3443通信 オンライン  
みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

三好耳鼻咽喉科クリニック開院20周年特別企画~難聴児問題の昔と今 4~三好 彰

 ここでは引き続き、院長が1975年、岩手医大在学中に作成した「難聴児の社会保障」というレポートをご紹介いたします。

「難聴児の社会保障(4)」

考 案 Ⅳ

i)の(イ)(3443通信No.214参照)の様なことがおこるのは、補聴器交付の為の予算が限られているせいである。とにかくいくら交付申請書が出されても、その年の予算が無くなってしまっていては、次年度の予算がおりるまで交付することは不可能なわけである。そういった状態を多少でも改善する為に補聴器センターでは手帳が交付された難聴者には無料で補聴器を渡してくれているそうである。それにしても予算にもう少し余裕を持たせることはできないのだろうか。

(ロ)については、ケースワーカーがあいだに立ってくれればずいぶん楽になる様に思う。

(ハ)は、福祉事務所等の窓口で十分な説明を受けられない(事務所がいそがしそうだったりして、何となく聞きそびれることもあるのだろう)ことが原因だと考えられる。福祉事務所で徴収金額表をコピーして、窓口で渡す様にしてくれれば解決すると思う。

(ニ)については全く現状では困るわけで、盛岡でも1日も早くヒアリングセンターの様な施設ができることを望むばかりである。

(ヘ)の様な悩みは特に大都市以外の場所で多い様である。地方の一般医も機会をとらえて専門のことに興味を持つ様にして欲しい(大都市の専門医を患者に紹介する位のことはできる)ものである。

(ト)については、補聴器そのものもそうであるが、付属品(電池、コード等)の修理・再交付の方が問題なのかもしれない。330円のコードの再交付を受ける為に交通費をかけて繁雑な事務手続きをとろうとは誰も考えないだろうから。

ⅱ)の(イ)については検査機器を持っている側のPR不足も確かにある様である。もっともTVのCMではないのだから、どういう風にPRしたら良いのか、問題も多いわけで、事実岩手医大でも過去にデパート等で会場を設けてキャンペーンを行ったこともあったわけだが、資金の問題等難しいことも多く、又学会における発表を利用するにしても、結局出席するのは一部の熱心な医師たちのみであることが多く、一般へのPRとまではいかないのが現状な様だ。

(ロ)は、全く医師の自覚の問題でしかない。自分の治療に自信を持つのは、医師として当然のことだとは思うが、常に反省を伴った自信であって欲しいと思う。その為にも、普段から学会等で新しい治療法に接し、他の専門医との接触を保つ等の勉強はかかさないで欲しい。もっとも実際に患者の治療よりも自分の面目を保つことの方が先、みたいな結果になっていても、案外自分では気が付きにくいのかも知れないし、医学生である我々にも将来十分に気を付けていかなければならない問題だとは思う。

(ハ)聴覚障害が多少軽度だからといって、安い補聴器で良いとおもうことはない、むしろ、軽度の障害児の方が訓練の成果が上がり易いということもあるのだから、障害の程度にかかわりなく高性能の補聴器を配布して欲しいと思う。

ⅲ)に(イ)については、ⅰ)の(ホ)と共通する問題であると考えて良いだろう。要は適切な教育施設に紹介してくれる機関があって欲しいということにつきるのだが、障害児各個人の事情もそれぞれに違い(経済的な面など)なかなか難しいと思う。

b、症例

それでは実際に保障を受けている難聴児やその親の方々は、具体的にはどんな問題をかかえ込んでいるのだろうか。我々は「きこえの教室」入級児の中から4名を選んで、直接質問(質問項目については、研究方法の項を参照して欲しい)をしてみることにした。

