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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

ラジオ3443通信 英国紅茶の旅4

※前回の流れ

ラジオ3443通信
An.:
いずれにしてもこうした飲酒の習慣は、産業革命以前の古い労働習慣に根付くもので、前にも触れましたが産業革命とともに無くなります。
 機械の動くのに合わせて、緻密で正確な労働が必要になりますから。
An.:
先生、それを"Time is Money" って言うんですね(笑)。
Dr.:
江澤さん。そのセリフは、実はこのフランクリン本人の言葉なんですよ。
An.:
それじゃあこの有名な言葉は、産業革命のシンボルみたいな意味があるんでしょうか?
Dr.:
お話は続く、です。
本日も楽しいお話に付き合って頂き、ありがとうございました。
#

124話 「半ドン」の語源とは?

An.:
三好先生、前回は英国の国民飲料が、ジンやビールそしてエールなどのアルコールから、紅茶に変化していく段階で産業革命が関係していることについて、お話を伺いました。
 機械化した労働が広まっていく中で、アルコールは労働効率を下げるから、時代に合わなくなったんですね。それになんと言っても英国人は勤勉ですから、その気質にもアルコールはそぐわなかったというお話も、納得です。
Dr.:
前回はそれに関して「時は金なり」、つまり "Time is Money"という、ベンジャミン・フランクリンの言葉も、ご説明しました(上記参照)。
An.:
それって、フランクリンの言葉だったんですね!?
 江澤はこの言葉は小学校で教えられて、すごく印象的だったんですけれど、まさかあのフランクリンの格言だったなんて。ちっとも知りませんでした。
Dr.:
今の若い人たちにはこのセリフ、なかなか理解してもらえないかも知れませんね。ネットで見てみたら、「時は金なり」とは時給のことかと思っていた(笑)、なんて書き込みがありました。
An.:
先生、若い人たちのためにも、フランクリンのその言葉の背景を教えて下さいな。
Dr.:
こうした意味の言葉は、もともとギリシャ語に、「時は高い出費である」との格言があったみたいです。それが16世紀に英語圏に入って、"Time is precious"との表現だったのが、フランクリンによって"Time is Money" になったと、資料には書いてあります。
An.:
きっとその裏には、産業革命以後の英国社会の変化があったんでしょうね?
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。フランクリンのもともとの文書は、次のような内容だったんです。
 「時は金なりということを、忘れてはならない。自らの労働により1日10シリングを稼げる者が、半日出歩いたり、何もせず怠けていたりしたら、その気晴らしや怠惰に6ペンスしか使わなかったとしても、それだけが唯一の出費と考えるべきではない。彼はさらに5シリングを使った、というよりむしろ捨てたのである」。
An.:
フランクリンって、とっても勤勉な人柄だったんですねぇ!
Dr.:
これは当時の産業革命後の英国の、気分を端的に表していまして、ですね。
