なんですか?
Dr.:
ポルトガル人がブラジルへ移動した折、当時習慣的につれて歩いたアフリカ人の奴隷も、当然一緒に付いて行ったんです。
もちろんブラジルそのものには、それ以前から住んでいた現地人がたくさんいるわけで、少なくともポルトガル人・アフリカ人・ブラジル人が、この国中に散らばることになります。
で、当時のブラジルは新しい国で人口を増やさなくっちゃあならないから、自然に……。
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An.:
三好先生、自然にどうなっちゃうんでしょうか? 江澤は、スギ花粉が増えるお話しは、良く理解できましたが(笑)。
Dr.:
そこでも、ベビー・ブームが起こるわけですよ(笑)。それも、3つの人種の混じり合った。
An.:
樹齢30年に達する頃には、次のベビー・ブームもおこるんでしょうか?
Dr.:
1800年代のことですから、私は見ていませんが……。少なくとも、現在のブラジルに多種多様な人種が混在している事実だけ、ここで証言しておきます。
An.:
そんなにたくさんの人種が、みんな親類縁者だったらば。まさか皮膚の色で人種差別が起こるなんて、あり得ませんよね?
Dr.:
ですから一説には、ブラジルは世界一人種差別の少ない国だって、聞いたことがあります。
An.:
先生はブラジルでアレルギー調査をして、結果はどうだったんでしょうか?
Dr.:
日本や中国と異なり、ブラジルの学校は義務教育の体裁をなしていません。小学校は1日3部制で、学生は朝・昼・夜のどの授業に出席しても良いんです。それに年齢制限もないから……。14歳の小学校1年生なんてのがいて、全然統計的な調査結果が出ないんです。
でも、調査そのものはとても楽しかったですよ。
An.:
お話しを戻しましょう。次回は、英国の花粉症が増えた話題に、ワープするはずです。
Dr.An.:
本日は、有難うございました。

ナポレオンとイギリス海軍

An.:
三好先生、お話しは確か英国の花粉症発症の原因について、ストーリーが進んでいるはずなんですけど(笑)。でもなぜかこのところ、ナポレオンが主役で。オランダやポルトガルがヨーロッパに存在しなかった時代のお話しとか……、お話しはどこへ進行するんでしょうか? 江澤は、先生のお話しのただ中でもう迷子になってしまいそうです。
Dr.:
江澤さん、もうちょっとの辛抱です。迷子状態が、あと少し続くだけですから(笑)。
An.:
先生江澤にも、このナゾに満ちたお話しが了解し易いように、お願いします。
Dr.:
えへへへへ(笑)、ナゾはもう少し続くんですけどね。 さて、ナポレオンはそんな具合に、ヨーロッパを陸伝いに制覇して行きます。 でナポレオンは本当は制海権も抑えて、陸海ともにヨーロッパを完全に自分の物にしたかったんですけどね。
An.:
でも、できなかった?
Dr.:
海を隔てて、ナポレオンの野望を打ち砕こうとした国、それこそが当時の英国だったんです。 実際ナポレオンは、1804年に次のような言葉を遺したことで、知られています。 「イギリス海峡を6時間だけ支配させてくれ。そうしたら、我々は世界を支配できるのだ。」
An.:
ナポレオンにとって、最大の敵は、英国海軍だったんですね!
Dr.:
1804年にナポレオンは皇帝になったわけですが、陸路では全て全戦全勝だったナポレオンが唯一負けたのは、英国のネルソン提督率いる(ひきいる)英国艦隊だけでした。ナポレオンのアフリカ進出を阻んだ(はばんだ)のも、英国本土への出兵を不可能にしたのも、いずれもネルソン提督の艦隊だったのです。
An.:
すごーいっ?
Dr.:
とくに、1805年に英国本土との間で行なわれたトラファルガーの海戦は、ナポレオンの快進撃そのものに、決定的なダメージを与えました。
An.:
江澤も、歴史の勉強でその辺りのストーリーを聞きかじったんですけど。確か、アフリカ海戦でナポレオンの地中海支配を不可能とした提督は、その戦いで右目・右腕に傷を負うんでしたよね!
Dr.:
江澤さんは、歴史の生き証人みたいですね(笑)。
An.:
そしてネルソン提督は、ナポレオンの英国侵略を阻止したトラファルガーの海戦で、その命を捧げることになるんです。
Dr.:
トラファルガーの海戦が、英国の花粉症出現に重要なのは、この大海戦が木造帆船によって行なわれた、世界最後の海戦だったという事実なんです。
An.:
それは三好先生、どういう意味なんでしょうか(笑)?