Ⅰ.(i)D・J・F 男 昭和41年12月15日生。
 4才頃、幼稚園で呼んでも返事がないことから、何らかの疾病があることが推測されていた。

 耳鼻科開業医で見てもらったところ、「外見(鼓膜所見?)は異常ない」とのことであった
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 児童相談所へ行って色々と検査してみて、情緒不安定を疑われたが、あきっぽい性格もあって検査を続けられなかった
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 小学校の入学時は健診で言語の異常を発見されたが、入学はできた
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 1学期をすごした後、医大耳鼻科で難聴を発見されスピーチクリニックに通う。なおIQは正常域であった
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 補聴器を私費で購入。現在に至る。

聴力図

考 察 Ⅴ

オーディオグラムは昭和48年7月のもの(Rs70dB、Ls66dB)から昭和51年1月のもの(Rs70dB、Ls75dB)に至るまで5つあるが、そのいずれもが保障の適用を受けてしかるべき聴力損失を示している。それにもかかわらず母親の持参した、市内の耳鼻科開業医でとったと思われるオーディオグラムで、たまたま(測定の時期が多少古いのか? )聴力損失が少ないために保障を受けられずにいた。おそらく、診察した医師にそれについて説明してもらわなかったことと、5回も測定したオーディオグラムが1枚も「きこえの教室」に担当の手に入らなかったこと等によるものと思われるが、これらはそういうことが起こらぬ様にする為に、せめて医大の耳鼻科においては保障についても十分説明してくれる様に村井先生にお願いし、また必要と考えられるオーディオグラムを「きこえの教室」の担当者に渡し母親とケースワーカーと供に、今からでも社会保障を受けることにするかどうか、話し合っていただくことにした。

Ⅰ.(ii)K・H 男 昭和37年10月7日生
 2才頃「お父ちゃん」「お母ちゃん」と言えたが、その他の言葉は出なかった。
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 3才の時、保育園に入園させるにあたって、言語が少ないので児童相談所へ行く。知能検査(IQtest)などは全く正常であったが、難聴も考えられるとして仙台通町小のことを教わる。
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 通町小へ行った時、補聴器をつけてみると喜んで装着しているところから難聴であろうといわれる。
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 医大へ来院(昭和41年頃)し、二科、小児科、耳鼻科で検査を受ける。遺伝性なく脳波オーディオメトリー等で特別な所見はなく、純音聴力検査はできなかった。
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 東北大にて脳波オーディオメトリーを受け、高域における難聴を指摘される。
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 その頃、仙台にヒアリングセンターができ、初めて補聴器を装着する。装着訓練はヒアリングセンター・通町小などで行なった。
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 昭和44年4月、青山小に入学
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 その年の10月桜城小に「ことばの教室」ができ週2回通級する。桜城小へ通級する前後の時間が無駄になるし、交通費もかかるので桜城小に転校したかったが、学区外だったので不可能だった(現在は市内ならば転校できる様になっている。)
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 3年生の時、桜城小近くの親戚の家へ籍を移し、桜城小へ転校した。
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 昭和50年3月 卒業

Ⅱ.補聴器は全部で4代購入しているが、そのうち2台はスペア―の目的で私費による購入であった。また、手帳によって交付を受けた2台も差額をだして高性能の補聴器をもらっている。
 さらに、電池代、交通費(桜城小に入学していれば交通費の補助はできる様に最近はなった)も決してバカにならない。

Ⅲ.友人、先生に恵まれ、明るい環境で勉強していられる。また、確かに一般の学科の成績は良くないが、体育の成績が良かったことが、明朗な性格形成に役立った。
 親としても、細かい成績を気にするよりも人間としての成長に気を使ってやるなどのことも自主性を持たせる為に何でも自分でやらせる様にしている。
 また会話をしていてよく話がわからない様な時には、めんどうがらずに納得の行くまでコミュニケーションを保つ様にしている。

Ⅳ.「ことばの教室」などに行っていれば可能。しかし、出席率は低い。

Ⅴ.「もっと気の毒な人の為に働ける様な人になりたい。」と本人が希望している。