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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

ラジオ3443通信 学校健診特集4

84話 ロシアの南下と蝦夷地警備

三好監物物語 三好監物物語
An.:
三好先生、ここまでは学校健診の重要性と、その結果から判ることの意味について、教えて頂きました。そればかりではなく、むしろそれでは判らないことの意義と、その背後に何があるのかに関しても、お話しが進んでいます。
 本日のOAは、どんな展開になるんでしょうか?
Dr.:
江澤さん。一般に行なわれている学校健診が、スクリーニングとしての役割を果たしていることは、お判り頂けましたよね。
 そして私たちが学校健診の形式の中で、さまざまな疫学調査を、これまで実施してきたこともお判り頂けたと思います。
An.:
それは江澤も、よっく判りました。特に三好先生の場合は、日本国内だけでなくて世界各地で、それを実施していますものね。普通の学校健診だけでは得られない、医学的新事実を、いくつも発見しているんじゃないんでしょうか。
Dr.:
江澤さんは、1を聞いて10を知ることがお得意ですけど、ね(笑)。私たちはむしろ、1も知られていない、つまりなんにも無い0から1を、すなわち新事実を発見することを、目標に研究を進めて来ました。
An.:
なんだか、スゴイお話しになって来ましたね、先生。
Dr.:
エヘヘ・・・・・・、江澤さんほどじゃありませんよ(笑)。
An.:
で、先生の一連の健診を利用しての疫学調査ですが、最初は北海道白老町での健診からスタートしたんでしたよね。でも、なんで北海道からのスタートだったんですか?
Dr.:
前回もお話ししましたが、ある病気の頻度や傾向を調べるためには、病院など医療機関で待っていても判りません。
An.:
それは、町中(まちなか)の食堂でカレーの注文とラーメンのオーダーを比較しても、住民の食生活の実態は把握できないのと、似ているわけですものね。
Dr.:
病気の全体像を把握するためには、一般住民の健康状態の調査が必要になりますから。それで、健診の活用が役立つんです。
 ただ、一般の人たちの健診は現実には実行困難ですから・・・・・・。そこで学校健診の応用が、脚光を浴びることになります。
An.:
確かに学校健診ならば、その地域に住んでいる小中学生の、全員を対象に実施されますよね。
Dr.:
学校保健法が、そこで活きるんです。
An.:
と言いますと?
Dr.:
仙台市ではもちろん、そんなことはあり得ないんですけどね。四半世紀前の北海道では、無医村まで極端じゃなくとも耳鼻科医がいない市町村が、結構あったんです。
An.:
それは大変。
Dr.:
私たちが健診に行っている北海道白老町も、そんな耳鼻科医不在の自治体でしてね。学校保健法に定められた耳鼻咽喉科健診が、実行できずにいたんです。
An.:
うーん、それじゃ困っちゃいますよねぇ。
Dr.:
で、白老町という町はですね、仙台市と歴史姉妹都市になっていまして、ですね。
An.:
歴史姉妹都市、ですか。それは、どうしてなんでしょうか。
Dr.:
幕末にですね、江澤さん。ロシアの南下があったことは、ご存じですね?
An.:
ええ。でもなんで突然、ロシアのお話しになるんですか?