 江澤さん。江澤さんは「半ドン」って知ってますか?
An.:
ええっと、それはきっと三好先生とは無縁の言葉でしょうね、きっと。
 だって三好先生のクリニックは、土曜日も一日中診療していますもの、ね。
Dr.:
つまり江澤さん。「半ドン」って言うのは・・・・・・。
An.:
お仕事が午前中だけで終了し、午後は半日お休みっていうことです!
Dr.:
私のクリニックは日曜日が半ドンで、他の曜日はほとんど毎日診療していますけれど。
 一般の会社や学校では、土曜日が半ドンに相当していました。今は週休2日制ですけど。
出島
出島
博多ドンタク
博多ドンタク
An.:
半ドンって先生、もともとどういう語源だったんでしょうか?
Dr.:
これには主に、説が3つあるそうです。  第一に、出島説です。
An.:
と言いますと?
Dr.:
江戸末期、長崎の出島からオランダ語の、日曜日もしくは休日を意味するZontagという言葉が伝わり、なまってドンタクになりました。そしてその半分ですから、半ドンつまり半分のドンタクになったという説。
 まぁドイツ語でも日曜日のことを、Sontagつまり「お日さまの日」と言いますから、あり得るかな、と思います。
 それにドンタクというお祭りが福岡市にはあって、「博多ドンタク」って言うんですけど、それは明確にオランダ語由来であるとされています。
An.:
それは、ありそうですね。
Dr.:
第二の説ですが、明治時代から第二次世界大戦中にかけて、正午つまり真昼の12時に空砲を撃つ習慣のある地域があって、半日たった時刻に「ドン」と撃つから「半ドン」と呼ばれるようになった、との説。
An.:
半日で「ドン」と鳴るから、半ドンなんですね?
Dr.:
私が子どもの頃、仙台市の市役所ではお昼の12時にサイレンが鳴りまして。
An.:
サイレンが、「ドン」と鳴ったんでしょうか。
Dr.:
サイレンですから、「ウーッ」と鳴ったんですけど、ね。
An.:
それじゃ先生。仙台市じゃ半ドンでなくって、「半ウーッ」ですね(笑)。
Dr.:
第三の説ですが、半分休みの土曜日を略して「半土」という言葉が生まれ、転じて半ドンと言われるようになったというお話。
 週休2日制の現在では、考えにくいでしょうけれど。
An.:
たしかに、今ではピンと来ませんね。
Dr.:
歴史的に見ると、明治の始め頃にドンタクという言葉が流行している、との記録がありますから。
 どうも第一の説が、有力そうです。
An.:
長崎市と福岡市に跨がって、ドンタクの言葉が伝わっているのでしたら、それが本物じゃあないかと。
Dr.:
江澤さんの第六感が、そう言っているんですね?
 きっとそれで決まり、ですよ。
An.:
でも先生、どうして半ドンのお話になったんでしょう?
Dr.:
日本で半ドンの習慣が始まったのは、1876年にそれまでの1と6のつく日を休みにするという習慣。これを1・6ドンタクと呼んだんですけど。それを廃止し、日曜日を休日とし土曜日を半日勤務とする制度が制定されたからです。
 それは欧米の習慣に、日本の制度を合わせたもので、国際的な慣習を取り入れたものなんです。
An.:
ってことは欧米ではその前から、半ドンが根付いていたんでしょうか?
Dr.:
その謎解きは次回です。お楽しみに!
#

