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fmいずみ ラジオ3443通信 アレルギー調査9

An.:…江澤アナウンサー、Dr.:…三好院長]

fmいずみ ラジオ3443通信 アレルギー調査(9)目次

172 白老町のアレルギー調査

An.:  三好先生前回の0Aで、以前は存在しないと勘違いされていた中国のスギが、なんと日本のスギ同様国土の緑化運動に使用されていたこと、についてお話を伺いました。
 日本における全国的なスギ植林は、戦後の復興の際に大量使用された木材の跡がハゲ山となって残り、キャスリン台風などの降雨で大水害が発生します。その治山治水対策として、1950年頃一斉にスギの植樹が行なわれたわけなんですが。
 中国でも、先生、似たような現象が見られたんですってね、先生?
Dr.:  前回少し触れましたように、中国では毛択東の指示で開始された「大躍進」の時代に、中国全土の山々の木々が燃料として使い尽くされました。
 そしてその跡に・・・・・・。
An.: 日本と似たようなハゲ山の連なる光景が、中国中に。
Dr.:  広がってしまったんですねぇ!
An.:  中国をキャスリン台風が襲うことは、もちろんあり得ませんけれど、大量の雨が降る都度中国でも、各地で悲惨な大水害が発生するはずです。
Dr.:  私も、現実にこの目で確認したんですけれども、1998年の大洪水ではあの巨大な長江で氾濫が起こりまして。
An.:  長江って、揚子江の上流の、すごく長い川ですよね? 川幅も、とっても広いような気がします。
Dr.:  この長江はおそらく、チベット高原のどこかに水源があり、延々と東西に中国を横切り、そして上海で海に面するんです。
An.: 先生、揚子江という名前はどのあたりを指すんでしょうか?
Dr.: 上海周辺の、河口のごく一部を、揚子江と呼んでいるだけで、川全体としてはやはり長江が、ふさわしいかと・・・・・・。
An.: 江澤には想像もつかないくらい、長いなが~い川なんでしょうけれども?
 大体どのあたりが、川の真ん中になるんでしょうね?
Dr.:  くわしい数値は、今手元に持って来てないんですけれども、江澤さんはすでにご存じの、武漢市あたりだと思います(笑)。
An.: ええっ、先生! どうして、江澤にはなじみなんですか?
Dr.:  江澤さんの大好きなマーボー豆腐を食べるとき、必要不可欠なビールですが。このOAの第93回目でお話ししましたように、かつて武漢市にもとっても美味しい現地産のビールがあったんです。
An.: 思い出しました、三好先生。
 たしかその後、生産中止になったんでしたよね?
 先生のご意見では、このビールは名前が悪かった(笑)・・・・・・?
 ええっと先生、どんな名前だったんでしたっけ?
Dr.:  江澤さん、生産されなくなったこのビールは、本当にドイツ風のコクのある味わい深いビールだったんですけど。
 中国産の本格ドイツ・ビールなので、その名を「中独ビール」(笑)。
An.: 思い出しました、三好先生。たしかに、お腹に来そうな名前ですね(笑)!
Dr.:  私たちが、この武漢市へアレルギーの調査に訪れたのは1999年5月のことでしたが、長江を渡る巨大な「長江大橋」の川岸の堤防にもはっきりと、1998年の大洪水のツメ跡が。
An.: 目にも鮮やかに、クッキリと(笑)、遺されていたんですね?
Dr.:  キャスリン台風が原因でないことは判っていましたが、その頃までは中国の山々の治山治水は十分じゃなかったんですねぇ。
An.:  と言うことは、先生。「大躍進」のその後から、先生が長江の大洪水の跡を確認して来られた1999年前後まで、中国では緑化運動が盛んに行なわれていたんですね?
Dr.:  この緑化運動に使用された木が、たまたま日本の戦後とまったく同じスギの木だった。偶然そうなったのか、なにか理由があったのか、しばらくナゾだったんですけど・・・・・・。
An.:  ある日ナゾが解けたんですね、先生。
 そのナゾを解く先生のキー・ワードが、毛択東だったって、江澤は耳にしたことがあります。
Dr.:  実は私たちは、その光景を自分の目で確認しようと、1ケ月前の5月18日毛択東が1927年に立て篭もった、江西省の井岡山に行って来ました。
An.:  先生、その井岡山とはどういうところなんでしょう?
 それに1927年という年号は、どういう時期に相当するんでしょう?
Dr.:  江澤さんは、20世紀初頭の中国の政治家・孫文の名前をご存じですか?
An.:  たしか、辛亥革命を起こし、清の国から現在の中国に至る政治の基礎を築いた人で。
 そうそう先生、このOAの95回目にその話題が出てきます。
Dr.:  その孫文が亡くなったのが1925年で、直後に中国は蒋介石の国民党と、毛択東の共産党とに分裂します。
An.:  今から遡ること、90年になりますね。
Dr.:  劣勢だった毛択東軍は、上海から約600キロ離れ、濃い緑に覆われた深山である井岡山に移動し、ゲリラ戦を主体とした戦闘に入ります。
An.:  毛択東はその井岡山に何年間、立て篭もったんでしょうか?
Dr.: 1927年10月に入山し、1934年10月に下山、有名な長征に出発しますから、7年間は滞在したことになります。
An.:  先生のお話のように井岡山は、全山スギだらけなんですよね。
Dr.:  今回、隅から隅まで観察して来ましたが、山々はすべて中国スギで覆われていました。
An.:  そうすると、毛択東と共に革命の日々を送った若き共産党幹部たちは、スギの緑に心身ともに染まってしまったかも?
Dr.:  それが中国の緑化運動に、影響します。
スギ林の中にある毛択東の住居 スギ林の中にある毛択東の住居

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