Dr.:
その頃の日本は、鎖国状態だったんですけどね。ペリーの黒船がやって来たり、日本を開国させようとする、世界各国の動きがあったんです。
An.:
江澤も、歴史の授業で教わりました。
幕末の白老を検分する院長(右)、町長(左)、七十七銀行初代領取の氏家秀之進(中)。 幕末の白老を検分する院長(右)、町長(左)、七十七銀行初代領取の氏家秀之進(中)。白老健診体験記2012参照
Dr.:
当時蝦夷地と呼ばれた北海道では、ロシアの船舶が良く見られました。
 司馬遼太郎の「菜の花の沖」で知られる、高田屋嘉兵衛のロシアへの拉致が、1811年には発生していますから。
An.:
江澤もその本、読みました。
Dr.:
そもそも仙台藩では、工藤平助や林子平などがロシアの南下に警鐘を鳴らしていましたが、当時は誰も本気にしなかったんです。林子平などは、幕府に罰せられていますからねぇ。
An.:
「人心(じんしん)を惑わす、不届き者」ってわけですね。今から思うと、ひどいですよね。
Dr.:
でも、1853年のペリーの来日をきっかけに、幕府は1854年に米露と和親条約を締結します。徳川家康以来の江戸幕府の鎖国政策の、終焉(しゅうえん)です。
 それをきっかけに、こうした北からの脅威に対する警戒心が、にわかに高まりました。
 このため江戸幕府は、そのロシアを警戒して、東北6県の各藩に蝦夷地警備を担当させることになりました。
An.:
へえー。そうだったんですか。
Dr.:
中でも仙台藩には多大な期待が寄せられ、北方4島を含む蝦夷地の3分の1の警備が、幕府から任されたんです。
An.:
ちっとも知りませんでした。
Dr.:
その時、伊達藩から蝦夷地調査の責任者を命じられたのが、私の5代前の先祖だったんです。
An.:
えーっ!先生のご先祖が、ですか?
Dr.:
三好監物というその先祖は、1856年に苫小牧市と登別市の中間にある北海道白老町に、仙台藩の北方警備のための陣屋(じんや)を建設しました。
 当時幕府からは、ユウフツという名前の土地、そこは現在の苫小牧市ですが、を陣屋にと指定されていたそうです。しかし現地視察の結果、白老町に陣屋を建設したのが私の先祖だったんです。
 白老というのはアイヌ語の「シラ、ウォイ」つまり、虻(あぶ)の多い土地という言葉が元になっています。
 それで今でも北海道白老町では、三好監物を町の基礎を作った人物として、記憶しているんです。
An.:
白老町と三好先生には、そんなご縁があったんですね!?
Dr.:
次回は、その歴史的背景のお話しです。

85話 クリミア戦争とナイチンゲール

An.:
前回は、三好先生が町内の全児童生徒の耳鼻科学校健診を担当し、スギ花粉症などアレルギー疾患の疫学調査を、実施してられた北海道白老町のお話しと、その歴史的背景について伺いました。
 先生はいつ頃から、この調査に携わっておられますか?
Dr.:
1988年から開始していますので、もはや四半世紀になります。
An.:
幕末からのご縁とはいえ、四半世紀は長いですよね!
Dr.:
この白老健診をきっかけに、チベットを含む中国、そしてブラジルなど南半球でも調査を実施してますから、時間的にもですが範囲の広さも世界的と、言って良いでしょう。
 はっきり申し上げて、これだけの規模の調査は、世界最大規模かも知れません(笑)。
An.:
セーンセ、万里の長城みたいな話題になってきましたね(笑)。でもお話しの流れは、最初の調査地である北海道白老町の、先生のご先祖との関連について、でしたね。
Dr.:
そうそう、お話しは仙台藩白老元陣屋つまり蝦夷地警備の、拠点ができたところまでしか、進んでいませんね。
An.:
で、その歴史的な流れなんですけども、ね。ロシアの南下があって、日本では一番北にある蝦夷地が、まず話題になるんですけど。ロシアっていう国は、西洋と東洋に跨がる(またがる)広い国ですから、その問題は蝦夷地だけじゃなかった、のかしら?
#
Dr.:
さすが1を聞いて10を知る江澤さん。
 白老の元陣屋、つまり蝦夷地の3分の1を警備する拠点の基地という意味の言葉なんですけど。仙台藩がこの陣屋を建設した1856年は、クリミア戦争の終決した年なんですよ。
An.:
クリミア戦争って、江澤も聞いたことがあります。たしかナイチンゲールが活躍し、赤十字も有名になった戦争、でしたよね。
Dr.:
江澤さんはスゴイ!