125話 トーマス・クックの時刻表

An.:
三好先生、前回はベンジャミン・フランクリンのお話から、なぜか半ドンの話題になっちゃって。おもしろかったんですけど、江澤にはどうも話の進行状況が良く理解できないような・・・・・・。  なんとなく不思議な気分です。
Dr.:
実はお話は、なぜ英国の人たちは紅茶を好むのか、それ以前は国民的飲料と言っても不思議ではなかった、エールやビールを飲まなくなったのか、というストーリーに沿って進んでいるんです。
An.:
そう言えば・・・・・・。先生、江澤にもお話の背後に潜む1本の糸が、くっきりと浮き上がって見えて来ました。
Dr.:
今日も、お話の続きです。
An.:
待ってました!
Dr.:
英国の職工たちは、そんな状況でビールを毎日呑んでいました。でも一番たくさんビールを呑む日は、決まっていました。
 江澤さん、それはいつのことでしょう?
An.:
先生、日本でしたら、それは給料日の夜じゃないかと。
 でも英国は日本と違って、月給制じゃないから・・・・・・。
Dr.:
江澤さん。英国は週給制でしたから、給料が手渡されるのは土曜日です。
 しかもその当時、土曜日は半ドンではなかった。
An.:
先生、それは大変!
 給料をもらったその晩に、英国の職工たちは、すべての給料をビールに注ぎ込んじゃいます。
Dr.:
当時の職工のセリフに、「セント・マンディ」つまり「聖月曜日」という用語がありまして。
An.:
月曜日が、聖なる日になるということは。判っちゃいました先生!
 土曜日に給料を手にした職工たちは、その夜から日曜日にかけて職場の仲間と徹底的にビールやエールを、懐がすっからかんになるまで呑みまくります。
 そしたら月曜日は、自主的かつ自動的に、お休みになってしまいます。
 それがきっと、聖なる月曜日の実態じゃあなかったのかと。
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。それに対して産業が機械化し、半ドンが英国の工場法改正により立法化された1850年以降、聖月曜日の風習は次第にすたれて行きます。
An.:
産業が機械化すると、現在のタイム・レコーダーみたいな時間管理のシステムが、一般的になっちゃうかも。
Dr.:
労働は労働、余暇は余暇。そんな労働とレジャーの分離が進み、仕事と遊びをごっちゃにするような考え方が、社会的に非難されるようになります。
An.:
英国の人って、基本的にまじめな人間が多いような気がします。
Dr.:
その英国の半ドンを見習ったのが、1876年の日本の半ドン制度だったんです。
An.:
日本人も、生真面目な一面があって、やっぱり勤勉ですものね。
Dr.:
英国人の、そのまじめな性格が行き過ぎる一面も歴史的に見られまして。
 ビールやエールなどアルコールの過量摂取が、産業革命以後の機械化された効率的労働の妨げであることが判明すると、今度は過激な禁酒運動が広まります。
An.:
禁酒ですかぁ。でも頭ごなしに禁酒となると、厳しいかも・・・・・・。
 なにかその代わりになる楽しみが見つからなくっちゃあ。
Dr.:
江澤さん。そのアルコールの、代わりになる最大の楽しみが、1つにはお茶だったんです。
An.:
1つには、と言いますと。なにか他にも、楽しみがあったんですね?
Dr.:
江澤さん。私が今手元に持っている本は、いったい何でしょう?
An.:
えーっと。先生これは、横文字の本ですものね。
 トーマス・クックのぉ、タイム・テーブルって読むんでしょうか・・・・・・。
 せ、先生。トーマス・クックの時刻表と言ったら、旅行マニアの憧れの的ですよね!
 これを片手に、ヨーロッパの列車を乗り継いで、のんびり旅を楽しむ、とか。
 ぜいたくですよねぇ(笑)。
トーマス・クックの時刻表
トーマス・クックの時刻表
#
Dr.:
さすがは江澤さん。世界で一番有名な時刻表が、このトーマス・クックのものです。
禁酒主義者トーマス・クックが、禁酒の助けになるレジャーの1つとして、汽車による旅行企画を当時作成したんです。
An.:
それじゃあ、日本人の大好きな団体旅行は、この時期の英国でトーマス・クックによって考えだされたんですね!
Dr.:
1841年、トーマス・クックが英国の全国禁酒大会に参加者を募って、570人の団体旅行列車を企画したんです。
An.:
それが、世界初の団体旅行だった!
Dr.:
クックは、1851年のロンドン万国博覧会でも、団体旅行を企画しましたが、この万国博会場では、まったくアルコールが飲めなかったんです。
 それくらい、社会的風潮が変化していたという、1つの証拠です。
An.:
つまりそれまでの英国では、ビールやエールを呑むくらいしか、職工たちの息抜きはなかった。それに対して、社会的な規模でレクリエーションが企画されるようになり、飲酒以外の楽しみが増加した。
 そのために、英国の社会全体の雰囲気が変わって来たんですね?
ビールを楽しむ英国の市民
ビールを楽しむ英国の市民
Dr.:
こうしたエピソードから、英国ではその当時すでに列車による旅行が、かなり一般的になっていたということも判ります。
 しかもこの英国内における鉄道網の整備は、劣悪だった英国庶民の住宅事情を劇的に改善することになります。
An.:
交通網の改善が住宅事情に影響することは、現代の日本に当てはめても良く理解できます。
Dr.:
それとともに英国庶民の経済状況も改善し、豊かになった英国で紅茶が大流行します。
An.:
次回はそのお話ですね。楽しみです。
 本日はありがとうございました。
#

