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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

ラジオ3443通信 学校健診特集5

88話 江戸時代の医学事情

三好監物物語 三好監物物語 (院長の医学コミック⑩『笑顔で 愛にこたえたい』の巻末掲載)にてご覧になれます。
An.:
三好先生、前回は三好先生の学校健診をしておられる北海道白老町に、三好先生のご先祖が蝦夷地警備の責任者として赴任していた幕末の頃のお話しでした。
 その時代、世界は激動していて、クリミア戦争が起こりナイチンゲールが活躍していた、と伺いました。ただし、赤十字で有名なナイチンゲールの活躍は、当時医学が発達していなかったために、医師はケガ人に対し極めて未熟な対応しかできなかった、そんな背景があったとお聞きしました。なぜならその頃のお医者さんは内科中心で、戦闘の負傷者に対する外科手術は床屋さんが担当していた、と教えて頂きました。
Dr.:
内科医が医学の中心だったのは、外科手術の基礎となる解剖学、つまり人体の地図に相当する学問が不十分だったためです。
An.:
江戸時代の日本でも人体の構造が良く判っていなかったために、漢方医学が主流だったと、江澤は聞いたことがあります。それに対して、長崎の出島にやって来たオランダ人たちの中に、シーボルトなど西洋医学の名医がいて、みごとなメスを振るった。そのために当時の日本では西洋医学を、「蘭方(らんぽう)」と呼んで日本中から長崎に勉強に行った。そういうお話しだったように記憶しています。
Dr.:
その通りです、江澤さん。相変わらずサエてますね。
An.:
そんなお話しの印象が、すごく強いためでしょうか。江澤は、西洋医学の世界では、外科的な治療がとても発達していて、外科こそ世界の医学の主流だった、みたいな錯覚を持ってました。
 でも、三好先生のお話しを伺うとその西洋医学も、もともとは内科主体だったという事実に、ビックリです。
Dr.:
戦争が外科の医療技術を必要としたわけで、戦場に出た床屋さんたちが、切開・切断などの外科的手技を身に付けたわけです。
An.:
その意味では徳川幕府の鎖国政策は、国内で戦争の発生する可能性を、限りなくゼロに近付けたんですから。外科的医学の発展は難しかったんでしょうね。
Dr.:
江澤さん、良いところに気が付きましたね。江澤さんは、目のつけどころがやっぱり鋭いですよ。
 日本で外科が発展するのは、私の先祖である三好監物の時代つまり戊辰戦争のときなんですけど、ね。
 でも外科が進歩するのは、先程お話ししましたように、解剖学の知識が行き渡っている必要があります。
An.:
解剖学抜きにメスを振るうのは、地図を見ないで未知の土地を走るようなものですからねぇ。
Dr.:
道に迷ったりして(笑)。
An.:
三好先生、お話しはもしかして「解体新書」の話題になるんじゃありませんか?
Dr.:
