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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

ラジオ3443通信 学校健診特集8 雲南の旅

98話 珍しい食事

An.:
三好先生、前回は雲南省の昆明市で昆明医学院と先生との共同研究の際、珍しい食事をして来られたと伺いました。
 バター茶のお話も新鮮だったんですけど、先生、珍しい食事ってなんだったんでしょう?
Dr.:
江澤さんは、イナゴの佃煮って食べたことがありますか。
An.:
イナゴって先生、あの虫のことでしょうか・・・・・・。江澤はあまりなじみはありません。
Dr.:
私が子どもの頃は稲刈の後の時期に、田圃でイナゴを捕まえては、佃煮にして食べました。
An.:
それって・・・・・・、美味しいんでしょうか?
Dr.:
砂糖と醤油とで甘辛く煮付けて食べるんですけど、日本では古くから動物性蛋白質を摂取するために、食用にされていたんです。
An.:
ちっとも知りませんでした。
Dr.:
「本草和名」という918年頃作成された資料に、日本人がイナゴを食べていたことを示唆する記述がある、と言われます。
 ですから日本人の食事としては、歴史的に馴染み深いものと言えそうです。
An.:
ヘェーッ。
Dr.:
先に述べましたように、こうした昆虫食は動物性蛋白質の摂取が目的ですので、肉食が禁止されていた江戸時代の日本でも、貴重な栄養源と考えられていたようです。
An.:
そうだったんですねぇ。
Dr.:
ですから、明治維新後の日本では肉食が普及し、昆虫食の習慣は激減しました。しかし食糧難に見舞われた戦中から戦後にかけて、昆虫食は復活したんです。
 ただ一時期、水田に過剰な農薬散布が行なわれ、イナゴも少なくなったんですけど、殺虫剤の多用が批判されるようになって。
An.:
イナゴはまた、増加したんですね?
Dr.:
それで以前のようにイナゴ採りが、行なわれるようになりました。
An.:
動物性蛋白質の摂取が目的でしたら、他にも日本には、昆虫食の習慣があるんじゃあ?
Dr.:
特に山間部の、肉や魚の手に入れづらかった地域では、イナゴだけでなくハチノコや、ザザムシと呼ばれる川の浅瀬に住む昆虫類、そしてカイコガなども食用にされました。
An.:
ハチノコって、江澤も聞いたことがあります。
1998年 花の万博 会場にて 1998年 花の万博 会場にて
Dr.:
信州つまり長野県では、スズメバチの巣を採取して、巣の中の幼虫やさなぎを佃煮に料理します。
An.:
ススメバチの巣って、そんなに簡単に採れるんですか!?危険じゃないんでしょうか?
Dr.:
ハチの巣を見つけたら、夜になってからハチの出入口に特殊な花火を仕掛け、ハチを煙で燻す(いぶす)んです。
An.:
そして、ハチが麻痺したところで・・・・・・。
Dr.:
ハチの巣を採取するんです。
An.:
ハチの巣って、そんなに簡単に見つかるものなんでしょうか?
Dr.:
井伏鱒二って小説家の名前を、江澤さんはご存じですよね。
An.:
ええ、「山椒魚」や「ジョン万次郎漂流記」で有名ですよね。そうそう、「ドリトル先生アフリカ行き」を訳したのも、井伏鱒二でしたよね。
 江澤はドリトル先生が大好きで、何回も繰り返し読みふけった記憶があります。
オシツオサレツ オシツオサレツ
Dr.:
私もあれは好きでした。動物語の話せるドリトル先生が、奇妙な名前の・・・・・・そうそう「オシツオサレツ」なんて名前の動物もいましたね(笑)。そんな動物たちと、アフリカで活躍するんでしたねぇ。
An.:
あのドリトルという名前も・・・・・・。
Dr.:
そうなんです。つまり英語の "Do Little"ですから、日本語に訳すと「何にもできないお医者さん」という、すごい名前なんです(笑)。
An.:
で、その井伏鱒二が?
Dr.:
この井伏鱒二には、「スガレ追ひ」っていう短篇があるんですけど。その中に、信州の伊那地方で子どものときからハチの巣採りをやって来た人たちの、お話しが紹介されています。
An.:
それは面白そうですね。
Dr.:
今でもハチの巣を採取するのは、この方法が一般的らしいんですけど。
 まずカエルを捕まえます。
An.:
カエルですか?
Dr.:
その肉を、小さな肉団子にします。
An.:
直径2~3ミリって感じでしょうか。
Dr.:
作った肉団子に目印として、よじった真綿をくっつけておきます。これは、発泡スチロールでも代用できるみたいですけど。
An.:
目立つようにしておくんですね。
Dr.:
カエルの死骸を、ハチが飛んで来そうな場所においておくと、働きバチがやって来て肉団子を作ります。
An.:
光景が、目に浮かびそうです。
Dr.:
機を見て、その肉団子を真綿付きのそれに取り替えます。するとハチは、自分の肉団子と真綿肉団子を取り違えて、真綿の目印付きの肉団子をしっかりと抱いて(笑)。
An.:
巣へ向かうんですね?
Dr.:
暮れかけてまわりが薄暗くなっても、この白い真綿が目印となって・・・・・・。
An.:
ハチの飛んで行くのが、よく見えるんですね(笑)。
Dr.:
その跡を追い掛けて、ハチの巣のありかに辿り着くんです。
An.:
そして、その巣を燻す(いぶす)んですね。
Dr.:
江澤さん。さっそくマネしちゃいけませんよ(笑)。
An.:
お話しは次回に続く、ですね。本日はありがとうございました。
#