126話 紅茶とアヘン戦争

アヘン戦争 アヘン戦争
An.:
三好先生、前回は劣悪だった英国の住宅事情が、交通網の整備で飛躍的に改善した。そんなお話を伺いました。
 具体的に言うとそのとき英国では、どんな光景が展開されていたんでしょうね?
 江澤は、とっても興味があります。
Dr.:
英国の地方都市の住宅も、庶民のそれはまぁそんなに立派な家屋じゃなかったんですけれど。
 産業革命が進行して、住居が都市部と農村部とに区別されるようになると、都市部の人口の過密化が生じます。
 具体的な例として、「英国生活物語」には、次のように記されています。
 「1880年代のスピトルフィールズのある家では、9部屋あるうち各部屋に平均7人が寝泊りしていて、しかもベッドは1部屋の1台しかないという有様で、人間が多いのに住宅が少なすぎたのである。」
An.:
日本の一般家庭も、「ウサギ小屋」(笑)とか言われて、決して恵まれていないんですが、・・・・・・。
 当時の英国の都市事情も、かなりのものだったんですね!
Dr.:
産業革命の進行によって、当初英国の社会が富裕層と労働者階級とに、明確に2分されたこともあって。労働者階級の生活は、つらいものがあったようです。
An.:
でも最終的には、産業革命の成果が英国社会すべてに行き渡り、国家全体の繁栄は労働者階級にも及ぶんですよね?
Dr.:
さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。産業革命の成果は、いわゆる商業革命と結びついて、英国産の綿製品が世界各地へ輸出されるようになります。その結果、富は労働者階級にまで行き届くようになります。
 大体それは時期的には1850年前後が、1つの目安じゃないかと私は思っているんですけど。
An.:
その数字は、先生、どんな根拠で?
Dr.:
先にお話ししましたように、産業が機械化し英国の工場法改正により半ドンが立法化されたのが、1850年なんです(笑)。
An.:
つまり1日中働き詰めでなくっとも、産業の生産性や労働者の給料は落ちなくなった(笑)!?
ロバート・フォーチュンの伝記 ロバート・フォーチュンの伝記
Dr.:
あの有名なマルクスとエンゲルスが、英国の労働者のみじめな状況をレポートした、「イギリスにおける労働者階級の状態」という論文を、1845年に発表しているんですけど。
 実はそれから5年後には、英国社会の実態は論文の内容とはかなり異なるものになっていたんです。
An.:
ちっとも知りませんでした。
Dr.:
そしてそれを契機に、英国の人々は紅茶やレジャーを、身近な息抜き法として楽しむようになるんです。
An.:
でもそのためには、紅茶がぜいたく品ではちょっと困ります。
Dr.:
そんな風に、社会的ニーズが高まった紅茶なんですけど。当時の中国つまり清の国ではお茶の木は門外不出でして。
An.:
英国の植民地には、お茶の木はなかったんですね?
Dr.:
江澤さんはアヘン戦争って、知ってますよね?
An.:
ええっとたしか・・・・・・。そうそう、英国が清の国にインド産のアヘンを大量に送り込んだため、国内で中毒者が激増したんでしたよね。
 そのため清の国が、アヘンの輸入を禁止して、広東の港に停泊中の船に積んであったアヘンを、すべて焼き払いました。
 このため英国が清に対して宣戦布告をし、負けた清の国はひどい目に遭います。
Dr.:
英国が清の国にアヘンを売り付けたのは、中国のお茶を英国が輸入し過ぎ、大変な貿易赤字になったためです。
An.:
つまり紅茶が、アヘン戦争の原因だったんですね!
ラサ市内、ポタラ宮の傍を流れるヤルツァンポ川
ラサ市内、ポタラ宮の傍を流れるヤルツァンポ川
ヤルツァンポ川はプラマプトラ川と名を変え、ベンガル湾にそそぐ。
ヤルツァンポ川はプラマプトラ川と名を変え、ベンガル湾にそそぐ。
紅茶
Dr.:
それくらい、当時の英国の人々にとって、紅茶は必需品になっていたんです。
 でも清の国からのお茶の輸出はごく限られたものでしたから・・・・・・。
 お茶の葉ではなく、お茶の採れる木そのものが必要だったんです。
 そして英国のプラント・ハンターである、ロバート・フォーチュンって人が、お茶の木を中国から持ち出して英国の植民地で栽培します。
An.:
先生、やっとロバート・フォーチュンのお話に戻りましたね(笑)。
Dr.:
この人物は実は、別の意味で私たちの研究とご縁がありまして。
An.:
と言いますと?
Dr.:
私たちは、当初日本にしか存在しないとされていたスギ花粉症を中国で発見しました。その中国産スギは、他ならぬこのロバート・フォーチュンが研究対象としており、彼の名前が中国産スギの学名になっているんです。
An.:
ホントですか!?
 ちょっと江澤には、にわかには信じられないような・・・・・・(笑)。
Dr.:
このお話は、また後ほど。
 フォーチュンが持ち出してインドで栽培するお茶とは別に、中国の雲南省に近接するインドのアッサム地方に、お茶は自生していました。
An.:
先生が調査に行って来られた雲南省は、お茶の名産地ですもの、ね。
Dr.:
江澤さん良くご存じのプラマプトラ川が、アッサム地方を潤しています。
An.:
チベットのラサ市の、ポタラ宮の傍を流れるヤルツァンポ川ですか。
Dr.:
アッサム地方は、その下流に存在するんですが、下流はプラマプトラ川と呼ばれます。英国はこれらの地域でお茶を栽培し、英国に運びます。加えて1869年には、スエズ運河が開通しますから。
An.:
紅茶はどんどん英国へ運び込まれ、庶民の味覚として定着するんですね!
Dr.:
江澤さんへのおみやげの紅茶にも、こうした長い歴史がしみ込んでいるんです。
An.:
良く味わって、紅茶を頂きます。
Dr.・
An.:
本日はありがとうございました。
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