 それまで医師主体だった医療体制が、病人のケアなど看護師の業務が重要視されるようになった。ナイチンゲールの活躍が、その流れを作ったんですけどね、別の機会にお話ししましょう。
 それはともかくクリミアというのは、ですね。江澤さん、世界地図を見てください。ヨーロッパとアフリカと、その間にある地中海と。
An.:
先生、地中海を見つけました。
Dr.:
地中海の真ん中に、長靴の形をしたイタリアが見えます。その南に、マルタがあって。そう言えば江澤さん、私は昔ダイビングをやっていたことがありまして。その免許のための講習を受けたのが、マルタって会社でした。
An.:
まぁステキ!
 先生は地中海まで、講習を受けに行って来たんですかぁ?
Dr.:
いいえ、その会社は岩手県にありまして、ですね。親代々から伝わる古い家紋がですね、江澤さん。マルにたんぼの田の字を描くマークの会社でですね。
 このマークをなんと読むか、江澤さん、お判りですか?
An.:
マルに田の字でしたら・・・・・・、マルタ。
 えっ、まさか先生、先生のダイビングを教わった会社の名前じゃあ。
Dr.:
そのまさか、だったんですよ、江澤さん。つまり私がダイビングを教わったのは、地中海のマルタではなくって。
An.:
岩手県の、マルに田圃の田の字の、ふるーい会社だったんですね!
Dr.:
でもそれじゃあ、余りに聞こえが悪いから。何も言わずに「マルタで習った」って、人には言うんですけどね(笑)。
An.:
話を進めましょうよ、先生。
Dr.:
でそのマルタを東に行くと、イオニア海があって、その北はジブリの「紅の豚」で有名なアドリア海。
 アドリアって言葉を英語読みすると、江澤さん。何て読むでしょう?
An.:
「エイドリアン」でしょうか・・・・・・。
Dr.:
その通り、です。江澤さんは「ロッキー」というボクシングの映画を、見たことがありますか?
An.:
シルヴェスター・スタローンの、あの名作ですね。知ってます、知ってます。
Dr.:
「ロッキー」第1作のラスト・シーンで、ロッキーが試合で健闘し奥さんの名前を絶叫します。
An.:
「エイドリアーン、エイドリアン!!」って、ですね。私、あれ見て泣いちゃいました。
Dr.:
ほら、その「エイドリアン」がこのアドリア海に由来する名前なんですよ。
 で、地中海をさらに東へ進むとギリシャがあって、エーゲ海に入ります。
An.:
ギリシャ神話で有名な、美しい海ですよね。江澤は、憧れちゃいます。
Dr.:
エーゲ海の北東の端(はじ)に、シュリーマンの発見したトロイの遺跡があります。
An.:
トロイの木馬で有名な、幻の遺跡都市ですよね!
Dr.:
このシュリーマンは幕末の日本を訪問し、その見聞記を書いています。
An.:
へぇー。そんなことがあったんですか?
Dr.:
シュリーマンがトロイの遺跡を発掘したのは、1871年のことでした。
 その少し前のことですが、1865年に彼はインド・中国・日本と航海し、サン・フランシスコへ向かいます。
An.:
明治維新が1868年のことですから、シュリーマンの来日は、幕末のすごい風雲の時期だったことになりますね。
Dr.:
仙台藩の白老元陣屋の置かれた時代と、年代的に重なってますもの、ね。
 で、そのシュリーマンのトロイ遺跡から、ダーダネルス海峡を通ると、いよいよ黒海つまりクリミア戦争の舞台に近付きます。
An.:
お話しは核心に向かって一路前進していますが、先生、今回はお時間です。
Dr.:
残念。お話しは次回へと続く、ですね。
An.:
本日も面白いお話し、有難うございました。

86話 クリミア戦争時の外科手術

An.:
三好先生、前回は先生のご先祖が行っておられた北海道白老町で、先生が学校健診を開始されたこと、そしてご先祖のおられた幕末はクリミア戦争と同じ時期であったこと、についてお話しを伺いました。
 お話しが日本だけじゃなくって、ロシアや地中海まで遠征してしまって。江澤の頭は混乱しそうです(笑)。
Dr.:
優秀な江澤さんが、その程度で音をあげるとは、私には信じられません(笑)。
 お話しを続けます。
An.:
江澤も気を取り直して、しっかり勉強します(笑)。
Dr.:
お話しはその時代、ロシアが南下して来ていて、クリミア半島のある黒海を制覇しようとしました。
An.:
先生、それはなぜでしょうか?
