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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

げんき倶楽部杜人

~シリーズ 学校健診その6~

 耳・鼻・のどに関する病気を扱う「三好耳鼻咽喉科クリニック」の三好彰院長は、耳鼻咽喉の診療に携わって30年余り。今回は、昨年9月にfmいずみで放送された内容を紹介する。

An.…江澤アナウンサー、Dr.…三好院長]

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An.:
ここまでは学校健診の重要性と、その結果から分かる意味について教えていただきました。そればかりではなく、むしろそれでは分からないことの意義と、その背後に何があるのかに関してもお話が進んでいます。
Dr.:
一般に行われている学校健診が、スクリーニングとしての役割を果たしていることは、お分かりいただけましたよね。そして私たちが学校健診の形式の中で、さまざまな疫学調査を、これまで実施してきたこともお分かりいただけたと思います。
An.:
それはよく分かりました。特に三好先生の場合は、日本国内だけでなくて世界各地で、それを実施していますものね。普通の学校健診だけでは得られない医学的新事実を、いくつも発見しているんじゃないんでしょうか。
Dr.:
江澤さんは1を聞いて10を知るのがお得意ですけど、ね(笑)。私たちはむしろ、1も知られていない、つまりなんにもない0から1を、すなわち新事実を発見することを目標に研究を進めて来ました。
An.:
すごいお話になってきましたね。先生の一連の健診を利用しての疫学調査ですが、最初は北海道白老町での健診からスタートしたんでしたよね。でも、なんで北海道からのスタートだったんですか?

健診結果で病気の傾向把握

Dr.:
ある病気の頻度や傾向を調べるためには、病院など医療機関で待っていても分かりません。
An.:
それは、町の食堂でカレーの注文とラーメンのオーダーを比較しても、住民の食生活の実態は把握できないのと、似ているわけですものね。
Dr.:
病気の全体像を把握するためには、一般住民の健康状態の調査が必要になりますから。それで、健診の活用が役立つんです。ただ、一般の人たちの健診は現実には実行困難ですから…。そこで学校健診の応用が脚光を浴びることになります。
An.:
と、言いますと?
Dr.:
仙台市ではもちろん、そんなことはあり得ないんですけどね。四半世紀前の北海道では、無医村まで極端じゃなくとも耳鼻科医がいない市町村が結構あったんです。
An.:
それは大変。
Dr.:
私たちが健診に行っている北海道白老町も、そんな耳鼻科医不在の自治体でしてね。学校保健法に定められた耳鼻咽喉科健診が、実行できずにいたんです。
An.:
それは困りますね。
Dr.:
で、白老町という町はですね、仙台市と歴史姉妹都市になっていまして、ですね。
An.:
歴史姉妹都市、ですか。それは、どうしてなんでしょうか。
Dr.:
幕末にロシアの南下があったことは、ご存知ですね? そのころの日本は鎖国状態だったんですけどね。ペリーの黒船がやって来たり、日本を開国させたりしようとする、世界各国の動きがあったんです。当時蝦夷地と呼ばれた北海道では、ロシアの船舶が良く見られました。司馬遼太郎の「菜の花の沖」で知られる高田屋嘉兵衛のロシアへの拉致が、1811年には発生していますから。
An.:
江澤もその本、読みました。
Dr.:
そもそも仙台藩では、工藤平助や林子平などがロシアの南下に警鐘を鳴らしていましたが、当時は誰も本気にしなかったんです。林子平などは、幕府に罰せられていますからねぇ。
An.:
「人心を惑わす、不届き者」ってわけですね。今から思うと、ひどいですよね。
Dr.:
でも、1853年のペリーの来日をきっかけに、幕府は1854年に米露と和親条約を締結します。徳川家康以来の江戸幕府の鎖国政策の、終焉(しゅうえん)です。それをきっかけに、こうした北からの脅威に対する警戒心が、にわかに高まりました。このため江戸幕府は、そのロシアを警戒して、東北6県の各藩に蝦夷地警備を担当させることになりました。
An.:
へえー。そうだったんですか。

仙台藩士三好氏が北海道へ

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Dr.:
中でも仙台藩には多大な期待が寄せられ、北方4島を含む蝦夷地の3分の1の警備が、幕府から任されたんです。
An.:
ちっとも知りませんでした。
Dr.:
その時、伊達藩から蝦夷地調査の責任者を命じられたのが、私の5代前の先祖だったんです。
An.:
えーっ! 先生のご先祖が、ですか?
Dr.:
三好監物(けんもつ)というその先祖は、1856年に苫小牧市と登別市の中間にある北海道白老町に、仙台藩の北方警備のための陣屋を建設しました。当時幕府からは「ユウフツ」という名前の土地を陣屋にと指定されていたそうです。そこは現在の苫小牧市です。しかし現地視察の結果、白老町に陣屋を建設したのが私の先祖だったんです。白老というのはアイヌ語の「シラ、ウォイ」つまり、虻(あぶ)の多い土地という言葉が元になっています。それで今でも北海道白老町では、三好監物を町の基礎を作った人物として、記憶しているんです。
An.:
白老町と三好先生には、そんなご縁があったんですね!?
Dr.:
次回は、その歴史的背景のお話です。
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