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みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

2015年チベットアレルギー調査 旅レポ2 総務課 青柳 健太

  毎年恒例、中国アレルギー調査の旅レポートの続きをご紹介いたします。

3日目 9月18日(金)北京 → チベット・ラサ

(図1)北京空港の朝 (図1)北京空港の朝

 朝5時30分。チベット行きの航空機が1日1便しかないため、早朝に出発します。
 若干の雨に降られながらも、渋滞が起きる前に北京市内を抜けて空港に向かいます。
 今日は、北京発CA4125便でチベット自治区ラサの玄関口であるゴンカル空港へ向かいます(図1)。
 飛行機はほぼ定刻通り7時40分に飛び立ち、薄曇りの北京の空を昇っていきます。飛行時間は約4時間半ですが、日本の航空会社と違い座席にモニターなどは着いていないため、飛行機の窓からの景色を眺めて過ごします。
 お尻がジリジリと痛くなる頃、雪をたたえたヒマラヤ山脈の連峰とチベット高原が見えて来ました。
 高度を下げた飛行機は、山間の平野部にあるゴンカル空港へ着陸します。着陸の瞬間、滑走路脇に人民解放軍の戦闘機が駐機していました。おそらく、インドへの警戒用に配備された殲10かと思われます。この機体はロシア製のSu−27を中国国内でライセンス生産したものです。

(図2)澄み渡るチベットの空 (図2)澄み渡るチベットの空

 ゴンカル空港に到着すると、まず出迎えてくれたのは、飽くまでも澄みきった青空と、強烈な直射日光です(図2)。空気は乾燥しているのでカラッとした空気ではありますが、ちょっと歩くと途端に汗ばんできます。太陽光をさえぎる不純物が少ない為、日中は暑いくらいです。
 ガイドさんから歓迎のカター(首に掛ける細長い絹布)をかけてもらい、一行はゴンカル空港から北東にあるラサへ移動します。
 空港を出てすぐ、インドのベンガル湾へと注ぎ込むヤルツァンポ川を渡り、中国国内では唯一と言われる無料の高速道路を利用します。

(図3)近代化が進むラサ市近郊 (図3)近代化が進むラサ市近郊

 前回私がラサを訪れたのは2009年ですので、今回は6年ぶりの再訪となります。もちろんその当時に高速道路は開通していませんので、川沿いのボコボコの国道を利用した事が思い出されます。
 しばらく走ると、ラサ市の郊外に入っていきます。前回訪れた時に比べて多数のビルが建築されており、かつての風景とのギャップに驚かされます(図3)。
 インターチェンジはラサ市内の南側に作られており、2009年に利用した青蔵鉄道のラサ駅も同じエリアにあります。

ホテルで調査メンバーと合流

 ホテル(図4・5)で、西安から到着していた調査メンバーの愛知医科大学の稲川俊太郎先生、志賀耳鼻咽喉科院長の志賀敦先生、佐藤耳鼻咽喉科クリニック院長の佐藤圭先生、土岐市立総合病院の清水崇博先生と合流。早速、睡眠調査のための血中酸素濃度を計測します(図6)。到着直後なので、みなさん微妙に苦しそうな表情です。
 標高3000mを越える高地のため、到着した当日はあまり無理をしないのが鉄則ですが、例外は高橋Ns.です。ティラミスにかじりついていました。他のメンバーは夕食までの空き時間は部屋で休憩を取り、夕食もホテル近くのレストランでとります。
 あたりはまだ明るいため錯覚を起こしてしまいますが、時計を見ると夜7時です。中国では全て北京時間を基準としているので、こういう事が良くあります。グリニッジ時間で言うと夕方5時なので、まだまだ空が明るいのは当然でもあります(図7)。

(図4)セントレジス・ラサ・リゾートホテル (図4)セントレジス・ラサ・リゾートホテル

(図5)ロビーから臨むポタラ宮 (図5)ロビーから臨むポタラ宮

(図6)血中の酸素量を測ります (図6)血中の酸素量を測ります

(図7)まだまだ明るいラサの夜(図7)まだまだ明るいラサの夜

4日目 9月19日(土)世界遺産「ポタラ宮」

 ラサ市のほぼ中央にあるポタラ宮は、7世紀半ばにチベットを統一したソンツェン・ガンポによって築かれました。標高にして3640mの位置にあるマルポリの丘に建設され、建物自体の高さは117mにおよびます。
 チベットが中国に併合される以前は、このポタラ宮がチベット統治の中心として機能していました。
 建物は上下で紅白に色分けされており、下部の白い「白宮」が政治を、上部の紅い「紅宮」が宗教を司っています。
 今回は内部には入らずに、朝夕の日に染まるポタラ宮の撮影を目的としました。
 この時期のチベットはまだ雨季にかかっているため、朝からポツポツと雨が降っており、気温もそれなりに低いため肌寒さを感じました。
 ポタラ宮の周囲は緑地と人造湖が造成され、その中を厚着のチベット仏教徒が時計回りにお参り(コルラ)をしていました(図8・9)。
 思ったよりも雲が厚く日の光が差し込みません。1時間半ほど粘った結果、何とか朝日を浴びるポタラ宮の撮影に成功しました(図10)。

