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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

ラジオ3443通信 英国紅茶の旅2

116話 英国で紅茶が流行った理由

An.:
三好先生、前回は三好先生の英国でのGWのお話から、おみやげの紅茶の話題をきかせて頂きました。
 英国の代表的な飲み物である紅茶が、一般市民の楽しみとなったのは、19世紀の半ばだったと伺いました。江澤はもっと昔から英国には紅茶があったのかと、思ってました。
Dr.:
上流階級の貴族たちは、もちろんそれ以前から紅茶に親しんでいました。
 けれどもその頃お茶は、中国や日本からの輸入品であって、当然高価です。英国の庶民には、手の届きにくいぜいたく品だったんですね。
An.:
紅茶って、ぜいたく品だったんですね!?
 それじゃ紅茶は、市民にとって高嶺の花だったんでしょうか?
Dr.:
ぜいたく品に憧れるのは、庶民も同じですから。19世紀にそれまで中国から持ち出し禁止だったお茶の木が、英国の植物収集家、これをプラント・ハンターって言うんですけど。
 ロバート・フォーチュンという名の、プラント・ハンターによって中国から持ち出され、それで庶民の味覚になった歴史があります。
An.:
先生からお聞きしたお話では、ロンドンでコレラが大流行したのは、1832年から49年頃のことでした。
 テムズ川の生水を飲んでいた市民が、熱湯でいれる紅茶を日常的に飲むようになって、コレラの流行は下火になったのですから・・・・・・。紅茶に市民が親しむようになったのは、確かに19世紀半ばと考えざるを得ません。
Dr.:
それは、後で細かく触れますが、あのアヘン戦争が1840年に発生していることを考えても、すじが通ってます。
An.:
アヘン戦争は、中国のお茶を英国が必要としたために、起こった戦争ですもの、ね。
Dr.:
ロンドンの街は、1666年の大火事ですべて石作りの建築だらけになります。
 それまでの漆喰作りの平屋建て住宅では、下水の処理もさほど問題にはなっていませんでした。けれども石作りの高層アパート住宅では、下水の処理に困ってしまいます。
 江澤さん。ロンドン市民は下水を、どうやって処理したんでしょう?
 ここに、「テムズ河ものがたり」という本があります。
 江澤さん。いつものように、朗読してください。
An.:
読みます。
 「イギリスのテレビコマーシャルに、いささか滑稽な作品があった。
 時代は19世紀の前半、舞台は下層階級の住むイースト・エンドの狭い路上で、折しもオバサン2人が激しい調子で罵りあっている。突然、長屋の2階の窓が開き別のオバサンが顔を出した。〝やかましいね、静かにおしよ〟と怒鳴るやいなや、オバサンはバケツに入った黄色い液体や、なにやら軟らかそうな粘土状のものを、路上の2人の頭上に撒き散らした。それはヒト様の排泄物、汚物だったのである。
 この頃、ロンドンには下水施設がなく、住民はバケツをトイレ代わりにしたり、寝台の下にチェインバー・ポットと呼ばれる便器を置いたりして用を足していた。
 当然テムズ河も生活排水で汚れる一方で、満足に浄化されていない川の水を飲んだり生活用水に使っていたロンドン市民の間で、悪質な伝染病が流行ったのも不思議な話ではなかった。」
 先生、先生。江澤は絶句してしまいます。
Dr.:
それが当時の、ロンドンの生活の実態だったんです(笑)。
An.:
それじゃテムズ川の水は、やはり相当汚染されていたんですね!
Dr.:
石作りの高層アパートに住んでいた住民たちは、用を足した便器の中身を夜間窓から街路へぶちまけた。そんなことを書いてある、別の本もあります。
An.:
夜、暗い街並を歩いていた人は災難だったでしょうね(笑)?
Dr.:
ですから、その儀式の前には住民たちは、外に向かって「ガーディ・ロー」つまり、「水に注意」という意味のフランス語を叫んで、それから汚物を放ったと言われます。
An.:
それは、ひどい(笑)。
Dr.:
ですから、テムズ河の水を生活用水として使用するなんて、今から考えると不衛生そのものだったんですよ。
An.:
以前伺ったお話では、ロンドンには上水道ができて、それ以来コレラの流行は減ったとか。
Dr.:
1852年に「都市水道法」が制定され、はるか上流から上水道を作ったので、それもコレラ激減に一役買っています。
 加えて1865年には、総延長132kmのレンガ作りの下水道も完成しましたから、コレラの流行は1866年のそれを最後に、終息します。
An.:
それに、なんと言っても熱湯でいれる紅茶の普及、ですよね!
Dr.:
アヘン戦争の原因が紅茶であったように、中国からの高価な紅茶の輸入は英国にとって、大変な負担でした。ですからその頃までは貴重品である紅茶は、庶民の飲み物ではなかったんです。
An.:
どうしてお茶は、そんなに高価だったんでしょうか?
Dr.:
清の国、つまり当時の中国では、お茶の葉は輸出したんですが、お茶の木は門外不出で、他の地域では生産できなかったんです。
An.:
その門外不出の茶の木を、清の国外に持ち出したのが、先生のお話にあった英国人なんですね?
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。ロバート・フォーチュンという名前のプラント・ハンターが、中国人に変装して茶の木を英国まで持ち帰ったんです。
An.:
それで初めて紅茶が、現在のような国民的飲料になったんですね。
Dr.:
江澤さんと、こうやって午後の紅茶を楽しむことができるのも、そのフォーチュンって人のお陰なんですよ。
An.:
三好先生、そのフォーチュンって人物、面白そうですね!
 もう少し、お話を聞かせてください。
Dr.:
では次回、お茶の木が清の国から国外へ持ち出された経緯も含めて、お話しします。
 お楽しみに!
#