99話 珍しい食事2

An.:
三好先生、前回は先生が昆明市で珍しい食事に出会ったって話題から、イナゴの佃煮そしてハチノコのお話しを伺いました。
 こうした昆虫食は蛋白質も十分で、動物性蛋白質の摂取量の少なかった江戸時代や、第二次世界大戦の折にも食卓に上ったそうですね。
Dr.:
つい最近亡くなった、広島原爆の実態を描いた漫画家・中沢啓治さんの、あの「はだしのゲン」にも夕食としてイナゴを食べるシーンが出て来ます。
An.:
それは、世界大戦中の話題ですよね。
Dr.:
実際この時代には、特に農村部で蛋白質摂取量が不足していたので、栄養を補うためにどんな食品が適しているのか、研究がなされました。
An.:
その結果?
Dr.:
農村の主な食品300種類を分析検討した結論として、蛋白質含有量と消化吸収の面から、動物性食品ではイナゴがもっとも優れている、と報告されたんです。
An.:
ビタミン類はどうなんでしょう?
Dr.:
やはりイナゴはその点でも優秀で、ことにビタミンAがたっぷり含まれているんです。
An.:
へぇー。ちっとも知りませんでした。
 イナゴだけじゃあなくって、ハチノコも栄養満点のような気がしますよね。
 えっ、もしかすると先生が昆明医学院との調査で召し上がった珍しいお料理というのは昆虫だったんでしょうか!?
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。その通りです。
 1998年の5月連休と、10月の2回、調査に行ったんですけど。5月の調査のときにハチノコの料理を、私は生まれて初めて口にしました。
An.:
先生は・・・・・・、生まれて初めてで、平気でしたか?
 ノドを通らなかった、とか。そういうことは、ありませんでしたか。
Dr.:
世界各地で調査旅行をしていると、そういうことは、まぁありますから、ね。
 その翌年には、西安医学院などとの調査で、サソリのフライも食べていますしね。
An.:
サソリのお話しは又伺うとして、ハチノコ料理のお味はいかがでした?
Dr.:
後から調べてみると、昆明市や西双版納あたりでは、スズメバチの唐揚げや油炒めが盛んなんですね。
An.:
先生が召し上がったのも。
Dr.:
油炒めだったんですけれども、ね。
 これがとっても香ばしくって、ですね。
 青島ビールが昆明市のホテルには無かったものですから、良く冷えたカールスバーグ・ビールで頂きました(笑)。
An.:
それはどんな風に調理するんでしょうか。
Dr.:
手元にですね、「昆虫食文化事典」という本がありますので(笑)、そこから引用します。
 「唐揚げを作るには、直径40センチ、深さ15センチくらいの柄付き鍋にナタネ油をたっぷり入れて1分くらい加熱する。そこにハチノコ200グラムくらいを投じ、水分が飛ぶまで5~7分置いておく。その後ハチノコを油から上げ、塩を振りかけて表面が黄味を帯びるまで炒めてでき上がる。」
An.:
リアルな表現ですねぇ。でも先生、そんな本が出版されているんですね。
Dr.:
なんでもあり、の世界ですよね(笑)。
An.:
その他にも先生は、雲南省で珍しいものを食べて来たんでしょうか?
Dr.:
品薄で、実際に口にすることはできなかったんですけど。冬虫夏草も、メニューでは見て来ました。
冬虫夏草 冬虫夏草
An.:
トウチュウカソウって・・・・・・、それは一体何なんでしょうか。
Dr.:
これについても、昆虫食文化事典が大活躍です。読みます。
 「冬虫夏草は、バッカクキン目の
Cordiceps 属に属する子嚢菌の子座とその寄主である昆虫の複合体のことである。」
An.:
セーンセ、それって何のことでしょうか(笑)?
Dr.:
虫の背中にキノコが生えていて、すっごく栄養があるので、漢方薬に使用されるんですけど、ね。
An.:
でもそれって、とっても奇妙な名前ですよね(笑)。
Dr.:
チベットで採れるんですけど、現地では昔このキノコが、冬の間は虫の姿で過ごし、夏になると草になると信じられていた言い伝えによるものです。
An.:
やはり、すごく栄養があるんでしょうか?
Dr.:
1993年8月にドイツのシュトットガルト市で開催された、陸上世界選手権。
An.:
中国の女性ランナーたちが、大活躍をしましたね、確か。えーっと、馬(マー)軍団という名前の。
Dr.:
1万メートルで金銀、3千メートルで金銀銅、そして1500メートルで金メダルをゲットして、世界中がびっくりしました。
An.:
当時、ドーピングの疑惑もありました!
Dr.:
軍団を率いていた馬俊仁コーチがそれを否定し、高地トレーニングと冬虫夏草の服用の成果だと主張しました。
An.:
それで冬虫夏草が・・・・・・。
Dr.:
改めて有名になりました。
 この冬虫夏草の中でも、コウモリガに寄生するチベット産のものが、いちばん効果があるとされています。
An.:
でもどうやったら、そんな姿の漢方薬ができるんでしょうね。
Dr.:
冬虫夏草は、私たちが通ったチベット鉄道の途中にある那曲と呼ばれる標高5000メートルの地域のそれが、すごく有名です。
 次回はそのお話しです。
An.:
高地トレーニングと、冬虫夏草の、両方のお話しが伺えるかと(笑)。楽しみです。
Dr.・
An.:
本日は、ありがとうございました。
#

