3443通信 オンライン  
みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

ラジオ3443通信 英国紅茶の旅3

120話  紅茶はヨーロッパでは流行らなかった?

An.:
三好先生、産業革命以前の英国では、一般的な飲み物として、英国ビールのエールやジンがメインだった。しかし産業革命の進行に伴って、アルコールの入らない飲み物のニーズが高まり、お茶を飲む習慣が広まった。中国や日本から輸入されたお茶はしかし高価で、ロバート・フォーチュンというプラント・ハンターが活躍するまで、庶民には高嶺の花だった。とはいえニーズが高まったせいで、徐々にお茶は英国民に浸透して行った。お茶として、当初は緑茶も人気があったけれど、ミルクと砂糖を入れてお茶を飲む習慣が流行り、緑茶は次第に紅茶にとって代わられるようになった。
 そんなお話でした。
 でも先生、どうしてドイツやフランスなどヨーロッパの他の国では、飲み物として紅茶が広まらなかったんでしょうか?
Dr.:
1つには英国側のビール供給体制が綻びていて、飲み物を含め食料の輸入が必要だったこと。それが原因の一端でした。
 すでに18世紀始めには、英国式小麦ビールつまりエールのことですけれど。それを醸造するために、英国で生産された小麦の半分近くが、消費されたと言われます。当時英国国内の農業生産だけで、急激に増加した人口を養い、エールまで生産し続けるのは不可能でした。言い方を変えれば、産業革命後の人口増加に農業生産力が追い付かなくなっていたわけです。
An.:
それじゃ食料は国外から?
Dr.:
英国の植民地から食料を調達したんですけれど、お茶や砂糖を植民地から入手できたので、ミルクと砂糖入りの紅茶は良い栄養源となったんです。
 他のヨーロッパの国々は、英国ほど適切な植民地を有していなかったため、そううまくは行かなかったんです。
An.:
砂糖の供給が影響していたんですね!
Dr.:
もう1つには、紅茶はドイツやフランスの水、つまりカルシウム含有量の多い硬水ではうまく味が出ないんです。
An.:
江澤も聞いたことがあります。
 ドイツやフランスの水って、マグネシウムやカルシウムが入っているんですね。
Dr.:
私は1972年に、ドイツのハイデルベルグ大学でドイツ語の夏期講習会を受けたことがありまして。
An.:
先生はドイツ語も喋れるんですか?
Dr.:
1ケ月間の講習会だったんですけれど、最初の日に大学をのぞき見しに行っただけで、後は毎日ドイツ・ビールの体験会を自主開催していました。
 ですから、私の覚えたドイツ語はメニューの読み方だけで。でも食べ物には、詳しくなりました(笑)。
An.:
先生、先生の学んだドイツ語を聞かせてください(笑)。
Dr.:
えーっと。ビールのオーダーは、ですね。普通のビール、つまり黒ビールじゃないビールは、"ein helles Bier,bitte" でですね、黒ビールを頼むときには、"ein dunkles Bier,bitte"ですねぇ。
An.:
先生それは、いったいどういう意味なんでしょうか?
Dr.:
"ein helles Bier" というのは、「明るいビール」という意味で、逆に"ein dunkles Bier" というのは「暗いビール」という意味の言葉です。
An.:
ああ、暗いビールが黒ビールのことで、明るいビールが暗くない、すなわち普通のビールのことなんですね!?
Dr.:
でね、江澤さん。楽しくビールを飲んで、ハシゴすることを"Bierreise" つまりビール旅行と表現し、二日酔いのことを"Katzenーjammer" つまり「ネコの病気」って言うんですよ。
An.:
「ネコの病気」(笑)?
Dr.:
くたっとして、部屋のすみっこでネコみたいにうずくまっているから、「ネコの病気」(笑)。
An.:
話をもどしましょうよ、先生(笑)。
Dr.:
で、大学の傍の安宿で朝、歯磨きしようとすると、コップの中には白い石灰分が析出していて。つまりドイツの水道水は硬水なので、そんなことが起こるんですよ。
An.:
その硬水では、紅茶は美味しく作れないんですね?