117話 仰天!英国紅茶の歴史

「紅茶を受皿で」の表紙イラスト 「紅茶を受皿で」の表紙イラスト
An.:
三好先生、前回は英国の紅茶が19世紀の半ばに、それまでのぜいたく品から庶民の飲み物になったお話と、そのきっかけとなったのがロバート・フォーチュンという、プラント・ハンターだったとの話題を聞かせて頂きました。今回はそのフォーチュンについて、教えて頂けるんですね?
Dr.:
その前に江澤さん、紅茶にまつわるエピソードについて、2~3追加しておきます。
 江澤さん、この「紅茶を受皿で」という本の表紙を見てください。挿し絵のことですけれど。
An.:
あれっ、先生。ロンドンの街角で、男の人がお茶を飲んでます。本のタイトルから、きっとこれは紅茶なんでしょうけど。
 でも先生、どっかおかしいような・・・・・・。先生、先生。この人は紅茶を、ティー・カップじゃあなくって、受皿で飲んでいますよ!
Dr.:
この絵を良く見てください。この人は把手の付いた茶碗、つまりティー・ボウルから受皿に紅茶を注いで、飲んでいるでしょう。
 江澤さん。日本では緑茶はどうやって、飲むでしょう?
An.:
少なくとも、受皿に移して飲むなんてことはしません。把手の付いた茶碗も使いませんね。
Dr.:
紅茶は、滅菌できるくらい煮沸したお湯で煎れます。それに対して緑茶は・・・・・・。
An.:
少し冷ましたお湯でないと、緑茶は味が出ません。ああ、だから!?
Dr.:
この「紅茶を受皿で」という本には、著者が現在の英国で、実際に受皿で紅茶を飲む女性を目撃したエピソードが記されています。それはつまり、紅茶は熱湯に近い温度なので、冷ましながら飲む習慣があった。その裏付けとなるのが、表紙の挿し絵なんです。
An.:
先生! 先生のこれまでの歴史のお話と、ピッタリ符合しますよね。スゴイッ!
 ・・・・・・ところで先生。先生の今のお話に、ティー・ボウルって言葉が出て来ました。
 似たような言葉で、「フィンガー・ボウル」って名前を、江澤は聞いたことがあるんですけど。どう違うんでしょう?
Dr.:
フィンガー・ボウルっていうのは、洋食のフル・コースを食べた後に、指を洗うための小さな金属性のお碗です。
 これも有名なエピソードですけれど、英国の女王が海軍の士官たちと会食したときに、礼儀知らずの下士官がフィンガー・ボウルの水を、飲み水と間違って飲んでしまったんだそうです。もちろんとんだ不作法ですから、会食の参加者は皆、一瞬固まってしまいました。
 ところが、そこはさすがに英国女王です。ご自分も、そのフィンガー・ボウルの水を手に取ると、「下士官に乾杯! 」と音頭をとって飲み干してしまったんです。
An.:
それじゃその下士官は、恥をかかずに済んだんですね。さすが、英国女王です。
Dr.:
ところがこのエピソードから判ることは、当時の英国では食事の後に手を洗う必要があった、という事実です。