100話 開院20周年とかっぱの太ちゃん

かっぱの太ちゃん かっぱの太ちゃんの絵本がご覧いただけます
An.:
三好先生、ラジオ3443通信がこのOAで100回目を迎えます。
Dr.:
100回目のOAと言うと、・・・・・・江澤さん。このOAはいつから始まったんでしたっけ?
 あんまり昔のことで、私は忘れてしまいました(笑)。
An.:
先生、記念すべき第1回のOAは、2010年2月2日でした。
Dr.:
そうすると、この100回目のOAまで約3年間が過ぎたことになりますね!
 おまけに、私の三好耳鼻咽喉科クリニックは、1992年の1月22日オープンでしたから・・・・・・。
An.:
先生、今日がクリニックの開院記念日ですよ!
Dr.:
20周年を記念して、市民向け講演会と記念パーティーを開催しています。
An.:
記念講演会だったんですね、先生。どういった内容の講演会だったんでしょうか?もちろん、耳鼻咽喉科領域のお話しだったわけですよね。
Dr.:
このOAではまだ話題になっていないんですけど、難聴児と言って耳の不自由な子どもの教育のお話しです。
An.:
きっと、とっても重要なお話しなんでしょうね。いつかこのOAでも、その話題についてお話しを聞かせてくださいね。
 あ、そう言えば。三好先生のことですから、おなじみの医学マンガも記念出版しておられるんじゃあ、ないでしょうか。
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。今回も記念出版で難聴児についての、絵本を出版しました。
An.:
今回はマンガじゃあなくって、絵本だったんですね?
Dr.:
障害児の教育という、すごく真剣な内容なんですけれど、障害の克服ではなく、障害とともに人間が成長して行く有様を描きましたから。
An.:
ちょっとタッチを変えて、読み易く。
Dr.:
読む人の心に染みるような、そんな絵本にしました。
An.:
先生、このOAが記念すべき100回目となりますし、先生のクリニックも今日21周年の記念日ということで・・・・・・。
Dr.:
江澤さん、リスナー・プレゼントの企画のお話しですね。さすが江澤さんは、第6感がサエわたっています。
 ここに、リスナー・プレゼント用の絵本を5冊、準備して来ました。
An.:
あ、可愛い絵本ですね!
 「かっぱの太ちゃん」ってタイトルなんですねぇ。
Dr.:
これは実話なんですけれど。ワールデンブルグ症候群という先天性の病気で、目が青く髪の毛の一部が白く、しかも耳の不自由な疾患があるんです。
An.:
生れつき、耳が不自由なんですね。
Dr.:
太ちゃんという名前のこの子は、絵本でも判りますが、目が青くってすごく可愛いんです。
 ただ、一見してほかの子たちと違うことが、判っちゃうんです。
 そして、耳の障害が生後4ケ月の時点で判明します。
An.:
ご両親は、ショックだったでしょうね。
Dr.:
さらに衝撃が、ご両親を襲います。 太ちゃんが生後6ケ月のときに、東京生まれのこの子のお父さんが、仙台へ転勤となるんです。
An.:
ご両親は仙台は、初めて・・・・・・?
Dr.:
障害を持つわが子は、診断してくれた病院のある東京に残し、単身赴任で仙台へとも考えたらしいんですけど。
An.:
それじゃあ、あんまり可哀想!
Dr.:
家族は一緒に住むべきだと考えたご両親は、一家で仙台へ引っ越します。
 東京の大学病院が紹介してくれたのが、他ならぬ私のところでした。
An.:
それじゃあ先生は、生後6ケ月の愛らしい太ちゃんと、出会うことになるわけですね?
Dr.:
太ちゃんを最初に診たとき私が考えたのは、こんなことでした。
 この子が担っている病気や障害について、十分な知識も無いままに、誰一人知る人のいない仙台へやって来て、この一家は孤独に苛まれ(さいなまれ)はしないか。そういう問題です。
An.:
病気や障害もですが、社会的に適応できるかどうか、なんですね?
Dr.:
病気や障害を持った子どもの、そのハンディだけならまだしも、その子と生きる孤独な仙台は一家にとって、どんなにつらいだろうかと。私はそれを心配したんです。
An.:
先生、江澤も心配になって来ました。その子は、その一家は、どうなったんでしょうか。今更ですが、何か江澤にできることは無いものかしら、なんて考えちゃいます。
Dr.:
私はその場で、宮城県の難聴児を持つ親の会へ電話し、難聴児という障害についての生活面での注意点、そして何より仙台という見知らぬ土地で地元に溶け込んで生きる、生き方のアドヴァイスをもらえるよう、お願いしました。
An.:
うまく行きましたか、先生?
Dr.:
難聴児を持つ親の会の方たちは、自分たちの子どものときにも、どこで何をしたら良いのか判らずに、すごく苦労した経験があります。親身になって、お世話してくださいました。
An.:
良かったぁ・・・・・・。
Dr.:
太ちゃんというその子は、その後スイミング・スクールへ入り、「かっぱの太ちゃん」と呼ばれるほど水泳が上手になりました。スクールを通じ、親子ともども地域社会への溶け込みにも成功しました。
An.:
それが、この絵本になってるんですね?
Dr.:
記念に、いつものリスナー・プレゼントです。江澤さん、紹介を宜しく。
An.:
本日もありがとうございました。
#