Dr.:
ご存じのようにロシアは、ヨーロッパからアジアにかけて、広い面積を占めています。ただそのほとんどは陸地であって、当時の重要な交通機関である船の出入りする港を持ちませんでした。
An.:
北極海では、船の活動には向いてしませんし、ね。
Dr.:
その通りです。北極海は冬には凍結してしまったりするので、年間を通じての使用にはムリがあります。
 かと言って、当時ロシアの首都だったサンクト・ペテルブルグの目の前のバルト海は、北欧3国に挟まれています。ロシアの艦隊が通過するには、かなりの危険があります。
 やはり、ロシアが国際的な活動を行なうには、地中海に繋がる港が、ぜひ必要だったんです。
An.:
ああ、それで黒海そしてクリミア半島のお話しになるんですね!
Dr.:
ロシアは大国だったトルコの領地の黒海に進出しようとして、クリミア戦争に突入します。トルコは当時、ウクライナやエルサレムまで領地として所有する、歴史上の大国家だったんです。
An.:
どうしてその戦争に、ナイチンゲールが出てくるんでしょうか?
Dr.:
トルコに味方して、英国やフランスが参戦したために、ナイチンゲールの出番がやってくるんです。
An.:
でもなぜ英国が参戦するんでしょうね?
Dr.:
シャーロック・ホームズを読むと、あのワトソン医師がインドで英国軍に加わっていたことになってます。
 つまりその時期、英国はインドを植民地にしていて、黒海周辺はインドへの交通路になっていたんです。その交通路をロシアが占領したものですから・・・・・・。
An.:
なるほど、シャーロック・ホームズを読めば、すべてのナゾが解けるんですね(笑)。
Dr.:
そこでクリミア戦争が起こり、前回ちょっと触れたナイチンゲールの活躍が、有名になるんです。
An.:
医療関係の話題でしたら、先生ご専門なんじゃないですか?
Dr.:
ナイチンゲールその人については、ここで私が述べるまでもありませんが、クリミア戦争当時行なわれていた外科手術について、少しご説明しておきます。
An.:
三好先生の耳鼻科も、医学の領域の中では外科系に入るんですもの、ね。
Dr.:
さすが、1を聞いて10を知る江澤さん。それではご説明いたします。
An.:
待ってました!!
「大選帝侯軍医にして王室理髪師ヨーハン・ディーツ親方自伝」(白水社)より外科医の役割 「大選帝侯軍医にして王室理髪師ヨーハン・ディーツ親方自伝」(白水社)より外科医の役割
Dr.:
クリミア戦争当時の外科手術と言いましても、まともな手術が開発されていたわけじゃありません。
 戦闘でケガをした兵士が出血死しないように、傷口を切断して包帯を巻く程度のものでした。
 手術のための痛み止めの麻酔だって、当時のヨーロッパには無かったんです。
An.:
それじゃ手術は、すっごく痛かったんじゃないですか?