 江澤さん、これは何を意味しているでしょうか?
An.:
まさか、料理を手掴みで食べたなんてこと・・・・・・、あり得ませんよね!
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。そのとおりです。
 現在私たちが、いわゆるフル・コースの西洋料理を頂くときには、スプーン・ナイフ・フォークが揃っています。
An.:
ナイフやフォークなんて、2~3本揃っていることもあります。
 江澤はあれには、ホントに困ってしまって、ですね。どれから使って良いやら・・・・・・。お腹が空いているのに、目の前のおいしそうな食事に手が出せず、結構あせっちゃうんです。
Dr.:
江澤さんの怯える、スプーン・ナイフ・フォークのセットが普及したのは、実は18世紀頃のことなんです。
 江澤さん。江澤さんだって、ロビン・フッドがナイフとフォークを使いこなして、シャーウッドの森で宴会を開いたなんて、想像できませんよね(笑)?
An.:
たしか映画のロビン・フッドは、肉の固まりを手掴みで頬張っていました。
Dr.:
ですから江澤さん、そうした宴会セットが習慣となるまで、料理は現在のフル・コースのように、各自一人前ずつサービスされるのではなく、山盛りの肉を手でつかんで口に運んだんです。
An.:
それじゃ、手が汚れますね。
Dr.:
そのために提供されたのが、フィンガー・ボウルで、指を洗って食事を進めた習慣が、今でもサービスの中に取り入れられているんです。
An.:
なんだか江澤には、信じられないような気がします。
Dr.:
その証拠に、キリストの「 最後の晩餐」。有名ですよね。
An.:
レオナルド・ダ・ヴィンチの名作ですもの、ね。
Dr.:
ダ・ヴィンチだけじゃあなくって、古くから多くの画家が題材にして名画を描いて来ました。
 それを見ると、古い時代の「最後の晩餐」ほど食器は少なく、1494年から98年にかけて描かれたダ・ヴィンチのそれが、もっとも食器類は多いんです。
An.:
ヘエー!?
Dr.:
いずれにしてもこれら「晩餐」の絵では、テーブル上に各自のお皿がおいてあり、絵の真ん中には大きな盛り皿があります。けれども、たまにナイフは見られますが、フォークもスプーンも見当らないんです。
An.:
じゃあキリストの時代の人々は、ナイフもフォークも無かったので、手で食事を鷲掴みにして食べたんでしょうね?
Dr.:
ですから、ロビン・フッドもその仲間たちと、手掴みで獲物を口に運んだんだと思いますよ。
 ところで英国には、ですね。洗礼式、つまりキリスト教の儀式のときに、スプーンをプレゼントされる習慣があって、身分によってその材質が異なったんです。このため、裕福な家に生まれたことを「銀の匙をくわえて生まれた」と言うんです。
An.:
銀の食器! ステキですね。
Dr.:
次回はそのお話です。お楽しみに。
#