Dr.:
ナポレオンが亡くなったら、その意味をご説明しますけど(笑)。お話しは先を急ぎます。
An.:
でも、陸伝いにすべてヨーロッパを征服したナポレオンだって、7つの海を制覇しなきゃ、世界征服は難しいでしょうね。
Dr.:
英国に敗戦を喫したナポレオンは、英国に対する経済制裁を行なうことにしました。支配下に置いた国々に命じて、英国との貿易を禁止させます。1806年のことでした。
An.:
それは、有効だったんでしょうか?
Dr.:
ところがこうした貿易面でも、実は当時の英国は他のヨーロッパの諸国の遥か上を、行ってたんです。
An.:
と、言いますと?
Dr.:
あの有名な産業革命が、1760年頃から英国では盛んになっていまして、ヨーロッパ諸国では入手できなかった優秀な綿製品が、生産されていました。その結果、経済制裁をした他のヨーロッパ各国の方が、現実には困ってしまう事態が次々と明らかになったんです。
An.:
それじゃ、みんな困っちゃう。
Dr.:
ですから、まだナポレオンの影響の少なかったロシアなどは、ナポレオンに黙って英国と貿易を継続するんです。
An.:
ナポレオンは、怒ったのかしら?
Dr.:
制海権はともかく陸では無敵で、1810年にはオランダを併合したナポレオンですから、次はロシアに攻め入るわけです。1812年のことです。
An.:
でも、それはやり過ぎだった?
Dr.:
モスクワまでは無敵で、まっしぐらにロシアに攻め込んだナポレオンですが、ロシア政府はナポレオンの進軍する全ての町並みを、悉く(ことごとく)焼き払ってナポレオンに対抗するんです。
An.:
それじゃ、ナポレオンも困っちゃう。
Dr.:
ロシア各地で消耗戦を強いられたナポレオンは、ロシアに冬の来るはるか以前に総崩れとなり、フランスに逃げ帰ります。
An.:
それじゃ、いわゆる「冬将軍」に負けたんじゃなかった?
Dr.:
第二次世界大戦の際のドイツは、まともに冬のロシアで戦い、このときは「冬将軍」に負けたんですけどね。ナポレオンは英国に踊らされて引きづり込まれた上、消耗戦に屈したんです。
An.:
へぇー、知りませんでした。
Dr.:
ナポレオンがロシアに攻め込み、惨めに逃げ返る有様を描いたのが、ピョートル・チャイコフスキーの「序曲1812年」で、この曲は聴いていて楽しいですよ。
An.:
ナポレオンは、その後……?
Dr.:
地中海のイタリア寄りのエルバ島へ、流されます。
ロシアを含めた当時のヨーロッパ各国は、ナポレオン不在の欧州の未来を決定すべく、有名なウィーン会議を開きます。1814年のことです。
An.:
「会議は踊る」と言うミュージカル映画で有名な、国際会議ですね! 次回はそのお話しも、聞かせてください。本日も面白いお話しを、有難うございました。

ナポレオンと「会議は踊る」

An.:
三好先生前回は、ナポレオンが陸路ではヨーロッパ全土をほぼ制覇しながら、つまりは7つの海を支配できなかったために、英国に踊らされてロシアと戦い、敗戦してエルバ島に流されるところまで、お話しを伺いました。お話しは、ロシア皇帝を含むヨーロッパの全首脳が、音楽の都ウィーンに集い(つどい)、今後のヨーロッパの未来を論じるところまで進んでいます。
Dr.:
(浮かされたように、ボウゼンと)
"Das muss ein Stueck vom Himmel sein ,Wien und der Wein ,Wien und der Wein "
An.:
センセイッ! み・よ・し・センセイ!
ねぼけてないで、意識はしっかりしてますか?ここがどこだか、わかりますか? ワタシはダレですか?
Dr.:
(夢から覚めた、といった風情で) おや、江澤さん、いつ日本に帰って来たんですか? ついさっきまで、ボクと一緒にウィーン楽友協会のホールで、ワルツを踊っていたはずなのに……。 夢のなかの江澤さんも美人でしたけれど、目の前の江澤さんも美女ですねぇ(笑)。
An.:
センセッ! お仕事中に不謹慎なっ!
Dr.:
いえね。ナポレオンをエルバ島に追いやって、ヨーロッパ中の大国が密集したウィーンの国際会議はですね。ナポレオンをパリまで追撃したロシアの政治的影響力が、ヨーロッパに及ぶことをひどく恐れ、ロシア皇帝始め実力者が議決に出席しないよう、あらゆる手段を駆使したと伝えられます。
An.:
それはいったい、どうやって……?