Dr.:
冗談半分に今でも僕らは「ゲンコツ麻酔」って言っているんですけど、ね。当時は冗談抜きに、強いお酒を患者の口に含ませ、銃の台座で後頭部を殴り付け(笑)、患者が気を失っているスキに、傷ついた手足を一気に切断するなんてことがあったみたいです。
「大選帝侯軍医にして王室理髪師ヨーハン・ディーツ親方自伝」(白水社)より床屋の役割 「大選帝侯軍医にして王室理髪師ヨーハン・ディーツ親方自伝」(白水社)より床屋の役割
An.:
江澤は想像しただけで、イヤです(笑)。麻酔って、当時のヨーロッパには無かったんですか?
Dr.:
麻酔を使用して手術をしたとの伝説は、あの三国志で関羽が腕の手術を受けた、想像上の名医である華佗(かだ)が麻酔術を心得ていた、とされます。
An.:
先生、お話しは三国志に飛ぶんですね!
Dr.:
医学の歴史の上では、華岡青洲(はなおかせいしゅう)という、江戸時代の日本の医師が、1804年に全身麻酔で乳癌の手術を行なったのが最初です。その技術は当然、鎖国中の日本からヨーロッパに伝わることは、ありませんでした。
 ですから、クリミア戦争では傷ついた兵士たちは、無残にも「ゲンコツ麻酔」で手足を切断され、放置されていたに等しかったんです。そこに現われたのが、「白衣の天使」ナイチンゲールだったんです。
 ついでにお話ししますと、当時のヨーロッパでは外科医というジャンルが確立していなくって。
An.:
それじゃ、ブラック・ジャックはヨーロッパにはいなかった(笑)んですね!
Dr.:
ヨーロッパの医学では、古くから内科医であるドクトルはいたんですけど、ね。
 ぶ厚い書物の知識を脳味噌に詰め込んで、ふんぞり返って診断し、厳かに(おごそかに)お薬を調合して処方する。それがドクトルでした。
An.:
それじゃドクトルは、外科手術はしなかったんですね?
Dr.:
当時はなんと床屋さんが外科医を兼ねていて、床屋さんたちが戦場で負傷した兵士たちの、手足を切断していたんです。
An.:
エーッ、先生それはホントの本当ですか?
Dr.:
次回は、そのお話しです。どうぞ、お楽しみに!

87話 床屋は外科医だった

An.:
三好先生、前回のお話しでは、昔のヨーロッパにはブラック・ジャックは存在しなかった。それどころか、外科医というものそのものが無かった、というお話しを伺いました。
Dr.:
ヨーロッパには手塚治虫がいませんでしたから、ブラック・ジャックが存在しなかったのは判りますけど、ね(笑)。
 でも昔の西洋医学には、外科という領域は存在しなくってですね。
An.:
でも先生、江澤が先生からお聞きした出島の話題では、江戸時代の日本の医学は漢方主体で、いわば内科系だったと記憶しています。そこへシーボルトがやってきて、メスさばきも鮮やか(あざやか)に切開など外科の技術を披露した。そんな経緯があったように、伺いました。
 ですから、旧態依然だった日本の医学とは異なり、西洋の医学は外科が主体だったんだろうと、思ってました。それは、江澤の勘違いだったんでしょうか!?
Dr.:
前回少し触れたんですけど、ね。
 ヨーロッパの医学では、古くから内科医であるドクトルはいたんですけど、ね。
 大学で医学を修め、ぶ厚い書物の知識を脳味噌に詰め込んで、ふんぞり返って診断し、厳かにお薬を調合して処方する。それがドクトルでした。
 でそのドクトルは、メスを持つことは無かったんです。
 でもクリミア戦争始め、戦地では多くのケガ人が出ます。そして抗生物質の無かった当時、大ケガを放置すれば出血や感染などで、死亡してしまいます。
 けれども、内科的処置しかできないドクトルには、これらのケガには対応できなかったんです。
An.:
昔のヨーロッパには大戦争も少なくなかったって、江澤は聞いています。そういった戦争では、ケガ人はみんなまともに治療は受けられなかったんでしょうか?