Dr.:
そうした水の違いも、英国とは異なりドイツやフランスで紅茶が普及しなかった理由だと、私は体験的に思います。
An.:
先生の実体験なんですもの、ね(笑)。
 ところで先生、中国や日本じゃお茶にミルクも砂糖も入れませんよね。どうして英国じゃ、ミルクと砂糖が付き物なんでしょうか?
Dr.:
ミルクをお茶に入れる習慣は、チベットのバター茶にも見られますから、牧畜が主体の地域ではあり得ることだと思います。
An.:
バター茶! ありましたよねぇ。
Dr.:
モンゴルでも、お茶にミルクを入れる習慣があるそうですから、この推測は間違いないと思います。
An.:
それでは、砂糖は?
Dr.:
砂糖も昔は貴重品でして、その当時は甘味は蜂蜜で補っていたとされます。
 何分甘味はカロリーの元ですから、人間の体を維持するためには必要不可欠な要素の1つです。摂取し過ぎると、別の問題が発生しますけれども(笑)。
An.:
先生、砂糖は砂糖きびから採れるんですよね。砂糖きびというと江澤は、先生の行って来られたブラジルのことを思い出すんですけど。
Dr.:
ブラジルには砂糖きびが原料の、ピンガっていう焼酎がありますし。世界的なガソリン不足のときには、砂糖きびからエタノールを作って車の燃料にしました。ガソリン・スタンドならぬ砂糖きびスタンドがあったんです。ところがその燃料用エタノールはつまり、焼酎のピンガと同じ成分なので・・・・・・。スタンドでエタノールを盗み呑みするブラジル人が、あとを断たなかった。  政府は仕方なしに、スタンドのエタノールに少しガソリンを混ぜることにしたんです(笑)。盗み呑みはなくなったそうですけど。
An.:
先生、物凄い盛り上がりを見せていますが・・・・・・。今回もお時間です。
Dr.・
An.:
本日もありがとうございました。
#

121話 ロビンソン・クルーソーと砂糖貿易

ロビンソンの航海と難船(中南米の地図) ロビンソンの航海と難船(中南米の地図)
An.:
三好先生、前回はブラジルで砂糖きびの生産の行なわれたことが、世界に砂糖の広まる原因だった。そんな話題を聞かせて頂きました。ブラジルはたしか、ナポレオンに本国を追われたポルトガルが支配した領地でしたから、ヨーロッパにはポルトガルから砂糖が入って来たんでしょうか?
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。17世紀の中頃に、ポルトガルから英国王室に嫁いだ「ブラガンサのキャサリン」として知られる王女が、その結婚の折に英国に砂糖を持ち込みます。
An.:
「結婚の折」と言いますと、持参金代わりでしょうか。
Dr.:
ますますサエてる江澤さん。当時一般的には、銀を持参金にする習慣があったんですけど、キャサリンは船いっぱいに砂糖を積んで英国へお嫁入りしたんです。
An.:
船1艚分の砂糖でしょうか!?
Dr.:
その当時の砂糖は貴重品で、本当に銀と同じ価値がありましたので、持参金として通用したんです。
An.:
その砂糖は、紅茶を飲むのに必要不可欠になったわけですね?
Dr.:
実際、英国における紅茶の消費量と砂糖の消費量を比較したグラフを見ると、両者の増加がまったく同時に生じていることが、理解できます。
An.:
英国は砂糖を、すべてポルトガルからの輸入に頼っていたんでしょうか。
Dr.:
ポルトガルはブラジルで、砂糖きびを栽培していました。砂糖きび栽培には、赤道直下の暑い厳しい気候の下で、勤勉に働く労働力が必要です。
 江澤さん。ポルトガルがブラジルに王室を移動したとき、一緒に連れて行ったのはどんな人たちだったでしょうね。
An.:
三好先生! 三好先生がブラジルでアレルギー調査をしたときのお話、憶えています。
 ポルトガルはアフリカからブラジルへ、奴隷を労働力として連れて行ったんでしたね!