さすが1を聞いて10を知る江澤さん。その通りです。
 この解体新書については、もはやご説明の必要は無いと思いますが。いわゆる「ターヘル・アナトミア」という、オランダ語の解剖学書を、日本の蘭学者たちが翻訳した医学書です。
An.:
先生、その「いわゆる」というのは、何でしょう?
Dr.:
この本は元々、ドイツ語の解剖学書でして"Anatomishe Tabellen" という題名の本の、オランダ語訳なんですけど、ね。
An.:
それはいったい、どういう意味なんでしょう。
Dr.:
Anatomisheが「解剖学の」という内容で、Tabellenが英語のTable つまり「表」なんです。
An.:
それじゃあ、解剖学の表という題名なんですね?
Dr.:
簡単にご説明しますけど、ね。オランダ語の本の名前は実は「ターヘル・アナトミア」ではなかったんですけど、翻訳した人たちがそう呼び習わしていまして。その通称が、今でも有名なんですよ。
An.:
そうだったんですか。ちっとも知りませんでした。
解体新書 解体新書
Dr.:
いずれにしても、そうした正確な解剖学の知識が日本で広まるようになって、それから本格的に外科学が普及します。
 ですから解剖学の未発達だった時期の、シーボルトによる医学塾。これを鳴滝塾と呼ぶんですけど。そこでは系統的な医学の講義はなされなかった、というかできなかったんですね。
An.:
へぇー。そうだったんですか。
Dr.:
病人の症状を見て病名をつけ、対応法を教えてその技術を伝える。すごく臨床的、すなわち実際的な実地訓練だったと言われます。
An.:
臨床医学は、目の前で役に立つ医療技術の集大成ですもの、ね。現場の日本の医師たちには、シーボルトの指導はすごく良かったんでしょうね。
Dr.:
でも例えば外国語を勉強する語学でも、日常会話を覚えるのと、ABCから系統的に学ぶのとでは違います。
 英語で言えば、「グッド・モーニング」や「サンキュー」が使いこなせるのも重要なことですが、シェークスピアが読めると、達人の域ですからね。
An.:
医学でもそれは同じで、日常的なケガの治療とか一般的な診療と、その背景にある人間の体そのものに対する深い理解とでは、かなりレベルが違うんでしょうね。
Dr.:
さすが、1を聞いて10を知る江澤さん。幕末の日本における西洋医学の導入の本質を、するどく指摘してますよね(笑)。
 で、平和だった江戸時代の日本が再び戦争に直面するのは、ご存じ戊辰戦争です。
An.:
三好先生の、ご先祖の時代なんですね?
Dr.:
それまでの時代には無かった、銃が頻繁に戦闘に使用され、負傷兵のケガは刀の切傷ではなく、銃弾によるそれになります。
 当時の医師たちは、軍医としてケガの治療に携わりますが、それまでのケガに対する治療法では、銃弾の傷は治りません。人体に食い込んだ銃弾を摘出しなければ、ケガは悪化する一方なんです。
An.:
それには、切開や切断などの外科的知識が必要なんですね。
Dr.:
当時の日本には、フィガロはいなかったんです(笑)。お話しは続く、です。

