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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

白老健診 旅レポート(1) 医事課 阿部 真美

 前号に引き続き、毎年恒例のアレルギー調査で訪れた、旧満洲についてご紹介させて頂きます。

9月13日(土)~ハルビン市街を見学~

 ハルビン入りして一夜を明かした一行。ポプラの樹が青空に揺れるハルビン市街を見学します。
 9月のハルビンは、木々が紅葉で彩られ行楽にもってこいの季節ですが、10月になると急に気温が下がるそうです。
 まず私たちは、ホテルからほど近い旧満鉄の主要駅・ハルビン駅へ向かいます

●安重根義士記念館

(図1)記念館の入口 (図1)記念館の入口

(図2)安重根の像と院長 (図2)安重根の像と院長

 市街中心にあるハルビン駅は、かつて旧満洲に張り巡らされた南満洲鉄道(通称、満鉄)の主要駅の1つです。
 その駅の一角に、かつての駅の貴賓室を改修して造られた安重根義士記念館があります(図1・2)。
 安重根とは、1909年10月26日、ハルビン駅を訪れた日本の初代総理大臣・伊藤博文(当時は、枢密院議長)を暗殺した人物です。
 朝鮮半島の権益を確保していた日本は、韓国を日本に組み込む「併合」を推し進めていました。しかし、韓国総監であった伊藤博文は「韓国を併合する必要はなく、日本の監督指導の下の自治がよい」と、将来にわたる併合の危険性を訴えていました。しかし、韓国併合を目指して影響力を強めていた陸軍派の山縣有朋や桂太郎の説得にあい、併合案を了承したとする説もあります。
 そして、韓国併合の張本人と見なされた伊藤博文は、ハルビン駅で暗殺されてしまいます。その結果、むしろ韓国併合は加速され、1910年に日韓併合が行われました。
 歴史にifはありませんが、もし日本が朝鮮半島の権益を取得せず、ロシアの南下政策にブレーキをかけていなかったら、この地にはロシア国旗がはためいていたのではないかと思わざるをえません。

 さて、この記念会の内部には時系列に並べられた書・写真・絵画・手紙・哀悼を示す歌が展示されています。暗殺に関わった武器や場所の写真、獄中での尋問の写真などもあり(図3~6)、部屋の奥の一面ガラス張りの空間からは暗殺が行われたプラットホームを見る事ができます(図7)。

(図3)時系列に並べられた書 (図3)時系列に並べられた書

(図4)伊藤博文の暗殺現場 (図4)伊藤博文の暗殺現場

(図5)ブローニング7連発拳銃 (図5)ブローニング7連発拳銃

(図6)弾丸の射入角のイラスト (図6)弾丸の射入角のイラスト

(図7)記念館から見えるホームの暗殺現場 (図7)記念館から見えるホームの暗殺現場

 資料の解説は、主に中国語と韓国語で書かれており、日本人や英語圏の人はあまり訪れていない場所という印象を受けました。
 ちなみに、この記念館は2014年1月に韓国政府の要請により開設されましたが、元々はハルビン駅から1.5㎞ほど離れた朝鮮民族芸術館で展示されていたレプリカ資料を移してきたものです。本物の資料は、韓国の同記念館に保存されています。

外国人のリゾート地だった太陽島

(図8)太陽島の入口 (図8)太陽島の入口

(図9)千葉県の某レジャー施設でも走っていそうです(18分の1ではないそうです。) (図9)千葉県の某レジャー施設でも
走っていそうです
(18分の1ではないそうです。)

(図10)新潟友誼園 (図10)新潟友誼園

 次に一行は、ハルビン市の北側を流れる松花江を渡り、冬には国際氷彫祭りが開かれる太陽島に向かいました(図8)。
 太陽島は、松花江の中洲にあたり面積は約88㎢(ディズニーランド約18個分)。東清鉄道の建設とともに移ってきた、外国人の避暑地として開拓されました。
 園内には30万本を超えるバラやライラックの花、松・柳・楡の林があり、汽車を模したオープン式の観光車にのって周遊できます(図9)。
 この季節、涼しい風が吹く快晴の中、公園をのんびりと散歩をするのは最高の贅沢です。ちなみにハルビンと新潟は、姉妹都市提携を結んでおり、園内には新潟友誼園という和式庭園が造成されています(図10)。
 しかし、この公園の一番の魅力は、冬季に行われる国際氷彫祭りだそうです。
 凍った松花江から採取した氷のふんだんに使われるこの祭りは、世界中から観光客が訪れる大人気のイベントだそうです。主な会場は太陽島、兆麟公園など3箇所で行われます。
 中には高さ40mにも上る氷の建造物も造られ、そのスケールの大きさに想像を絶するそうです。ちなみに、会場周辺のホテルは数ヶ月前から満室になり、宿泊料も非常に高くなるそうです。

ロシア正教の聖ソフィア大聖堂

  近代的な建築物が並ぶ中、ビザンチン様式の重厚なシルエットが見えたら、それは聖ソフィア大聖堂です(図11・表紙)。ロシア正教の協会として1907年に建築され、その後もロシア商人の出資により拡張工事が施されました。
 高さ約53m。教会内部に2000人の信者を収容できたと言われています(図12)。
 現在は、かつての大聖堂周辺の写真や資料が飾られた、資料館として利用されています(図13)。
 歴史を感じさせる迫力と、長い年月をかけて街の変化を見続けてきた風格ある姿を目の前にすると、言いようのない気持ちが溢れてきます。
 中国の『論語』には温故知新と言う言葉があります。他の大聖堂のように壊してからでは再生できない物も多くあります。歴史の意味をよく考え、それから新しきを知る事も必要なのかも知れません。

(図11)重厚な聖ソフィア大聖堂 (図11)重厚な聖ソフィア大聖堂

(図12)吹き抜けのメインホール (図12)吹き抜けのメインホール

(図13)2000人が収容できるそうです (図13)2000人が
収容できるそうです

ショッピングに最適な中央大街

(図14)人で賑わう中央大街 (図14)人で賑わう中央大街

(図15)一目で判るロシア系の女性の後ろ姿 (図15)一目で判るロシア系の女性の後ろ姿

 ハルビンでも有数の繁華街である中央大街(キタイスカヤ街)は、松花江沿いにあるスターリン公園から南北に伸びる大通りです(図14)。1903年、帝政ロシアが自由に開発が行える鉄道付属地として組み入れ、その後急速に発展した場所です。全長1450mの通りには多くのショッピング店や、欧米・日本の商店や銀行などが立ち並んでいます。
 通りは花崗岩が敷き詰められ、建物の中には1914年建設の旧ハルビン郵便局、1913年創業のモデルンホテルなど、古くからの建物も現存しています。
 ハルビン随一とも言えるこの商店街は、地元の人だけではなく外国人観光客も行き交う人気スポットです(図15)。
 中国・ロシア・日本の文化が入り混じった街ハルビン。皆さんもぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか?
 次回は、ハルビンから長春へと移動します。