Dr.:
江澤さんのお好きな、ブラジル音楽のサンバ発祥の地と言われる、バイーア州のサルバドール。ブラジルの東海岸に位置するこの町は、現在ではブラジルで3番目に大きな都市として知られてます。
 サルバドールという名前は、ポルトガル語で救世主つまりイエス・キリストを意味していますが、ブラジル最初の首都でした。
 ですからこの町は別名「サン・サルバドール」、つまり「聖なる救世主」とも呼ばれるんです。
An.:
サンバの生まれた町ということは、アフリカから移住した住民が多いんでしょうね?
Dr.:
この町こそが、「ブラガンサのキャサリン」の大量の砂糖の産地で、ポルトガルがアフリカから奴隷を運んで砂糖きび栽培に従事させたんです。
An.:
サンバと砂糖きびの町なんですね。
Dr.:
英国はポルトガルを見習い、当時英国の植民地だったカリブ海で砂糖きび栽培を始めました。
 ところで、江澤さん。江澤さんは、「ロビンソン・クルーソー」のお話を知ってますよね?
An.:
絶海の孤島で、何年間も一人暮らしをした男の人の、有名な小説ですね。
Dr.:
絶海の孤島と小説の中に書いてある島は、もちろん実在しません。でもその孤島のあった位置は、現在では南米・ベネズエラから大西洋に注ぐ、オリノコ川の河口の少し東にあると、考えられています。
An.:
えっ、先生。ロビンソン・クルーソーの住んでいた島が、今じゃ判っているんですか?
Dr.:
そのロビンソン・クルーソーが、アフリカからブラジルへの奴隷貿易を手懸けようとして、パートナーに選んだのがサルバドール。つまりサンバの町、なんです。
An.:
そんなお話もあるんですねぇ!
Dr.:
英国に生まれたロビンソン・クルーソーは、このサルバトールで4年間砂糖きび農園を経営し、成功を収めます。
 世界地図を見ると、アフリカの黄金海岸沿いのギニア湾は、大西洋を挟んでサルバトールのすぐ北西にあります。
 ロビンソン・クルーソーは、サルバトールの港を出て北上中の船が赤道を越える頃、最初の嵐に遭遇しオリノコ川の方向に流されます。
 そして第2の嵐のために難破し、いわゆる「孤島」に打ち上げられます。
An.:
地図で見ると先生、そこはカリブ海の東側に相当しますね。
Dr.:
ロビンソン・クルーソーの物語は、実はカリブ海の英国の領地の近辺で進行する、冒険小説だったんです。
An.:
と言うことは、当時の英国にとってカリブ海は重要な土地だった?
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。そこから、紅茶に入れる砂糖のお話に戻るんですけど。
 その前に少し、ブラジルのサンバに纏わる話題を触りだけ(笑)。
An.:
先生はサンバに、特別な思い入れがあるんでしょうね。
Dr.:
サンバはサンバでも、ちょっと違う意味のサンバとご縁がありまして。ブラジル関係ですけれど、ね。
An.:
何でしょう? 先生のお話、おもしろそう!
Dr.:
私のブラジルでのアレルギー調査については、先に触れたことがあります。
 この調査は南緯10度のブラジル北西部の町、レシーフェ市で行なわれました。
An.:
南緯10度ですか。きっとステキなところなんでしょうね?
Dr.:
私が宿泊した海岸沿いのホテルからは、窓一杯に海が広がっていて。私は生まれて初めて、大西洋から昇る朝日を見ることができました。
An.:
大西洋の朝日!? それはスゴイ。
Dr.:
このときの調査については、後程ご説明しますが。これとは別に、南緯3度の地域つまりフォルタレーザ市でのJICAのプロジェクトに協力したことがあります。
An.:
次回はそのお話ですね。楽しみです!