118話 銀の価値と英国の水質事情

シャーウッドの森のロビン・フッド シャーウッドの森のロビン・フッド
An.:
三好先生、前回は紅茶の話題から、銀のスプーンのお話を聞かせて頂きました。
 あっつい紅茶にミルクや砂糖を入れて、銀色のスプーンで掻き混ぜて頂く・・・・・・なんて、想像しただけでもワクワクします。
 でもその紅茶を冷ますために英国では、紅茶の茶碗つまりティー・カップから受皿に注いで、それから飲む習慣があったんですね。
Dr.:
ですから1杯の紅茶のことを、“a cup of tea”ではなく、“a dish of tea” と呼ぶんだそうです。
An.:
へぇ、1皿の紅茶ですか?
Dr.:
それと、紅茶を掻き混ぜるスプーンですが、「銀の匙をくわえて生まれる」という言葉が、裕福な家庭に生まれたことを意味する。前回そう、お話ししました。
An.:
それって、ステキですね!
Dr.:
でも実はこれには、実用的な意味合いもあって・・・・・。
 古代からその当時の英国まで、家督争いなどを巡る暗殺には、砒素という毒が良く使用されたんです。
An.:
えっ! 毒物ですか。
Dr.:
ところが銀の食器は、砒素に反応して変色する特徴がありまして・・・・・・。
An.:
銀のスプーンで、毒物が鑑定できるんですね!
Dr.:
裕福な家庭では毒殺予防のために、銀の食器が多用された。そんな現実的な背景もあったんです。
An.:
豊かな英国の家庭にも、そんな隠された秘話があるんですね。
Dr.:
もちろん銀という貴金属には、財産としての価値もあったんです。
 ところで江澤さん。金と銀ではどちらが、価値が高いでしょうか?
An.:
金1Kgと銀1Kgですか、三好先生?
Dr.:
いえいえ、金1万円分と銀1万円分・・・・・・(笑)。そういう冗談ではありませんので、どうぞ勘違いしないでください(笑)。
An.:
江澤はてっきり、アルキメデスの原理のお話かと(笑)。
Dr.:
アルキメデスについては、いつか、また。
 ところで、例え話をしましょう。
 江澤さん、日本の諺に「沈黙は金、雄辯は銀」という言葉があります。
An.:
ああそれ、知ってます。
 たしか、「男は黙って・・・・・・」シリーズのコマーシャルの一部で、おしゃべり男は安っぽく見える。そんな意味だったんでしょうか?
Dr.:
実はこの言葉は、現代日本のコマーシャルじゃなくって、ですね。
 紀元前384年生まれの、アテネの雄辯家・デモステネスという人の言葉でして、ですね。
An.:
えっ、先生。紀元前のギリシャですか?
Dr.:
江澤さん。その頃のギリシャ、いえいえ全世界では、金と銀のどちらが高価だったでしょうね?
An.:
先生、もちろん金の方が銀より価値があったんですよね!
 キラキラしてますし。
Dr.:
ところがどっこい、江澤さん。金の値段が銀より高くなるのは、1533年にインカ帝国がスペインによって滅ぼされ、インカの銀が大量に採掘されたためなんです。
An.:
それじゃあ、それ以前は金よりも銀の値段が高かった!?
Dr.:
そうです。まして、インカ帝国滅亡の2000年前のギリシャでは、当然銀の価値は金よりはるかに上でした。
An.:
せ、先生。「沈黙は金、雄辯は銀」という言葉の真の意味は?
Dr.:
そうです。さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。
 雄辯こそは、民主主義の本道であり、議論を通じてこそ国民の意志が確認できる。黙っていては、議論にならない。
 そんな意味だったんです。
An.:
先生! 江澤のジョーシキがすべて引っ繰り返ってしまいました。
 この言葉は、そういう深い真意を込めた内容なんですね。
 いやー、世界は深いですね!
Dr.:
江澤さん。江澤さんとの午後のお茶会に、実にふさわしいお話ですね(笑)。
An.:
先生から頂いた紅茶の味わいが、一段と染み渡ります。
Dr.:
ところでその茶のお話なんですけど、ね。英国では、以前お話ししましたように、水は不潔で飲めなかったんです。
An.:
英国ではそれまで、何を飲んでいたんでしたっけ?
Dr.:
エールという、英国ビールが主だったようです。このエールには、ホップが入っていないので、本物のビールのような苦みが乏しいんです。
An.:
本物のビールじゃなくっとも、それなりのお値段だったんじゃないんですか?
Dr.:
汚染されていない水も、ビールと同じくらい高価だったんです。
 「英国生活物語」という本には、こう書いてあります。江澤さん、出番です(笑)。
An.:
「水道の本管は大きな町にしか通っていなかった。たとえば1840年頃のバースのある住民はさほど良質でもない水のために、4分の1マイル以上も足を運んだ。〝これは上等のビールと同じで貴重品でした。ですから、料理などに使うわけにはいきません。料理や洗濯の水を汲んで来るのは、川からです。もっとも濁っていて変な臭いがしますが。いろいろ汚いものが流れて来ますから。〟」
 これは、当時の住民の証言なんですね。
 先生、先生。江澤には信じられません。
Dr.:
当時の英国の衛生状態が、江澤さんにも良く理解して頂けるでしょう。
 ですから飲み物として、ビールは決して高価ではなかったんです。
An.:
先生、お話も盛り上がっていますが、今回はお時間です。
Dr.・
An.:
本日は、ありがとうございました。

