3443通信 オンライン  
みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

げんき倶楽部杜人

げんき倶楽部杜人8月号 ラジオ3443通信 ~オランダは日本にあった国!?~

 耳・鼻・のどに関する病気を扱う「三好耳鼻咽喉科クリニック」。三好彰院長は、30年余り、耳鼻咽喉の診療に携わる。今回は、4月にfmいずみで放送された「花粉症」に関する内容を紹介する。
An.…江澤アナウンサー、 Dr.…三好院長]

# ※画像をクリックすると拡大写真がご覧いただけます。
An.:
さて三好先生。今回こそ、お待たせ! の英国の花粉症の話の続きですよ。以前の話で、ずっと気になっていた先生の言葉がありました。なんでもその時代、本来ならヨーロッパの大国であるはずのオランダとポルトガルが、ヨーロッパには存在しなかったと。先生、いくらなんでもあれは冗談ですよね?
Dr.:
事実は小説よりも奇なり。現実に起こっていることは、本に書いてあることよりもびっくりする場合があるんです。
An.:
それでは一体、オランダはどこに存在したというんですか?
Dr.:
ナポレオンが、英国やロシアを除くヨーロッパ全土を支配下に置いたのは、1804年12月2日。即位式を行ってフランスの皇帝になった時からです。
An.:
ナポレオンは、フランスの皇帝だったんですか?
Dr.:
その前後には、とても有名なエピソードがありました。江澤さんは、ベートーベンとお知り合いではありませんか?
An.:
あの人は、この私のために曲をプレゼントしてくれました。一般には東北弁で言葉が訛って「エリーゼのために」と覚えられているようですが、正確には「エザーワのために」というんです。
Dr.:
冗談はさておき、話を元に戻しましょう(笑)。革命後のごたごたした社会に絶望していたベートーベンなど意識の高い人々は、ナポレオンこそ人民に自由をもたらしてくれる英雄だと期待していました。
An.:
ナポレオンは人民の英雄だったんですね。
Dr.:
ところがナポレオンは、古い権威の象徴ともいえるフランス皇帝の地位に実は執着していたんです。
An.:
フランス革命は、そもそもルイ14世をはじめとする皇帝などの古い権威を倒すためのものだったはずですよね。その時、ベートーベンはどうしていたんですか。
ブラジルの子どもたち ブラジルの子どもたち
Dr.:
若く、情熱に満ちたベートーベンは、交響曲第3番を書き上げたばかりでした。当初の曲名は「ボナパルト」つまりナポレオンの名前でした。
An.:
しかし、あの曲は「英雄」の名前で知られています。
Dr.:
ベートーベンが交響曲を書き上げて、オーケストラ用の楽譜の表紙にボナパルトと記入した瞬間、ナポレオンの皇帝就任の知らせが入ったんです。「あの男もただの俗物に過ぎなかった」と叫んだベートーベンは、一気に表紙を破り捨て、そこに「エロイカ」つまり「英雄」とタイトルを記したんです。

オランダとポルトガルはどこに

An.:
それでオランダはどうなったんですか。
Dr.:
江澤さんは、長崎の出島をご存じですか?そこと縁の深い花がアジサイ。俗称「おたくさ」です。
An.:
なんだか昔、オウムや九官鳥に言わせる代表的な言葉だった「オタケサン」に似ていますね。
Dr.:
江澤さんは本当に鋭い。おたくさもオタケサンも「お滝」という女性の名前に関係しているんです。
An.:
その人は?
Dr.:
出島に医学指導のためにやって来たドイツ人医師、フォン・シーボルトの日本での妻の名前です。一人娘のイネは、日本初の女医として知られています。出島にはオランダ商館があって、そこへシーボルトが密かにやって来ました。実はナポレオンのオランダ本土占領のため、1810年から15年まで、オランダという国は地球上に出島だけだったんです。
An.:
その時期は、ポルトガルもヨーロッパになかったというのは、どういうことですか?現在の世界地図でポルトガルは、ヨーロッパの南西にあり、東はスペインと接し、西は大西洋に面しています。南側は、海を挾んでアフリカ大陸のモロッコです。
Dr.:
ポルトガルの人々が、西へ向かう貿易風に乗って船で移動するとしたら、どこへたどり着くと思いますか?
An.:
船で海を渡ったら……。えっ!?ポルトガルはナポレオンに攻められて、大西洋を越えてブラジルへ移ったんですか?
Dr.:
ナポレオンがポルトガルに侵攻したのは、1808年。
 ポルトガル王とその王室はリオデジャネイロに移り、21年までそこにとどまりました。
An.:
リオはとてもいいところですよね。
Dr.:
1999年に、ブラジルのレシーフェという町でアレルギー調査を行った際、被験者の小学生の皮膚の色は千差万別でした。
An.:
どうしてですか?
Dr.:
ポルトガル人がブラジルへ移動した時、アフリカ人の奴隷も当然一緒。ブラジルには現地人もいたわけですから、少なくともポルトガル人、アフリカ人、ブラジル人が国中に散らばることになります。
An.:
ところで、ブラジルでのアレルギー調査の結果は?
Dr.:
日本や中国と異なり、ブラジルの学校は義務教育の体裁を成していません。小学校は1日3部制で、児童は朝・昼・夜のどの授業に出席してもいいんです。それに年齢制限がないので14歳の小学1年生なんかがいて、統計的な調査結果が出ないんです。しかし、調査そのものは、とても楽しかったですよ。
An.:
次回は、お話を戻して英国の花粉症が増えた話題をお願いします。
Dr.:
本日もありがとうございました。