#

122話 ブラジルのサンバさん

An.:
三好先生、前回はブラジルの南緯3度の地域つまりフォルタレーザ市でのJICAの活動に、先生が協力したときのお話でした。
 本日はその詳細と、サンバについてのおもしろい話題を伺えるとか。
Dr.:
このJICAのプロジェクトは、ポルトガル語で"Projeto Luz" つまり「光のプロジェクト」という名前です。
An.:
「光のプロジェクト」。なんてステキな名前でしょう。
 まるで、人間が輝いて生きる。そんな目的のための計画じゃないかって、江澤はそう思いました。
Dr.:
このラジオ3443通信は、話題が世界中のしかも紀元前から未来にまで至るお話ですけど、一応私の専門である耳鼻咽喉科の病気がメインです。
 でも今回のテーマは、人間が生まれることの科学で、直接耳鼻科とは関係ありません。とはいえブラジルと私との関わりをご説明するためには、欠かせないエピソードの数々ですので、耳を貸してください。
ブラジルへ派遣された 助産婦さんたちと(ロス・アンジェルス空港にて) ブラジルへ派遣された 助産婦さんたちと(ロス・アンジェルス空港にて)
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当院のサンバ・チーム 当院のサンバ・チーム
An.:
人間が生まれると言うと、出産のお話でしょうか?
Dr.:
「光のプロジェクト」のことなんですけど、ね。ブラジルでは出産のことを、"dar a luz"つまり「光に与える」って言い方をするんです。
An.:
それも、とっても良い表現ですね。
Dr.:
それでですね。今でこそ日本は、世界一衛生的な環境で生活一般から医療に至るまで、細菌感染とは無縁な状況です。
 でもそれは比較的近年のことであって、日本でも昔から現在ほど清潔な住環境や医療環境が、整っていたわけじゃありません。
An.:
出産も、そうだったんでしょうか?
Dr.:
前にもお話ししましたように、感染症を引き起こす細菌が発見されたのが、19世紀の半ばでしたから、それ以前は消毒や滅菌といった基本的衛生概念がなかったんです。
 出産についても、細菌感染の予防すらできていなかったので、産褥熱つまり出産時の感染で亡くなる母体が少なくなかったんです。でも清潔な状態をキープしてやれば、それは無くなりますので、それ以降は出産を巡る母子の健康状態は一変しました。
An.:
紅茶の流行とロンドン市民の健康状態、みたいなお話なんですね(笑)?
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Dr.:
ただしそれは、現在の日本だから実現可能な一面もありまして。
 ブラジルのような広大な土地で、十分な医療環境が整備されていなかったら・・・・・・。
An.:
衛生的な、母子の健康が保障された出産、だけじゃないかも。
Dr.:
まして気候も、ブラジルはもちろん、日本のような温暖な土地じゃありませんから。
An.:
熱帯気候でしょうから、ね。
Dr.:
当然医者の数もブラジルでは不足してますし、看護師はさらに人数が少ないんです。
An.:
人手不足なんですね?
Dr.:
妊婦が出産時に、誰にもかまってもらえないばかりか、医師がいても自然に生まれてくるのを待てず、切開して出産することが当たり前になっていたんです。
An.:
それもどうなんでしょうね(笑)? あんまり自然な状態じゃなさそうな感じ。
Dr.:
その体制の打開に尽力したのが、JICAの「光のプロジェクト」だったんです。
An.:
具体的に先生、それはどんな?
Dr.:
耳鼻咽喉科領域のお話じゃないので、十分な説明かどうか、不安ではありますが。
 ブラジル流じゃなくって、日本古来の伝統的な出産法。つまり出産予定日前から母子の十分なケアを行ない、自然な出産をスムースにヘルプしてやる、助産婦さんの積極的な活用とそのための助産婦さんの育成。一言で言えば、それがこのプロジェクトの骨子です。
An.:
地球の真裏で、日本式の古からの知恵が、十分に活用されたんですね!