89話 中国アレルギー調査

An.:
三好先生、お帰りなさい。先生は毎年、アレルギーの医学調査のために、この時期中国に行っておられるんでしたよね。
 今回の調査は、いかがでしたか?
Dr.:
お話しは、北海道白老町学校健診の途中ですけれど、中国調査も一連の疫学調査の一部分です。ちょっと寄り道して、ご説明しておきましょう。
An.:
9月中旬の中国国内事情なんですけど、大分騒々しかったようで・・・・・・。先生たちの調査に、影響はありませんでしたか。
Dr.:
今回、私たちの調査対象は、雲南省の昆明(クンミン)市の北西に位置する香格里拉(シャングリラ)市、そしてタイと隣接する西双版納(シーサパンナ)の景洪市でした。
An.:
それは、中国のどこにある土地なんでしょうか?
Dr.:
江澤さん、中国の地図を見てみましょう。東西に5千キロ近い広さの中国の、真ん中付近に蘭州市というシルクロードの町が見えます。
An.:
先生、「蘭」という文字は現代中国の略された漢字みたいですね。
Dr.:
で、その蘭州市の南を見ると、成都市という地名が見つかります。
石林の少数民族 石林の少数民族
An.:
先生、成都と言いますと三国志に出てくる諸葛孔明で有名な、歴史的な土地じゃありませんか?
Dr.:
さすが江澤さん。私たちも、医学調査でチベットへ行くときには、いつも利用する中継地点です。いつかそのお話しも、聞いてくださいな。で、その成都市を真南に下って行くと、昆明市という町に出ます。
An.:
「こんめい」と書いて、「クンミン」と呼ぶんですね。
Dr.:
その昆明市がこのあたり、つまり雲南省の中心地で、日本で言うなら県庁所在地です。
An.:
この省の地名も「うんなん」と書いて「ユンナン」と、読むわけですね。
Dr.:
それでですね、この省の地図のあちこちを眺めると、いろんな少数民族の自治州の地名が見えますよね。
An.:
ホントですね、三好先生。大理白(ダーリーペー)族自治州とか、西双版納俸(シーサパンナタイ)族自治州とか、それっぽい名前の土地が地図に載ってますよね。
Dr.:
その大理という地名の自治州で採取されるのが、つまり大理石なんですよ。
An.:
えぇっ!そうなんですか。江澤はちっとも知りませんでした。
Dr.:
日本のお墓に使用されている石は、かなり中国産のそれが多いんです。その代表が大理石なんです。
An.:
へぇー。
Dr.:
で、こうした地名からも想像できるように、この雲南省には少数民族がきわめて多数住んでいるんです。
An.:
少数民族って、どういう民族のことなんでしょうか?
Dr.:
チベット族とかイ族とかペー族とか、さまざまな民族がいて、中国全体では55の少数民族がいるんです。
 それでは江澤さん。中国全体の民族の数は、どのくらい居ると言われてるか、お判りですか?
An.:
先生、もしかすると中国は漢民族とその55の少数民族から、成り立っているんじゃあありませんか?
Dr.:
江澤さん、その通りです。だとすると、質問の答えはもう出てますよね。
An.:
先生、中国全体の民族数は56です。
Dr.:
さすが、1を聞いて10を知る江澤さん。百点満点です。
 それで、ですね。ここからが肝心なんですけど、ね(と声をひそめる)。
An.:
(ささやき声で)ええ。
Dr.:
今回の中国の大騒動は、漢民族の多く住む地域で発生しているんです。
An.:
少数民族の多い地域では、騒動はゼロなんですね?
Dr.:
少数民族の住む地方で騒ぎが起こると、その騒ぎが56番目の民族に向かう恐れも・・・・・・皆無じゃなかったんです。
An.:
先生が今回、調査に行かれた雲南省は・・・・・・。
Dr.:
22の少数民族の居住する地帯ですから、絶対に騒動は発生しません(笑)。
An.:
(笑)そんな、先生。まるで笑い話。
Dr.:
つまり、今回報道されたような大騒ぎの本質は、そこらへんから透けて見えてくるような気がするんです(笑)。
An.:
難しい政治のお話しはともかくとして、三好先生の中国における調査旅行が、すごく安全だったという理由が、とっても良く理解できました。
Dr.:
私たちもすごくリラックスして、雲南省の旅をエンジョイしてきました。
An.:
雲南省って、どういうところなんでしょうか?
Dr.:
その伝わり方は、まだ完全に判ってはいないんですけど、現在の日本の主食であるお米やお蕎麦は、雲南省が原産地だと言われています。
An.:
お米は雲南から日本に来てるんですか?
Dr.:
稲作の光景も、以前五月の連休に行ってみたときには、本当に日本の風景を見ているような錯覚におそわれました。
An.:
それ以外、日本と共通の食習慣はどうでしょう。
Dr.:
雲南省はお茶の名産地で、有名なプーアール茶は、西双版納のそれが香りも高くて、美味しいんですよ。
An.:
次回も、そのお話しの続き、楽しみです。有難うございました。