Dr.:
そうしたケガ人の外科的治療、つまり切開や切断などの手術は、実は当時は理髪師つまり床屋さんの仕事だったんです。
An.:
エーッ!いくら先生のお話しでも、江澤は信じられません(笑)。
Dr.:
でもね、江澤さん。床屋さんのお店の前に、今でもシンボルとしてグルグル回っているねじりん棒がありますよね。
An.:
ええ、江澤も見たことがあります。床屋さんの前には、必ずありますもの。
Dr.:
あのねじりん棒は、何色でしたっけ?
An.:
ええっと三好先生、たしかあれは、赤と青と・・・・・・、そうそう白でした。
Dr.:
あれは何を意味しているか、江澤さんはご存じですか?
An.:
ええっ、先生。あれには何か意味があるんでしょうか。
Dr.:
あれこそが、昔々床屋さんが外科医を兼ねていた名残なんですよ。
 江澤さん、あの棒の赤色は何の意味でしょうね?
 外科と関係があってですね、ホラ病人の体をメスで切開したときに、出てくるんですけどね。
An.:
先生、それはもしかすると、血液ではありませんか?
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。あの棒の赤色は、動脈を意味しています。
 それでは江澤さん、もうお判りですよね。ねじりん棒の青色は、何のことでしょうか?
An.:
先生、それは静脈です!
Dr.:
江澤さん、座布団10枚です。さあそれでは、白は何のシンボルでしょうか?
An.:
床屋さんが外科医のお仕事をして、動脈と静脈があって・・・・・・、ですよね。
 先生、もしかすると棒に描かれている白は、外科医の治療に必要な包帯かなんかじゃありませんか!?
Dr.:
江澤さん。ハワイへご招待です。
 だから床屋さんは今でも、外科医を担当していた古(いにしえ)の看板を、ずっと掲げ続けているんですよ。
An.:
へぇーっ。江澤は、すごくビックリしてしまいました。
 そんなことがあったんですねぇ。
Dr.:
床屋さんが外科医を兼ねていたその記録として、ロッシーニの「セヴィーリアの理髪師」というオペラがあります。
An.:
江澤も、そのオペラの名前は聞いたことがあります。すごい名作だという評判も、聞きました。
Dr.:
その中には、主役のフィガロという床屋さんが、整髪や髭剃(ひげそり)だけじゃなくって、外科治療の一種である瀉血(しゃけつ)を行なっていたことが、描かれています。
An.:
瀉血って何でしょうか?
Dr.:
血管を切開し、悪い血液を除去すると考える、民間療法のひとつです。
An.:
それが、オペラの中に出てくるんですね?
Dr.:
オペラの第1幕で、主役のフィガロが登場するシーン。そこで歌われるのが「おいらは町のなんでも屋」という、有名なアリエッタつまりアリアのごく短いやつです。
 ほら、「フィーガロ、フィガロ、フィガロ、フィーガロ! 」って歌ですよ。
An.:
それ、江澤も聞いたことあります(笑)。
「風雲児たち」(13)よりシーボルトの瀉血 「風雲児たち」(13)よりシーボルトの瀉血
『みみ、はな、のどの変なとき』
エピソード1「床屋さんと瀉血」
参照
Dr.:
その歌の中に、「こちらでは髪を、剃ってくれ」という本来の床屋さん業務だけでなく、「メスもはさみも用意されている」との、外科医業務を意味するフレーズも、入っています。
An.:
フィガロは、外科的な仕事もしてたんですねぇ。
Dr.:
しかもこのオペラの登場人物には、フィガロとはまったく別個にドクトル・バルトロという、内科医と思われる人物も含まれているんです。
An.:
じゃあ、やっぱり内科医は外科の仕事をしなかったんですね。
Dr.:
外科を習得するための解剖実習が困難だったのは、日本だけじゃなくって西洋も同じだったんです。
An.:
そう言えば幕末の日本でも、同じような歴史があったんですよね。
Dr.:
次回はそのお話しです。お楽しみに。
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