Dr.:
出産のそのときだけじゃなくって、前後もしっかり母子のケアをすることと、不自然な出産ではなくごく自然なそれがなされるよう、周囲がチームを組んで協力すること、ですね。
 そのために、母子との人間的な関係作りに非常に力を入れます。
 出産も、そのときだけ別の部屋を準備するのではなく、入院したその部屋でできるよう工夫されてます。
 実はそんな出産環境の作成に、仙台市の建築家がブラジルまで行っているんです。
An.:
そんなことがあったんですね!
 先生も、お力添えしておられたんでしたよね?
Dr.:
私はまず、そのプロジェクトの中心になった、当時東北大学の助教授だった医師と、JICAの担当者との間に立ちました。
 それに、現地の日本人関係者とのつなぎ役を務めたり、ブラジルで関係者と合ったりしました。
 ちょうど私も、ブラジルでのアレルギー調査を予定していた時期だったので、それもタイミング的に良かったのかも知れません。
An.:
それにしても、南緯3度なんてきっと暑いんでしょうね?
 それこそ情熱の音楽であるサンバが、すごく似合う地域なんでしょうね。
Dr.:
南半球と北半球とでは、夏と冬が逆ですから、ブラジルを訪問するのには、現地が少しでも涼しい冬、つまり日本の夏に出掛けるんです。
An.:
夏・冬が逆転しているんですものね。
Dr.:
おまけに日本から、地面をまっすぐに掘り進むとブラジルに到達するので。ブラジルは私たちの立っているこの真下に存在するんです。
An.:
そうか! 時差は12時間。昼と夜も完全に反対ですね。
Dr.:
そんな思いをして、三好先生はどうしてブラジルへいくんですかって聞かれるんです。「サンバ」でも見に行くんですかって。
An.:
実は先生は産婆さん(笑)、つまり助産婦を見に行ったんですよね!?
Dr.:
江澤さんのギャグで本日は「落ち」です。
Dr.・
An.:
ありがとうございました。

123話 ベンジャミン・フランクリンの凧と雷

ベンジャミン・フランクリンと雷電壜(ライデンビン) ベンジャミン・フランクリンと雷電壜(ライデンビン)
An.:
三好先生、紅茶に入れる砂糖のお話から、前回はブラジルと三好先生の関わりのお話、そしてJICAとの「光のプロジェクト」の話題を聞かせて頂きました。
 ところで先生。お話の流れを元に戻すと。たしかこんなストーリーだったんじゃないかな、と江澤は思うんですが。
 ええっと、産業革命以前の英国では、一般的な飲み物として、英国ビールのエールやジンがメインだった。しかし産業革命の進行に伴って、アルコールの入らない飲み物のニーズが高まり、お茶を飲む習慣が広まった。中国や日本から輸入されたお茶はしかし高価で、庶民には高嶺の花だった。とはいえニーズが高まったせいで、徐々にお茶は英国民に浸透して行った。お茶として、当初は緑茶も人気があったけれど、ミルクと砂糖を入れてお茶を飲む習慣が流行り、緑茶は次第に紅茶にとって代わられるようになった。
 砂糖が一般的になったのは、西インド諸島つまりカリブ海の砂糖きび栽培が、盛んになったためで、ロビンソン・クルーソーの小説も、その頃の社会が背景になっている。
 そうでしたよね、先生。
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。少しおさらいをしながら、お話を整理してみましょう。
 テムズ川など英国の河川の水が汚染されていたこと、このために英国ではたびたびコレラなど感染症の流行に見舞われたこと、このため英国の人々はビールやエールそしてジンを朝から飲んでいたこと。
An.:
なんだか、少しうらやましいような・・・・・・。そんな気もします。
Dr.:
これについては、興味深いエピソードがありまして。
 1832年に、ロンドンでコレラが流行したときのことなんですけど。
An.:
テムズ川の汚染のせい、ですよね。
Dr.:
ところが、その意味ではもっとも不潔だった地域で。もちろんその地域の住民は、すべてコレラに感染したんですけど。なぜか。ビール工場の労働者だけは流行をまぬがれたんです。
