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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

白老健診 旅レポート(1) 医事課 阿部 真美

始めての白老健診

台風もよけて通る院長と白老町 台風もよけて通る院長と白老町

北方領土を守る阿部さんと今井Ns. 北方領土を守る阿部さんと今井Ns.

 2014年7月9日(水)から7月11日(金)、北海道白老町の学校健診に同行させて頂きました。

 白老町の学校健診は、1988年にスタートし、以後毎年の恒例行事です。今回、私は初めて白老町の学校健診に同行させて頂いたのですが、個人的にも初めての北海道ということもあり、とても楽しみにしておりました。

 7月9日(水)午前の診療終了後に、私たちは仙台空港を出発し、白老町へ向かいます。

 白老町は、西に洞爺湖・登別温泉、東に苫小牧・支笏湖と北海道を代表する観光ルートの中央に位置します。

 今回の健診は小・中学校合わせて364名を、1日半かけて診て回ります。教育委員会の方のお話ですと、年々生徒数は減少傾向にあり、学校の統廃合も行われるそうです。今回で最後の健診になる学校もあり、さみしい気持ちになりましたが、みんな明るく元気で、笑顔あふれる素敵な生徒さん達ばかりで、とても楽しい健診になりました。

 なぜ、26年も前から毎年、院長は白老町を訪れているのかというと、話は幕末までさかのぼりますが、仙台藩と白老町の歴史的な繋がりがあるのです。


白老町と三好監物

(図1) (図1)

 昔、北海道は蝦夷地と呼ばれていました(図1)。1854年(安政元年)幕府はアメリカ・ロシア両国と日米・日露和親条約を結びます。これにより、下田・函館が開港場となり、200年におよぶ鎖国政策が終わります。しかしながら国際緊張は続いており、特にロシアの南下を警戒した幕府は函館奉行を置いて、仙台藩の他に津軽・秋田・南部の奥羽諸藩に蝦夷地の警備を命じます。このうち、仙台藩は白老から択捉まで、蝦夷地の約3分の1を守備範囲として定められており、白老に警備活動の拠点となる城(元陣屋)を建てたことが、白老町と仙台藩の歴史的繋がりの始まりとなります(図2・3)。その際、蝦夷地の実地調査に派遣され、白老に陣屋を築く事を決めたのが三好監物です。この三好監物こそが、当クリニック院長のご先祖さまなのです。

(図2) (図2)
(図3) (図3)

 仙台藩は、戊辰戦争が勃発した1868年までの12年間、警備にあたりました。仙台藩士達は慣れない北国での生活でしたが、先住民のアイヌ民族との共存に努力したそうです。陣屋から少し離れた丘陵に、塩釜神社と愛宕神社を建立し、国元の仙台を偲んでいたそうです。仙台藩白老元陣屋の跡地は幕末の蝦夷地の姿を今に伝える貴重な史跡として、1966年(昭和41)年に国の史跡の指定を受けました。現在は史跡公園として一般に開放されており、歴史的資料を展示した資料館とともに白老町が大切に保存・管理しております。

 このような歴史的な縁により、1988年から毎年欠かさず、院長は耳鼻科医のいない白老町で学校健診を行ってきました。

仙台藩白老元陣屋資料館を見学

 今回、健診の合間を見て「仙台藩白老元陣屋資料館」を見学させて頂きました(図4)。三好監物に関わりのあるものが多数展示されており(図5~7)、ご先祖さまのお顔もなんとなく院長に似ているような? 気がしました(図8)

(図4) (図4)

(図5) (図5)
(図6) (図6)

(図7) (図7)
(図8) (図8)

 あいにくと台風8号の影響で天候が良くなかったのと、震度5弱の地震の影響で地盤が下がっている所があるとのことで、愛宕神社は見学できませんでした。その分資料館内をじっくり見学出来ましたし、鎧も着る事が出来て大変貴重な体験をさせて頂きました(図9・10)

(図9) (図9)
(図10) (図10)

 次回は、北海道の先住民族アイヌの歴史・文化を研究しているアイヌ民族博物館についてご紹介致します。