げんき倶楽部杜人

げんき倶楽部杜人9月号 ラジオ3443通信 ~英国の花粉症出現に関わる大海戦~

 耳・鼻・のどに関する病気を扱う「三好耳鼻咽喉科クリニック」。三好彰院長は、30年余り、耳鼻咽喉の診療に携わる。今回は、5月にfmいずみで放送された「花粉症」に関する内容を紹介する。
An.…江澤アナウンサー、 Dr.…三好院長]

七つの海を制覇する院長と江澤アナ 七つの海を制覇する院長と江澤アナ
An.:
三好先生、確か英国の花粉症発症の原因についてストーリーが進んでいるはずなんですが、このところはナポレオンが主役。話はどこへ進行するんでしょうか?
Dr.:
江澤さん、もうちょっとの辛抱です。ナポレオンは、ヨーロッパを陸伝いに制覇していきます。本当は制海権を得て、陸海ともにヨーロッパを完全に自分の物にしたかったようです。
An.:
しかし、できなかった?
Dr.:
ナポレオンの野望を打ち砕こうとした国、それこそが当時の英国です。
An.:
ナポレオンにとって最大の敵は、英国海軍だったんですね。
Dr.:
1804年に皇帝になり、陸路では全戦全勝だったナポレオンが唯一負けたのが、ネルソン提督率いる英国艦隊でした。ナポレオンのアフリカ進出を阻んだのも、英国本土への出兵を不可能にしたのも、いずれもネルソン提督の艦隊だったんです。
An.:
すごい!
Dr.:
特に、1805年の英国艦隊との「トラファルガーの海戦」は、ナポレオンの快進撃そのものに決定的なダメージを与えました。
An.:
ナポレオンの英国侵略を阻止したこの海戦で、ネルソン提督はその命をささげることになるんですよね。
Dr.:
この海戦が英国の花粉症出現に重要なのは、木造帆船が使われた世界最後の海戦だったという事実なんです。
An.:
どういう意味ですか?
Dr.:
それは、少し後でお話ししましょう。
An.:
分かりました。ヨーロッパを陸伝いに征服したナポレオンでも、七つの海を制覇しなければ世界征服は難しいでしょうね。
Dr.:
英国に敗戦を喫したナポレオンは、英国に対する経済制裁を行うため支配下の国々に命じ、1806年に英国との貿易を禁止させました。
An.:
それは、有効だったんですか?
Dr.:
英国では、1760年ごろに産業革命が始まりました。ヨーロッパ諸国で入手できない優秀な綿製品が生産され、その結果、経済制裁をした他のヨーロッパ各国が困ってしまう事態が次々と明らかになったんです。
An.:
それは困りました。
Dr.:
ですから、まだナポレオンの影響の少なかったロシアなどは、ナポレオンに黙って英国と貿易を継続したんです。
An.:
ナポレオンは怒ったのでは?
Dr.:
その通り。1812年、ロシアに攻め入りました。モスクワまでは無敵でロシアに攻め込んだナポレオンですが、ロシア政府はナポレオンの進軍する全ての町並みを、ことごとく焼き払って対抗しました。ナポレオンは、ロシア各地で消耗戦を強いられ、冬が来るはるか前に総崩れとなり、フランスに逃げ帰りました。

会議は踊る、されど進まず

# ※画像をクリックすると拡大写真がご覧いただけます。
An.:
ナポレオンは、その後どうなったんですか?
Dr.:
責任を取って退位し、地中海に浮かぶエルバ島に島流しになりました。ロシアを含めた当時のヨーロッパ各国は、ナポレオン不在の欧州の未来を決定すべく14年、有名なウィーン会議を開きました。
An.:
「会議は踊る」というドイツのミュージカル映画で有名な国際会議ですね。その話、ぜひ聞きたいです。
Dr.:
ナポレオンをエルバ島に追いやって、ヨーロッパ中の大国が密集したウィーンの国際会議は、ロシアの政治的影響力がヨーロッパに及ぶことをひどく恐れ、ロシア皇帝はじめ実力者が議決に出席しないよう、あらゆる手段を駆使したと伝えられます。
An.:
一体どうやって?
Dr.:
「会議は踊る、されど進まず」という名言があります。ウィーンの町の至る所で、飲めや歌えやの大パーティーを開催したんです。政治的実力者はそれらを通じた外交に専念せざるを得ず、会議は現地の主催者であるメッテルニッヒたちの思うがままに進行します。成功に酔いしれながら踊るメッテルニッヒ。ところがそこへ伝令の兵士がやって来て「ナポレオン、エルバ島から脱出せり!」と告げます。その急報を聞いて慌てて各国に戻る政治家たちを描いて映画は終わります。その後、ナポレオンはどうなったかご存じですか?
An.:
皇帝に復帰し、約100日間は覇権を取り戻したんですよね。しかし「ワーテルローの戦い」で英国とドイツに完敗し、再び島流しになりました。1821年、そこで一人寂しく亡くなりました。ところで先生。またまた話が長くなっていますが、英国の花粉症の話はどこにいってしまったんでしょう!?
Dr.:
ここで、突然戻ります。ナポレオンに対して七つの海を死守した英国も、実は海軍力の元となる材木が大幅に不足していました。だからそのまま天に運を任せていたら、英国だって滅びるのを待つしかなかったんですよ。
An.:
え! そうだったんですか?
Dr.:
そのとき英国で起こったのが、他ならぬ産業革命です。1805年に起こった「トラファルガーの海戦」まで木造船だった軍艦は鋼鉄製に変わり、それを動かす動力も大木のマストではなく、コークスを燃料としたエンジンに進化しました。
An.:
それゆえに、英国はそれまで以上に七つの海を駆け巡り、世界の大英帝国に君臨し続けることが可能だったんですね!三好先生、本日も興味深いお話ありがとうございました。