(図8)緑豊かな庭園に囲まれたポタラ宮 (図8)緑豊かな庭園に囲まれたポタラ宮

(図9)多くの信者が集まります (図9)多くの信者が集まります

(図10)ポタラ宮の裏側 (図10)ポタラ宮の裏側


チベット仏教の寺院「大昭寺」

 次の訪れたのは、ポタラ宮に次いで有名な場所である「大昭寺」です。
 建物は大きく2つに分かれており、本殿であるジョカン寺、その周囲を取り囲むトゥルナン寺で構成されています(図11)。
 入り口前の広場には、チベット中から集まった仏教徒が五体倒地というお祈りを捧げています(図12)。七転八倒ではありません。
 入り口の門をくぐると中庭があり、正面に本殿であるジョカン寺が見えてきます。
 ジョカン寺の内部は時計回りに参観するようになっており、入ってすぐ左側に4代宗派の1つゲルク派の開祖ツォンカパと8人の弟子の像が祀られています。そこから無光量堂、薬師堂、観音堂、弥勒堂、ツォンカパ堂・・・・・・と続きます。
 寺内の中央には一際巨大な釈迦牟尼像が祀られています。この像は、嫁入りした文成公主が中国から持ち込んだもので、僧侶はそのお膝元で読経を行います。
 屋上に出ると、陽光を浴びて金色に輝く屋根と法輪が視界に入ってきます(図13)。

(図11)大昭寺の内観図 (図11)大昭寺の内観図

(図12)五体投地をする信者 (図12)五体投地をする信者

(図13)黄金に光る大昭寺 (図13)黄金に光る大昭寺

 大昭寺を囲む商店街

 大昭寺の周囲は八廓街と呼ばれる商店街が林立しています。元々は大昭寺の周りをコルラするための巡礼路でしたが、いつからか仏具などの売る商店街になりました。以前は所狭しと土産物の屋台が立ち並んでいましたが、今回は暴動を警戒する中国当局により全て撤去されていました。あの失われた賑わいがとても懐かしく感じられました(図14・15)。

(図14)多くの人で賑わう八廓街 (図14)私たちが行く3ヶ月前に測定されたそうです

(図15)八廓街は巡礼路でもあります (図15)八廓街は巡礼路でもあります


再開された問答修行

 2008年のチベット騒乱以降、僧侶が集まる集会などには厳しい制限が課せられました。
 2005年に院長が訪れたラサ市の北8㎞ほどの山麗にあるゲルク派の寺院セラ寺でも、かつては僧侶同士による問答修行(2人1組で、片方が質問を投げかけ、もう1人が即座に答える修行)が盛大に行われていましたが、最近まで閉鎖されていました。
 今では観光用として問答修行が見学できるようになったと聞いたので、足を運んでみました。
 寺院の背後には、標高数百mはあろうかと言う岩肌むき出しの山がそびえ、鳥葬場となっているのですが、その麓にセラ寺が建立されています(図16)。
 立派な門から坂道を登っていくと、金色に輝く屋根をたたえた寺院が見えてきます。中庭では少数の僧侶が問答修行を行っていました(図17・18)。
 その周囲に多くの外国人観光客が群がり、問答修行を見学していました。

(図16)セラ寺の門 (図16)セラ寺の門

(図17)セラ寺の境内 (図17)セラ寺の境内

(図18)問答修行をする僧侶(セラ寺) (図18)問答修行をする僧侶(セラ寺)

薬王山から見たポタラ宮

 午前中の浴びる朝日とは異なり、夕暮れに溶けるポタラ宮を撮影するために日暮れの人民広場を訪れました。
 ポタラ宮にほど近く、道路を挟んで南西に小高い岩山があります。名前を薬王山と言い、1960年以前は医学を教える学堂があったそうです。今ではテレビ塔が頂上に立ち、登頂も出来なくなっています。
 麓には有料の展望台が設置されており、そこからポタラ宮が撮影出来るようになっています。しかし、すでに多くのカメラマンがひしめき合う様に場所取りをしており、なかなか良いポジションを確保出来ません(図19)。
 ちなみに中国の50元札には、この位置から見たと思われるポタラ宮の絵が描かれています(図20)。

(図19)薬王山の展望台 (図19)薬王山の展望台

(図20)50元冊に描かれたポタラ宮 (図20)50元冊に描かれたポタラ宮

人民解放軍風のお店

 夕食の会場となった「崗王府」はキノコ鍋が名物のお店です(図21、詳しくはグルメレポをご覧下さい)。 
 このお店は「革命」を模した装飾が随所に見られ(図22)、中国建国の父・毛沢東のほかに、マルクス主義を唱えたマルクス、そのマルクスの共に共産主義社会の構築を目指したエンゲルス、ロシア革命の主導者レーニン、旧ソ連の書記長スターリンの肖像画が飾られていました(図23)。
 中には、人民解放軍の歴代少将の写真もありました(図24)。

 さて、次号はラサを離れてインドとの国境紛争地帯の町・林芝を訪れます。

(図21)キノコ鍋が名物です (図21)キノコ鍋が名物です

(図22)各省の革命委員の責任者が記されています (図22)各省の革命委員の責任者が記されています

(図23)近代中国の歴史にまつわる著名人 (図23)近代中国の歴史にまつわる著名人

(図24)歴代少将の顔入り名簿 (図24)歴代少将の顔入り名簿