101話 アレルギー調査と天空列車

An.:
三好先生、前回はこのラジオ3443通信の記念すべき100回目ということで、難聴児つまり耳の不自由な子どもについての絵本を、リスナー・プレゼント提供させて頂きました。
 それでフト思ったんですけど、先生。このラジオ3443通信は、本にはならないんでしょうか?
 先生のホーム・ページを拝見すると、3年間分のOAがすべてアップされていて、もしかすると・・・・・・、なんて気がしたものですから。
Dr.:
さすが、1を聞いて10を知る江澤さん。このラジオ3443通信は、実は当院の開院25周年記念として、単行本を出版する予定です。
An.:
先生、これまでの3年分のOAだけでも、かなりの分量ありますけど、25周年記念ですと、あと4年間。ずいぶん豊かな内容のご本になるんじゃあ・・・・・・。
Dr.:
何冊かに分けて少しずつ本にして行き、最終的に何冊かの単行本をセットにすることになりそうです。
An.:
先生、リスナー・プレゼントはいかがでしょうか?
Dr.:
もちろん、このOAを7年間聞いてくださる皆様には、優先的にプレゼントしたいと・・・・・・。
An.:
今から期待していて、良いんですね!
放送100回目です(人文字で『100』のつもり 放送100回目です
(人文字で『100』のつもり
Dr.:
私は、いつも言っているように、江澤さんのおねだりに、とっても弱いんです(笑)。約束します。
An.:
このOAをお聞きのリスナーの皆さん、今から三好先生のご本を、楽しみにしていらしてください。
Dr.:
ところで、お話しは前々回の冬虫夏草と高地トレーニングに戻ります。
An.:
ええっと冬虫夏草というのは、虫の背中にキノコが生えていて、漢方薬の中でも貴重薬扱いされているもののことでしたよね。
Dr.:
そうそう、その冬虫夏草は私たちの今回訪れた雲南省の香格里拉市では、スープなどの料理に入れて食べるらしいんですけど。たまたま品切れで、私たちは食べ損ないました。
An.:
それは残念!
Dr.:
今回同行したメンバーの中には、以前チベットでの調査旅行のときに、冬虫夏草を購入した人もいまして。
An.:
どんなお味でしたか?
Dr.:
彼は冬虫夏草を焼酎に浸けて、お酒として呑んだんですけど。すごくエネルギーがあるって、言ってました。
An.:
無茶苦茶(むちゃくちゃ)元気が出る、みたいな感じでしょうか。
チベット鉄道の夜 チベット鉄道の夜
Dr.:
そのメンバーとは、これまでにもチベットに数回行っていて、それ以前にも現地で冬虫夏草を購入して来ているんですけど。そのときには、せっかくの貴重薬をうっかりして忘れ去っていて、カビが生えてしまったんだそうです。
An.:
まぁ、もったいない。
Dr.:
