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日伊協会主催 第3回 慶長遣欧使節派遣400年記念講演会 ~支倉常長の足跡を訪ねて~ 会場:エル・パーク仙台6階 ギャラリーホール 総務課 青柳 健太た

 2014年8月23日(土)、院長が評議員を務める仙台日伊協会主催の講演会に代理出席しました。
 講演が始まる17時には、ほとんどの席が埋まり、支倉常長の認知度の高さが窺い知れます(図1)

 本公演では、支倉家第十三代当主の支倉常隆氏を講師としてお招きし、今から約400年前、伊達正宗公がヨーロッパに遣欧使節として派遣した伊達家家臣・支倉常長についてのお話や、各地で行われた記念式典に招待された際のお話などを伺いました(図2)

(図1)満席の会場 (図1)満席の会場
(図2)講演する支倉常隆氏 (図2)講演する支倉常隆氏

慶長遣欧使節とは

 3443通信№220でも触れていますが、1613年(慶長18年)に仙台藩主・伊達政宗公が派遣した使節団の事です。

 使節団は、当時世界各地に植民地を広げていたスペインとの貿易交渉を行なう為に派遣されたと言われています。

 キリスト教のフランシスコ会宣教師であるルイス・ソテロを正史、伊達藩家臣の支倉常長を副使とし、スペイン国王フェリペ3世およびローマ教皇パウルス5世に謁見しました。その際、常長はキリスト教の洗礼を受け、ドン・フィリッポ・フランシスコという名前を与えられています。

 しかし、使節派遣中に日本国内ではキリスト教への弾圧が行われるなど、外国の文化を排斥する動きが強くなり、結果として交渉は失敗に終わりました。

 その後、1620年(元和6年)に常長は失意の内に帰国。その2年後に死去。1640年(寛永17年)にはキリシタンである家臣がいた事の責を問われ、当主・常頼は処刑。支倉家はお家断絶となりました。

 家名再興を果たしたのは、28年後の1668年(寛文8年)の事です。

使節派遣から400年

 2014年3月24日(月)、中米のメキシコでは、今年が遣欧使節派遣400年にあたり、当時の使節団が立ち寄ったメキシコシティにおいて記念式典が開会されました。講師の常隆氏は招待された式典に武士の装束で出席。また、メキシコ上院でも講演を行うなど異例とも言える歓待を受けたそうです。

 その他にも、7月23日(水)~31日(木)の行程で、宮城県とスペインの友好交流企画として県内の高校生10人がスペインに派遣され、常長氏が団長として同行されたそうです。

 遣欧使節の派遣から400年。ご先祖が目指して実現できなかった各国との交流が、時代を経て常長氏の代でまさに花開いたのではないかと思います(図3)

(図3)仙台ユネスコ協会から贈呈されたサン・ファン・バウティスタ号の絵 (図3)仙台ユネスコ協会から贈呈されたサン・ファン・バウティスタ号の絵

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