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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

白老健診 旅レポート(1) 医事課 阿部 真美

前号(NO.236)に引き続き、2014年7月に行われた白老健診についてご紹介致します。

(図2)

(図3)

(図3)


アイヌ民族博物館

(図1)ポロトコタンの施設図です (図1)ポロトコタンの施設図です

(図2)アイヌの住居(チセ) (図2)アイヌの住居(チセ)

(図3)独特の雰囲気がある古式舞踊 (図3)独特の雰囲気がある古式舞踊

 白老町は、古くからアイヌ民族の大集落(アイヌコタン)があり、400人ほどのアイヌ民族が住んでいたそうです。白老にはアイヌ語由来の地名も多く残っており、白老という地名も「シラウオイ(虻の多い場所・波を被る場所)」からきているそうです。また、アイヌ民族のふるさと「ポロトコタン」にはポロト湖がありますが、この「ポロト」もアイヌ語で大きな湖という意味があります。
 1日目の健診終了後、アイヌ民族博物館を見学しました。アイヌ民族博物館は、アイヌ文化の伝承・保存、並びに調査・研究、教育普及事業を総合的に行う社会教育施設です。1976年、財団法人白老民族文化伝承保存財団として設立されました。1984年には、アイヌの有形・無形文化を展示し、さらに学術的に調査・研究を行う施設としてアイヌ民族博物館を並置・開館させ、2013年に一般財団法人 アイヌ民族博物館となりました。

 野外博物館の性格をもつ園内は近代ゾーンとコタンゾーンに分かれています(図1)。かつてのアイヌ集落を再現したコタンゾーンには住家(チセ)(図2)、プ(食料庫)、ヘペレセッ(子グマの飼養檻)、チプ(丸木舟)があり、チセでは常時、アイヌの歴史と文化についての解説やアイヌ古式舞踊の公開を行っています(図3)。
 博物館では、アイヌ民族資料5000点、ニヴフ、ウイルタ、サミ、イヌイトといった北方少数民族資料約250点を収蔵し、そのうち800点を常設展示しています(図4〜6)。

(図2) (図4)

(図2) (図5)

(図2) (図6)

アイヌ民族の歴史 先祖の自由の大地・北海道

 アイヌは、日本国に暮らす少数民族のひとつで、東北地方の北部から北海道、千島列島(北方四島とその北の島々)、樺太(今のサハリン)といった地域に古くから暮らしてきました。
 アイヌ民族の土地(アイヌモシリィ)には、今から数万年前の文字が伝わる以前からの石器や、人の骨が見つかっています。この骨は、現在のアイヌの先祖だと考え
られています。
 明治時代になり日本民族が入植すると、先に暮らしていたアイヌは「先住民族」と呼ばれました。
 世界のどの民族でもそうですが、アイヌの歴史も他民族との関わりの中で作られてきました。樺太から先にはニヴフ、ウイルタ、そしてウリチ、ナナイや、モンゴル、漢人、満州人といった大陸の民族がいました。本州の和人(日本民族)とも長い交流の歴史があります。

交易の移り変わり

(図2) (図6)

 アイヌは、身の周りの環境をよく学び、そこから手に入る魚や海草、動物の肉と皮、ワシの羽根などによって周囲の民族と取引してきました。また、いくつもの民族を介して中国製品を手に入れ、それをまた本州に売るなど「仲介交易」と呼ばれる取引を行いました。
 北海道産の魚からつくった肥やしが近畿地方の綿花を育て、木綿製品になってアイヌにもたらされるなど、お互いの生活に大きな変化を生みだすきっかけでもあったのです(図7)。

 アイヌは船を操って函館や東北地方まで行き来し、自由に相手を選んでいました。しかし松前藩が勢力を伸ばしてくると、交易には多くの制約が課せられ、東北や函館へ渡ることが禁じられました。
 それぞれの地域に和人が出向いて交易を行うようになると、多くの不正が行われるようになりました。数をかぞえられないアイヌを相手に「はじめ、一、二……、十、おわり」と言って数をごまかす「アイヌ勘定」や「メノコ(女性)勘定」という言葉が残っています。明治時代の「アイヌ勘定」をされた女性の思い出話では、実際にはウソとわかっていても、倭人は睨みをきかせて文句を言わせず、とても悔しい思いをしたそうです。
 このような事情から、物語に語られるような幸せな交易の時代もやがて終わりを迎えました。
 なお、白老では、三好監物が、アイヌの協力のもとに蝦夷地警備を行う必要があったため、公正な取引を奨励しました。
 明治時代になると、日本政府は新たに蝦夷地を「北海道」と改名し、植民政策を始めました。アイヌは日本国民とされましたが、今日まで続く制度上の不平等があります。また、北方領土問題でロシアと領土の奪い合いが起きると、
その都度国境が変わり、アイヌは居住地や言葉、仕事を変えなければなりませんでした。先祖伝来の土地での暮らしから、名前や言葉、果ては信仰までもが異民族の物に取って代わりました。この時代を乗り越えるのは、今の私たち
には想像もできないほど大変なことだったでしょう。
 そうした新しい暮らしの中でも、アイヌの言葉や物語・歌を後世に伝えようと意識して努力する人もいました。

世界3億7千万人の先住民族の一員

現在、北海道にも多くのアイヌの人々が暮らしていますが、仕事や結婚のため、本州へ移住している人々も数多くいます。  関東地方には数千人、さらに四国、九州、沖縄など、生活の範囲が日本のずっと南にまで及んでいます。アメリカやオーストラリアなど海外で生活している人もいます。  こういった背景があり、アイヌをはじめとする日本の民族人口を正確に調べることは難しいのです。北海道庁の調べでは2万3〜4千人という結果が出ていますが、調査対象から外れる人も多く、また本州や海外の人口は含まれていないため、実際には数倍から数十倍の人口だと考えられています。

伝統文化の伝承

(図8) アイヌの看板
3姉妹? (図8) アイヌの看板 3姉妹?

30年ほど前から、古い時代の習慣、芸能、言葉を取り戻そうとする人々が増え、日本全国でアイヌ文化が多く紹介され、伝統芸能が披露される事も多くなりました。
 これは、ただ昔を懐かしむだけではなく、人として幸福に生きる権利「人権」を取り戻そうという考えと大きく関わっています。これらはただの歴史的文化の紹介だけではなく、自らの歴史、文化を取り戻そうとする人々の努力の成果です。
 アイヌと和人の歴史、そして現在をよく知り、互いの幸福についてよく考えることが、やがて誰もが幸せな社会をつくることにつながっていくのです(図8)。

2020年 国立博物館が白老ポロト湖畔に開設決定!

〜民族共生の象徴となる空間〜

(図9)アイヌの村長の像 (図9)アイヌの村長の像

 2009年7月、内閣官房長官に提出された「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告で、今後のアイヌ政策の「扇の要」となる政策として「民族共生の象徴となる空間」が提言されました。この象徴空間は、先住民族であるアイヌの尊厳を尊重し、アイヌ文化が直面している課題に対応しつつ、多様で豊かな文化や異なる民族との共生を尊重する社会を形成するためのシンボルとして、2020年に開設が予定されています。