90話 雲南省のマツタケ

An.:
三好先生、前回は学校健診を中心とした先生の疫学調査のお話しの、この9月に行なわれた雲南省での旅の話題でした。
 先生は、そこでとっても美味しいお茶に出会ったんですよね。
Dr.:
お米を始めとする食事も、とっても美味しかったですよ。味は雲南の地域によって、多少異なりますけれど、私は大好きです。
An.:
お米やお蕎麦の原産地、と言われているんでしたよね、雲南省は。それじゃあ、きっと食事は楽しみですね(笑)。
Dr.:
おまけに昆明市は、標高1,900mくらいの高さなんですけど、1年中気温が20度前後で過ごし易く、別名を「春城」つまり春の住みかと称されるほどの、住心地満点の都市です。
An.:
先生はその昆明市を経て、香格里拉市へ行っておられますけれど。江澤の記憶では「シャングリラ」って言葉は、たしか「ユートピア」つまり「理想境」という意味を込めた名前だったような気がします。
Dr.:
映画にもなった、ジェームズ・ヒルトンの小説「失われた地平線」という本の舞台だとされていまして、2002年に、香格里拉市に地名が変わったんです。
An.:
それじゃあ、きっととってもキレイなところなんでしょうね。
Dr.:
周辺をヒマラヤの、神々の住む清らかな高い峰に囲まれた街と、豊かな自然そしてチベット族の人々の、信仰深い日常生活の中にある土地なんです。
An.:
先生、江澤には何よりもお食事が気になるんですけれど・・・・・・(笑)。
Dr.:
江澤さんには聞かせたくないんですけれども、ね。香格里拉はキノコが豊富で、マツタケが何トンも採取されるんです。
An.:
(目を輝かせて)マツタケですって。まぁステキ!土瓶蒸しかなんかにして、あの香りを楽しむんでしょうか?
Dr.:
現地のレストランでは、さすがに和食そのものの土瓶蒸しはありませんでした。キノコ鍋の中に豊富にマツタケが入っていましたし、マツタケ焼きもオーダーして豪快に味わいました。
An.:
そんなにたくさん、マツタケが採れるんでしょうか?
Dr.:
香格里拉市では年に2000トンのマツタケを、日本に輸出しています。地元の業者の方とお話しする機会があったんですけど、その日も2トンの仕入があると、自慢していました。だって、その業者の車で観光地を移動したときには、車の後部に大きなマツタケの固まりが積んであって、車内がマツタケの香りで気が遠くなるほどでした。
An.:
香格里拉のマツタケは、日本人の食卓へ届けられるんですね?現地の人よりも日本人の口に入る量の方が、はるかに多いんでしょうか?
Dr.:
現地の航空会社の機内誌に、マツタケの記事が掲載されていまして、ね。
 そこにはこう、書いてあるんです。
 「日本人はマツタケをとっても愛好していて、ほとんど”崇拝”に近い感情を持つといっても過言ではない。毎年7月から9月、デパートの食品売場は、マツタケを一番目立つ売場に配置している。もっともその値段も、ここでは考えられないほど高価ではある。」って、ね。
マツタケの記事 マツタケの記事
An.:
良く見てますネェ。
Dr.:
で、その記事のタイトルが、「中国人もマツタケを食べよう! 」ですって。
An.:
日本の気仙沼で採れるフカヒレが、ほとんど中国への輸出に使われているってお話しを聞いたことがありますけど(笑)。まるで、逆ですね。
Dr.:
そんな、すばらしい香格里拉市なんです。私もぜひ江澤さんをご案内して、現地でfmいずみのこのトークを楽しみたいとも思うんです。ただ、たった一つ、実行に移すには障害がありまして。
An.:
三好先生、江澤の辞書には不可能という文字は無いんです。
Dr.:
私も江澤さんに不可能は無いと、固く信じていますけど。問題は、現地は酸素が薄いという現実なんです。
An.:
そう言えば三好先生、江澤の辞書にはたった一字「酸素」という文字が、存在しないんですよ(笑)。
Dr.:
このfmいずみのスタジオでは、気圧が1013ミリヘクトパスカルなんですけど、香格里拉の山へ登ると、標高4,500メートルの地点で気圧は約680ミリヘクトパスカル、つまりここの半分の酸素しか江澤さんの肺には、吸い込むことができないんです。
 私たちのグループは、高山病の研究を行なうために敢えてそこまで行きますが、番組の収録には向かない場所ですよ。
An.:
先生、江澤はマツタケだけで十分です。
Dr.:
4,500メートルまで登るときには、簡易酸素ボンベを持参しますし、香格里拉の市外自体は標高3,300メートルくらいですから、そんなに苦しくはありません。
 もっとも走ったりするのはムリですし、1階から2階へ昇るのも、階段ではかなりキツい思いをします。
 でも、私たち自身もすごく不思議なんですけれど。
An.:
何でしょう?
Dr.:
チベットには、私たちは10回近く訪問していて、その中心地であるラサ市は標高3,640メートルなんです。そこのゴンカル空港に降り立つと、本当に酸素欠乏が実感できるくらい、苦しいものなんです。
 ところが、わずか300メートルくらいの違いなんですけれど、香格里拉市の標高3,300メートルでは、息苦しさはさほどではありません。
An.:
そんなに違うものなんですね。
Dr.:
標高4,500メートルの山のてっぺんではムリかも知れませんが、3,300メートルの香格里拉市内だったら、fmいずみの収録は大丈夫だろうと思いました。
An.:
まぁステキ!それじゃ三好先生、今度はfmいずみで世界の山々からの「ラジオ3443通信」をOAしましょう(笑)。7つの海の制覇の後には、ぜひ!
Dr.:
手始めに、泉ヶ岳から、ですね(笑)。

