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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

三好耳鼻咽喉科クリニック開院20周年特別企画~難聴児問題の昔と今11~三好 彰

ここでは、№225に引き続き院長が1975年、岩手医大在学中に作成した「難聴児の社会保障」というレポートをご紹介いたします。

「難聴児の社会保障(11)」

考察ⅩⅡ

 三才児検診によって難聴の早期発見が可能ではあったものの、その後の訓練の為の設備が札幌には無く、訓練に最適な時期をのがしてしまった。確かに三才児検診は必要だが、難聴児の発見だけに終わっていては「仏作って魂入れず」を地で行く様なものである。実際に仙台のヒアリングセンターでの訓練で効果が挙がっているだけに同様な設備の充実が札幌でもなされていれば、と思わざるを得ない。

(ⅳ)N.E 女 昭和43年1月9日生

I.

1.2才11ヶ月頃
2.近所の子供達と比較すると話し方が変で言葉も無く、どうもおかしいと思って相談に行った「ことばの治療教室」で難聴であることがわかる。
3.  (1)2才の頃、北小岩の耳鼻科。舌の長さも普通で鼓膜にも異常が無いということだった。
   (2)22才半頃。大宮の国立病院。歩き始めるのも遅かった(10ヶ月)から話すのはこれからだろう、心配しなくとも大丈夫とのことだった。
   (3)2才半頃、東京大学病院。
   (4)2才7ヶ月、新宿のあるセンター。
4.新宿のあるセンターで紹介された「母と子の教室」のヒアリングセンターに通った。

Ⅱ.

 1.イ。
2.新宿のヒアリングセンターで、親の勉強会やら、先生のお話やら、一通りは勉強した。
3.新宿「母と子の教室」のヒアリングセンターと仙台のヒアリングセンター。

Ⅲ.

3.3才
4.東京の区役所関係の耳鼻科
6.仙台のヒアリングセンター
7.親心として、毎年新しく開発される補聴器その他の機械を安く入手したいと思う。

Ⅳ.

4.(イ)特別気にすることは無いが、やはり聞こえてもそれを理解して行動に移すのがむずかしい。だから、理科、社会などは大変むずかしい。(負けずぎらいな子供なので、自分なりに努力している。)
   (ロ)普通の子と全く変わりない様に思う。
   (ハ)テストで易しい問題をまちがっている時など、家で一緒にやってみるとできるので、やはり先生の話が良く聞こえていないのかと心配している。

Ⅴ.

 はじめて我が子が難聴と診断された時の気持ちは、それこそこれからどうやって生きて行ったら良いのかと、本当に悩んだ。子供の寝顔を見ては、毎日泣いていたこともあった。それが、母と子の教室のヒアリングセンターに通い、1週間に1度ではあったが、親子共々勉強し、考えられる様になって、心が広く、気持ちが明るくなった。それからは毎日毎日が勉強である。おかげで今では何とか皆についていける様になった。

Ⅵ.

 正直、東京の親の会は大変素晴らしく、皆大変に協力的で充実していた。それに較べると仙台はまだまだだと思う。
 現在は木町小学校で1ヶ月に1度位、話し合いがある程度である。

Ⅶ.

 現在小学校1年なのでまだまだだと思うが、そうのんびりしてもいられない。子供が余り勉強が好きでなければ、中学校を出てから、何か技術を身につけさせてやろうと思う。

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