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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

三好耳鼻咽喉科クリニック開院20周年特別企画~難聴児問題の昔と今 5~三好 彰

 ここでは引き続き、院長が1975年、岩手医大在学中に作成した「難聴児の社会保障」というレポートをご紹介いたします。

ここでは、引き続きまして、院長が1975年、岩手医大在学中に作成した「難聴児の社会保障」というレポートをご紹介いたします。

「難聴児の社会保障(5)」

考 案 Ⅵ

 K.H君は、桜城小の最上級生で、しかも「ことばの教室」(当初は「ことばの教室」で難聴児も扱っていた。その後「きこえの教室」)ができて、難聴児はそちらで訓練されることになった)の設立当時からの入級児だったわけで、それだけに盛岡の難聴児対策が十分に整っていない段階から現在に至るまでの歴史(彼等自身もその改善に直接たずさわって来たわけだが)を、その不備の例として、1つには検査機器の不足や訓練施設の欠除が挙げられるかも知れないが、さらに重要な事実として余りにも柔軟性を欠く役所側の態度も挙げられる様に思う。例えば同じ市内でありながら青山は学区外ということで、桜城小に転校できなかったことがある。これは現在ではK.H君の母親等の努力である程度改善されてはいるものの、後でも述べる様に学区制度に阻まれて難聴学級に入級できない児童が、現在でも存在するわけである。
難聴学級の一層の充実と役所側の理解が望まれる。

 保障の実際については、交付されるべき補聴器と実際に使いたい補聴器との差が気になる。子供の為に良い物なら親はどんな犠牲をはらってでも手に入れる、そんな例が補聴器購入に際しても多いだけに、高性能補聴器の一律交付はスペア用補聴器の為の予算作成が実現されるころが望ましい。

 K.H君の環境作りにも母親は留意しておられる様で、補聴器をつけていることを本人はきにしていないのか、との問いに対しては「パパは目が悪いから眼鏡をしているでしょう。Kちゃんは耳が悪いから補聴器をつけているのよ。」といった教え方をしているということであったし、保障をうけていることを本人は嫌がらないか(保障を受けると身障者扱いされる、といって保障を受けたがらない人も、今までは多かったのである)という問いに対しても、K君と一緒に旅行する際などに「Kちゃんのおかげでお母さんも安く乗れるのよ。」という言い方をしているということであった。確かに難聴児としてもそういう言い方をしてもらうことによって自分の障害を意識せずに済むわけで、難聴児に対する言葉の使い方、ものの言い方等は、考え抜かれたものでなければならないと感じさせられた。

 また、難聴児との会話は時間もかかるし面倒なものだが、お互いに納得のいくまでコミュニケーションを保つ(どうしても「もういいからあんたは黙っていなさい」ということになりがちなのである)母親のやり方が、K.H君の明るい性格作りに大いに役立ったであろうことは、想像に難しくない。

 なお、K.H君の母親は現在K.H君の記録を手記としてまとめているそうである。1日も早く立派な手記ができることを念じてやまない。

聴力図

<聴力図>
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(ⅲ)K.N 男 昭和40年11月23日生

I.2才頃までは難聴に気付いていなかった。眠っていても少しの物音で目を覚ますことが多かった為(Recruitmentがあると思われる)他の子よりも言葉が少ないのは知っていたのだが、難聴とは考えなかったらしい。

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 3才の時、医大の村井先生に相談し、初めての診察で多少難聴があるらしいことがわかる。
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 当時住んでいた大船渡からスピーチクリニックへ通っていたが、さしたる効果はなかった。
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 4才になって近所の保育園へ入ったが、危険だからと1学期で断られる。この頃、横浜市立大にての検査で難聴であるとの診断が確定する。
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 カトリック系の幼稚園へ2学期から入れてもらう
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 昭和46年7月 補聴器装着
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 公務員である父親が盛岡に転勤になったが母親は本人にと共に大船渡に留まった方が良いかどうか(盛岡にはスピーチクリニックがあるが大船渡の保育園で断られた様なことが盛岡でも起こるのではないかと考えて)迷う。
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 結局、盛岡へ移ったが、近所の幼稚園で入園を拒否された。
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 就学期に普通小学校へ入れたかったが、都南村(K.H君は都南村の公務員住宅に住んでいる)の教育委員会からは聾学校を奨められる。(昭和47年1月)
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 普通学級で大丈夫との診断書を村井先生に書いていただき、教育委員会に提出したところ非常に簡単に入学を許可される
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 飯岡小学校に1年間通学したが、余り効果があがらず、聾学校、児童相談所等を訪ねてみる。母親多少ノイローゼ気味になる。
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 昭和48年2月頃、聾学校にてIQtest等を受ける。この時、聾学校側からは強力に入学の勧誘があったが、熱心な先生(聾学校の)は普通学級を勧めてくれる。
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 母親、困り切って村井先生に相談。普通学級の方が良いとアドバイスされ、決心する。「きこえの教室」の責任者を改めて紹介され、入級を希望する。
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 都南村に住んでいる為に、越境になるとして教育委員会では難色を示したが、市内の公務員住宅に入れなかった為に都南の住宅に居るのだという事情をわかってもらうことができ、2年生から正式入級した(桜城小に転校しないのは、1クラスの児童数が桜城小は40から45人であるのに対し、飯岡小は20~25人である為) 。

Ⅱ.交通費は、週2回都南村から盛岡に来るのに、手帳で半額になるので月に360円になる。村ではさらにその半額を支給してくれると言っているが、その180円をもらいに行くのに100円かかるので、もらっていない。
 電池は5日に1個、250円の電池を消費するが、その電池は盛岡にしか売っていない。その為に現在では充電器を購入して使用している。
 補聴器のコードも時々切れるが、500円のそれを再購入してもらうには、役所の手続きが繁雑すぎる。

Ⅳ.「きこえの教室」PTA。しかし出席率が悪い。入る時の意気込みに比べ、現在は余りに無関心であると考えている。

Ⅴ.とにかく転勤にならないことを望む。難聴児の為の施設のない所になど転勤になったら困るので、最低6年生までは盛岡にいたい。
中学校についても心配している。難聴児の為の十分な設備を持った中学校が少ないから。

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