Dr.:
「会議は踊る、されど進まず」という名言が伝わっていますけれど、ね。ウィーンの町の至る所で、呑めや歌えやの大パーティーが開催されて、政治的実力者はそれらを通じた外交に専念せざるを得ず、会議は現地の主催者であるメッテルニッヒらの思うがままに進行します。
この光景を、ミュージカル映画に制作したのが、さきほど私が寝言で呟いたセリフなんですよ。
An.:
センセイそれはステキですっ! だって、先生の夢の中の江澤は、とっても美人だったんでしょう?
Dr.:
こうやって、正面から見る現実の江澤さんも、とっても美女ですよ(笑)。 それはともかく映画の中ではですね。ワルツに踊り狂う、成功に酔い痴れたメッテルニッヒのもとに、伝令の兵士がやって来ます。兵士はオーケストラを背にして、江澤さんを抱いて踊るメッテルニッヒにこう告げます。 「ナポレオン、エルバ島から脱出せり!」と。
江澤さんはメッテルニッヒの傍(そば)で、それを聞いていたじゃないですか。
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An.:
そうでした! それで江澤の意識はワープして、fmいずみに戻って来たんでしたよね(笑)。それにしても、良い気分で踊っていたのに……。江澤は、ナポレオンが嫌いです。
Dr.:
映画は、その急報を聞いてあわててそれぞれの国に戻る、各国の政治家たちを描いて終わります。 ところで江澤さん、その後ナポレオンはどうなったでしょうか?
An.:
たしか一度はナポレオンは勝利し、100日間は覇権を取り戻すんですよね。でも、ワーテルローと言う戦地で英国とドイツに完敗し、今度はすっごく遠い離れ島に流されるんでしたよね。そうそう、セントヘレナ島という名前の。
Dr.:
それはどこにあるか、ご存じですか?
An.:
えーっと。
Dr.:
世界地図を開いて、ですね。大西洋の、南緯20度の部分、アフリカのアンゴラって国のはるか西の海の上。
An.:
あらっ、やだーっ。こんな遠い島に流されたんですかぁ?
Dr.:
ナポレオンはそこで、一人淋しく1821年の年に亡くなります。
An.:
それでヨーロッパには、やっと平和が訪れたんでしょうか?
Dr.:
と言いたいところなんですが、ナポレオンⅠ世の後からもナポレオンⅢ世なんて怪人物が現れたりしましてね……。
An.:
江澤はその人、知ってます。 「ルパンには甥がいた。その名もルパンⅢ世」って、有名なマンガの主人公ですよね。
Dr.:
峰不二子とか、美人もたくさん出て来る、モンキー・パンチのマンガで(笑)。 江澤さん、それはⅢ世違いですよ。 私の言いたいのは、ナポレオンⅢ世です。
An.:
ルパン以外にも、ナポレオンなんかにⅢ世が実在したんですか?
Dr.:
Ⅰ世に引き続き、第二帝政時代を築きあげ、現在のパリの町並みの基礎を作った人なんです。
An.:
ええっと先生。お話しが長くなっていますが、英国の花粉症。確かカモガヤ花粉症のお話しはですね、どこへ行ってしまったんでしょう?
Dr.:
突然お話しが戻るんですけれども、ね。 ナポレオンに対して7つの海を死守した英国も、実は海軍力の元となる材木が大幅に不足して来ていました。 他のヨーロッパの諸国よりは、森林の状況はましでしたし、北米からの輸入も期待できましたから、ね。 でも実は英国だって、「森林の消滅」と呼ばれる、いわゆる「生態学的危機」に見舞われていたんですから。
An.:
それじゃあ、ロビン・フッドだって英国には住めなくなっちゃった。
Dr.:
だからそのまま、運を天に任せていたら、英国だって滅びるのを待つしかなかったんですよ。
An.:
ええっ! そうだったんですか?
Dr.:
その瞬間英国に起こったのが、他ならぬ産業革命だったんです。そのために、1805年のトラファルガーまでは木造船だった軍艦は鋼鉄製に変わり、それを動かす動力も大木のマストではなく、コークスを燃料としたエンジンに進化します。
An.:
それゆえに、英国はそれまで以上に7つの海を駆け巡り、世界の大英帝国であることが可能だったんですね! 三好先生、本日も興味深いお話し、誠に有難うございました。