91話 チベットとバター茶

An.:
三好先生、前回は雲南省の三好先生の今回の旅から、香格里拉市のマツタケについてお話しを伺いました。
 標高4,500メートルの山にも登ったと伺いましたが、そこはどんな光景だったんでしょう?
 なにしろ日本では、標高3,776メートルの富士山が最高峰なので、私たちには想像のつきにくい一面があります。
Dr.:
標高3,300メートルの香格里拉市内から、リフトを使って1,200メートルくらい登るんですけど。
An.:
それくらい登ると、すごく景色が良いんでしょうねぇ。
Dr.:
この地域は10月からは乾期、つまり乾燥した晴れた日々が続くんですけど。9月はまだ雨期で、雪混じりのつめたーい雨が吹き付けて・・・・・・。厳しい横流れの風のせいもあって。それはそれは、寒いんです!
An.:
じゃあ、4,500メートルの山の上からは、なんにも見えなかったんじゃあ。
Dr.:
今回の私たちのグループの中には、1名「晴れ女」のあだ名のあるナースが同行したんですけど、ね。
An.:
標高4,500メートルには、勝てなかった(笑)!?
Dr.:
現地で、すごくぶ厚い登山用コートを急遽借りて、達磨さんみたいな格好でリフトに乗ったんですけど・・・・・・。
An.:
自然の驚異の前には。
Dr.:
余り、役立ちませんでした(笑)。
 いやぁ、ホントに寒かったです。
An.:
江澤が、ガイドブックで読んだ案内ですと、そのあたりからは標高6,740メートルの梅里雪山がよく見えて、とても風光明媚なところだ、とか。
Dr.:
日頃の行いのせいでしょうか(笑)、そううまくは行きませんでした。
An.:
地図で見ると、たしかにこの地点はチベットにも近く、自然環境は厳しいところなんでしょうよね?
Dr.:
後程お話ししますけれど、ここは古い通商ルートの一部でして、「茶馬古道(ちゃまこどう)」つまり「ティー・ロード」の名前があります。
An.:
「茶馬古道」と言いますと、お茶と馬の古い道、と字を宛てますね。
Dr.:
お茶は古(いにしえ)から、薬の一種と考えられていまして。貴重品だったんです。
An.:
そう言えば、吉川英治の「三国志」の冒頭にも、劉備玄徳が母親のために貴重品のお茶を買い求めたのに、黄巾(こうきん)の賊にそれを奪われるシーンが出て来ました。
Dr.:
同じように、貴重品であった西双版納で採れるお茶とメコン川の塩とを、チベットに運ぶ運搬ルートの一部が茶馬古道なんです。
An.:
それが古代からの、チベットと雲南との交易ルートだったんですね?
Dr.:
雲南からはお茶と塩、そしてチベットからは仏具や教典などの、仏教関係の品々が交易品だったと聞いています。
An.:
チベットでも雲南のお茶を喫むんですね?
Dr.:
チベットで喫むお茶は、とっても独特なんです。
 そもそもチベットは、全体的に標高の高い場所にあるものですから、畑に稔る普段の食物も、栄養価の高いものには恵まれません。チンコー麦と呼ばれる麦の一種が主食で、それを粉にして焦がしたものをツァンパと称して、食べています。
 そのときに付き物なのが、バター茶です。
An.:
バター茶ですか?紅茶とクッキーの混ざったような、ステキな味がするんでしょうか?
Dr.:
いいえ、煮染めたような濃いお茶を、ヤクつまりチベットの毛長牛のミルクで煮出し、ヤクのバターとお塩とを加えた、一瞬ウッとなってしまうような、すごい臭いと味の、いわばおクスリですよ。
An.:
先生、なんだか想像するだけで凄まじいものがありますね。
Dr.:
ツァンパだけのあっさりした食事がメインですから、このバター茶で栄養を補っているのは良く理解できるんですけど、ね。
 一度で良いんですが、江澤さんにも私はバター茶を振る舞ってあげたいような、気がします。
An.:
センセ、お気持ちだけで、それは・・・・・・。
Dr.:
私はチベット族の民家も訪問しているんですけど、彼らにとってこれは最高のおもてなしですので。何杯でも勧めてくれるんです。
An.:
もしかするとそれは、岩手県のわんこそばみたいな感覚でしょうか?
Dr.:
そうです。岩手ではお蕎麦は貴重品なので、お客さまにはイヤと言うほど無理に勧めてくれるんです。それが、わんこそばの由来ですから。
An.:
バター茶も・・・・・・。
Dr.:
そうです。貴重品なので、お客さまにはイヤと言うほど勧めてくれます。
 おまけに勧めてくれるその呼吸が、わんこそばと同じで。
チベット族の民家で喫むバター茶 チベット族の民家で喫むバター茶
An.:
茶わんが空になると、次の瞬間一杯になっていると言う、あのタイミングですね!
Dr.:
私は大学が岩手で、盛岡市に6年間住んでいたものですから、その辺の事情には詳しいんです。
 わんこそばでは、一口サイズの蕎麦茶わんでするっとそばをノドに流し込むんです。その瞬間、隣に控えていたお店の人が注ぐ手も見せずに、次の蕎麦を茶わんに入れてしまいます。この絶妙なサービスは、隙を見て茶わんを伏せてしまうまで、終わらないんです。
An.:
センセイ、まさかバター茶もそのパターンなんじゃあ・・・・・・。
Dr.:
その「まさか」なんです。
 しまいには口の中がバターの臭いで一杯になってしまって、ゲップも出ないくらいになります。
An.:
体験してみたいような、みたくないような・・・・・。
Dr.:
バター茶のお話はこれでおしまいですから(笑)。次回をお楽しみに。
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