以前にもちょっと触れたんですけど、この冬虫夏草はチベットの那曲(ナチュ)と呼ばれる標高5000メートルの地域で、良く採れるんです。
An.:
チベットで標高5000メートルというと、かなり気候の厳しい地域なんでしょうね。
Dr.:
私たちはチベット鉄道に乗って、この那曲の駅を通り過ぎたんですけど。
An.:
チベット鉄道のお話しは、以前いびきの特集のときにお伺いしました。その後江澤も色々と耳学問をしたんですけれど、チベット鉄道って別名「天空列車」と呼ばれ、鉄道マニア垂涎の的だそうですね。
Dr.:
もう一度、ご説明しましょう。
 私たちはこのチベット鉄道に、西寧(シーニン)市というダライ・ラマ14世の生まれた場所から、乗車しました。そこからチベットのラサ市まで、25時間かけて標高5000メートル以上の高原を、ひたすら走るんです。
An.:
25時間ですか(笑)。
Dr.:
私たちの乗車した天空列車は、夜の9時半にシーニン駅を出発し、次の夜の10時半にラサ駅に到着するんです。
An.:
24時間プラス1時間ですから、先生ホントに25時間かかるんですね(笑)!
Dr.:
シーニン駅から天空列車に乗るためには、飛行場並みの厳しいボディ・チェックがありまして、ね。荷物も人間も、危険物の持ち込みができないようになってました。
An.:
それは先生、もしかすると天空列車は空を飛ぶから、なんでしょうか(笑)。
Dr.:
江澤さん、それは銀河鉄道ですよ(笑)。
An.:
先生、ロマンチックですねぇ。
Dr.:
江澤さんとお話しすると、なぜかお話しがロマンチックになるんです(笑)。
 それで天空列車は最初西へ向かい、一夜明けたゴルムド駅というところで、それまで1両だった機関車を2~3台連結にします。
An.:
2~3両連結で高地を走るんでしたら、それは鉄道マニアには堪えられないでしょうねぇ。
Dr.:
この機関車は、アメリカのゼネラル・エレクトリック社のデイーゼル車で、4000馬力のエンジン搭載です。
An.:
4000馬力の機関車が、2~3台で牽引するんですね! 信じられない。
Dr.:
鉄腕アトムほどじゃあ、ないんですけど、ね。アトムは10万馬力ですからね(笑)。
An.:
先生は本当に、手塚治虫がお好きなんですね。ブラック・ジャックに鉄腕アトム、ですもの、ね(笑)。
Dr.:
「三つ目が通る」も大好きなんですけど、ね。話をもどしましょうよ(笑)。
 天空列車はゴルムドを朝7時に出発し、いよいよ5000メートルの山越えです。
An.:
きっと、スリリングなんでしょうね?
 続きがとても楽しみですけど、今回はお時間です。この続きはまた来週、です。
Dr.・
An.:
どうもありがとうございました。
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