An.:
それはもしかすると、ビールを飲んでいて汚染された水を飲まなかった、とか。
Dr.:
さすがは江澤さん。その通りです。
 しかし飲酒の習慣は、産業革命直後の英国の労働の妨げともなりました。
An.:
朝から酔っ払っていたんじゃあ、お仕事になりませんよね。
Dr.:
ましてや、機械を活用しての精密な仕事は事故を引き起こす危険性だって・・・・・・。
An.:
危ないですよねぇ、先生。
Dr.:
もともと、英国の人々は勤勉でしたから、朝からビールを飲む生活習慣に抵抗があったのも事実です。
 18世紀の有名な科学者に、ベンジャミン・フランクリンという人がいました。
An.:
たしか、嵐の中で凧(たこ)あげをして、雷が電気であることを証明した人ですよね。
Dr.:
1752年、ベンジャミン・フランクリンは、雷のちらつく嵐のさなかに凧を揚げました。その凧糸の末端には金属のワイヤーが、反対側の末端にはライデン壜という1種のバッテリが、それぞれ付いていました。
 フランクリンは、そんな荒れた天気の中、感電して死んじゃう可能性もある中で、世界で初めて電気をバッテリの中に取り込むことに、成功します。
An.:
たしかその、ライデン壜というバッテリの中の空間で、電気火花が飛ぶのをフランクリンは確認したんですよね。
Dr.:
日本でも、このフランクリンの実験から4半世紀後の1776年、1種の発電機から電気火花を発生させることに成功した、在野の蘭学者がいました。
An.:
先生、それってきっと平賀源内のことですよねっ!
Dr.:
さすがは江澤さん。そのとおりです。
 その平賀源内が、エレキテルという静電気発生装置を用いて、電気火花を発生させたんです。
 江澤さん、江戸時代のことですよ。それがどんなにすごいことか、お判りでしょう。
An.:
すごいですよねぇ。
Dr.:
ただしそれが、ベンジャミン・フランクリンの実験の4半世紀後だったのが、いかにももったいないような気はするんですけど。
An.:
センセ、江澤も本当に惜しいような気持ちです。
Dr.:
で、お話はフランクリンのことなんです。彼は、のちにアメリカの独立宣言の起草に当たるなど重要な役割を演じ、アメリカ建国の父と呼ばれる人なんですけど。
 若い頃英国で、印刷工の仕事をしていたことがあるんです。
 1724年から1726年のこと、です。江澤さん。「路地裏の大英帝国」というこの本を、朗読してください。
An.:
ここですね、先生。フランクリン自伝の1部分ですね。
 「私の飲み物は水だけだったが、他の職工たちはみな大のビール党だった。私の相棒などは、朝食前に約500ml、朝食時に約500ml、朝食と昼食の間に約500ml、昼食に約500ml、午後6時に約500ml、寝る前に約500ml、毎日飲むのだった。」
 先生、1日に3L飲んでますよ。
Dr.:
その本に書いてあるように、職工たちは激しい労働に耐える体造りのために、こんなにビールを飲んだんです。
 それにこれだけの飲酒には、仲間との付き合いという、現代社会でも共通の意味もあったんですね(笑)。
An.:
なんだか、良く判るような気もします。
Dr.:
いずれにしてもこうした飲酒の習慣は、産業革命以前の古い労働習慣に根付くもので、前にも触れましたが産業革命とともに無くなります。
 機械の動くのに合わせて、緻密で正確な労働が必要になりますから。
An.:
先生、それを"Time is Money" って言うんですね(笑)。
Dr.:
江澤さん。そのセリフは、実はこのフランクリン本人の言葉なんですよ。
An.:
それじゃあこの有名な言葉は、産業革命のシンボルみたいな意味があるんでしょうか?
Dr.:
お話は続く、です。本日も楽しいお話に付き合って頂き、ありがとうございました。
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