119話 英国で紅茶が流行った理由

『英国生活物語』 『英国生活物語』
An.:
三好先生、前回は英国で紅茶を飲む習慣が定着するまで、英国の人々は水ではなくエールと呼ばれる英国ビールを愛飲していた。それは英国の水は余り清潔ではなかったし、清潔な水はエールと同じくらい高価だったからだ、と教えて頂きました。
 でも三好先生、日本人より英国の人々はお酒が強いのかも知れませんけど・・・・・・。毎日朝から晩までビールを飲み続けて、酔ってしまわないんでしょうか?
 ヘーキで、お仕事できたんでしょうか?
Dr.:
当時の英国の水は飲料として、不潔で役に立たなかったとご説明しました。牛乳も、冷蔵庫が無かったので、バイ菌の繁殖が起こり易く、感染の元でした。もっとも危険だったのは、牛乳が結核菌の感染源になっていた事実です。
An.:
健康にはとっても良いイメージのある牛乳ですが、それじゃ当時の英国の人たちは、困っちゃいますね!
Dr.:
それに対してビールは、穏やかな殺菌作用がありますし、カロリーがありますからエネルギー補充に役立ちます。
 当時の英国の一般的な食事が、栄養学的に不十分だったので、ビールで補っていた一面もあります。
An.:
ビールは栄養補強に、きっととっても役立ったんでしょうね(笑)!
Dr.:
私たちも、1日の仕事をすべて終えて、グッと飲み干すビールの1杯には、精神的な栄養補充の役割があるって、実感しますから(笑)。
An.:
リラックスしますし、ね。
Dr.:
ところが当時の英国では、エールのお陰で朝からそうしたリラックス状態が、一日中継続していたんです。
 資料を読みますと、英国宮廷のある年代記作者が、「紳士も淑女も朝、昼、夜と、頭がボーッとしていた」と書いていました。
An.:
まさか日常の大切なお仕事まで、そんな状態で勤務していたわけじゃあ、ないんですよね?
Dr.:
江澤さん。ここに「茶の世界史」という本があります。それを読むとですね。
 「舟造りも、法律の起草も、車を引くのも、服を縫うのも、契約に署名するのも、田野を走るのも、とにかく社会のどの水準における活動も酔った状態で行なわれた。エリザベス1世は朝食時に強いエールをしこたま飲み、御幸の際は、土地のエールが女王の御意に叶うかどうかを確かめるために、毒味役が先遣させられた。こうして見ると、当時のイギリス社会がそれでもうまく機能していたのにはまさに驚くほかない。また時としてそれが機能しなかったわけも、おそらくよく理解できることだろう。」
An.:
そんなことが、現実にあったんですね!
Dr.:
その状態に輪をかけたのが、オランダからのジンの輸入です。
An.:
ジンって、とても強いお酒ですよね。アルコール度40%くらいの。
Dr.:
やはり「茶の世界史」の本によりますと、当時英国のすべての男女および乳児や子どもたちは、毎日ジン・グラス1杯と缶ビール2・5本、飲んでいた計算になるそうです。
An.:
先生この本にはこう、書いてありますよ。「安価で即効性のあるジンがあれば、貧しい人々はつかのま、飢え、寒さ、そして彼らの生活のあらゆる面に染みとおっている絶望感を忘れることができた。ジンは成人男子と女子に飲まれただけでなく、子供にも与えられた。直接には赤ん坊を寝かしつけるために、間接にはジンを飲む乳母の乳から。」信じられません!
Dr.:
そんな社会環境では、いかに当時英国に産業革命が進行していても、機械化した業務はとても不可能です。
An.:
危険ですものね。
Dr.:
そこでお茶に注目が集まり、アルコールの入っていない飲料として、お茶の需要が急増したんです。
An.:
お茶のブームが起きたんですね?
Dr.:
ところがその頃、お茶は当時の中国つまり清の国では広東、すなわち今の広州市からしか輸出されませんでした。
 しかも、中国内は一種の鎖国状態でしたから自由な売買はできず、そのせいでお茶はとっても高価だったんです。
An.:
日本のお茶は英国では、売れなかったんでしょうか?
Dr.:
日本のお茶は緑茶で、当初英国でもニーズがあったみたいなんですけど。
 けれども英国では、お茶にミルクと砂糖を入れる習慣がその後流行となって・・・・・・。
An.:
緑茶にミルクと砂糖を入れるのは、ちょっと考えものですからね。
Dr.:
高価だったお茶は、模造品も多く出回っていたらしいんですけど。紅茶よりも緑茶の方が、模造品を作り易かったらしいんです。
An.:
それじゃ、緑茶は信用をなくした?
Dr.:
それもあって、紅茶が英国では主流となったようです。
 でも江澤さん。紅茶だって、模造品や混ぜ物が皆無だったわけじゃありません。
An.:
完全に、というのは何でも難しいですから、ね。
Dr.:
紅茶は、先日江澤さんにおみやげにしたように、小分けにして手ごろな大きさの缶に詰められています。
An.:
あの缶もステキですものね。
Dr.:
あの缶には、実用的な意味がありまして。紅茶が量り売りをされていた状態では、中国から英国へ至るルートの、どこで混ぜ物が混入されるか、判りません。
 そこで最初から、原産地であの小さな缶に紅茶を詰め、そこで封印をしてしまえば・・・・・・。
An.:
まがいものの混入される可能性は、先生それこそゼロですね!
Dr.:
そうした工夫の結果、江澤さんのお手元には、しゃれた缶入りの本場の紅茶が届くことになったんです。
An.:
江澤の紅茶は、そうした歴史の積み重ねだったんですね(笑)。
Dr.:
お話は続く、です。次回もどうぞお楽しみに!
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