3443通信 オンライン  
みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

2016年アレルギー調査 〜ノモンハンを巡る旅〜 レポ4 総務課 青柳 健太

 引き続きまして2016年中国アレルギー調査レポートをご紹介します。

●4日目 9月17日(土)ハイラル → 満州里

 内モンゴルの朝は、まさに快晴と呼ぶにふさわしい好天に恵まれました。肌を凪ぐ風は適度な涼しさを感じさせてくれますし、空はどこまでも青く広がっています。
 今日はハイラル市から西へ約220㎞にあるロシアとの国境にある満州里(図1左上)へと移動しますが、その前にハイラル市外にある戦争遺跡・反ファシスト戦争記念館に立ち寄ります。
 車に乗り込み市街西の郊外へ20分ほど走ると、小高い丘の上に建つ記念館が見えてきました。

○反ファシスト戦争ハイラル記念館

 この記念館は、旧日本軍の関東軍が建設したハイラル要塞群の1つです(図2左上)。ここは河南台陣地と呼ばれた場所で、その陣地跡に記念館は建設されました。
 敷地面積は110万平方メートル(東京ディズニーランドの約2倍)あり、10ヶ月間の改修工事の後、2008年に記念館としてオープンしました。
 ハイラル要塞は、この地に作られた要塞の中で最も規模が大きく、また複雑な構造をしており、5つの主要陣地(安堡山、河南台、伊東台、松山、東山)と4つの補助陣地で構成されています。
 また、地表から20m程の地下には総延長5㎞とも言われる地下要塞が造られ、約3万人の兵士を収容する事ができたそうです。
 駐車場から丘下をながめると、今まさにソ連軍が要塞を攻めている様子が原寸大のジオラマで再現されています。ただ、車両模型の作りは甘く年代もバラバラのため、もう少し何とかならなかったのかと思わざるを得ませんでした。

(図1) (図1)

(図2)旧日本軍が造った要塞群 (図2)旧日本軍が造った要塞群

〇実物の戦車を展示

 ノモンハン事件では使用されませんでしたが、第二次世界大戦で実際に使用された戦車も数台置かれていました。
 その車両はT34と言い、ミリタリーに詳しい人であれば必ず知っているとも言える名車両です(図3)。
 特徴は、砲弾を防ぐための装甲が斜めになった傾斜装甲と呼ばれる形状です。当時の戦車は造り易さや製造技術の問題から、板状の装甲板を箱型に組み合わせた四角い戦車が多く造られていました。しかし、ソ連の敵国であったドイツ陸軍が強力な戦車と戦術を持ってソ連の大地を侵略し続けた事から、それに対抗する戦車開発が急務となりました。
 その結果として生まれたのがT34です。車両の重さを抑えるためにある程度まで装甲を薄くして、砲弾を弾きやすい傾斜装甲を採用したT34は、軽快な機動力と強力な76ミリ砲、傾斜装甲による強靭さを備えたバランスの良い戦車として活躍し、ドイツ軍に大打撃を与えました。
 マニアとして書きたい事は沢山ありますが、主旨が変わってしまうのでこの辺で・・・・・・(涙)。
 記念館の中は周遊できるようになっており、時系列で各種資料や写真、実際の使われた装備品などが数多く展示されていました(図5~10)。展示物には英語と中国語の説明文で書かれており、内容は読み取ることは出来ませんでした。
 また、地下要塞の一部も一般公開されており見学できるようになっています。地下に続く長い階段を下っていくと、徐々に気温が下がってくるのが肌で感じられます(図11)。ガイドさんの話では0度近い気温だとか。冷蔵庫いらずですね。
 寒く狭い地下要塞の雰囲気はとても独特な圧迫感があり、ここで長期間にわたり任務に就いていたのかと思うと、その精神力には脱帽してしまいます。
 べトン(コンクリート)で覆われた地下通路には大小様々な部屋が繋がっており、そのどれもが地下鉄のトンネルなどと同じように、上からの衝撃に強い卵型をしていました。
 背中に薄ら寒さを感じつつ外に出ると、ポプラの木々がサワサワと踊り暖かい風が吹き抜けていました。やはり地上が一番です。
 本来は神社跡なども見学する予定でしたが、予想以上に時間がおしてしまい、予定を変更して次の目的地である満州里へ向かいます。

(図3)戦車長? (図3)戦車長?

(図4)博物館の入口 (図4)博物館の入口

(図5)砲兵陣地跡 (図5)砲兵陣地跡

(図6)かなり痛んでいます (図6)かなり痛んでいます

(図7)地下要塞の見取り図 (図7)地下要塞の見取り図

(図8)通信機 (図8)通信機

(図9)機関銃 (図9)機関銃

(図10)砲弾 (図10)砲弾

○ホロンバイル草原を超えて

 ハイラル市街を北に抜け、そこから西に伸びるG301線(国道)にのると、ロシア国境の街である満州里に至ります。
 このルートでは、穏やかな丘陵とどこまでも続く草原が目の前に広がります(図12)。見渡す限りに林や森などは一切なく、背の低い牧草が生い茂っており、そこかしこで羊や牛といった家畜たちがのんびりと草を食べていました。
 果てしなく広がる草原を見ると、車ではなく馬で駆け抜けたくなる衝動に駆られてしまうのは、私だけではないはずです(笑)。
 ホロンバイル草原の由来は、草原にある2つの湖の名前にちなんでいるそうです。2つの湖はそれぞれホロン湖とバイル湖と呼ばれ、それぞれモンゴル語で「雄のカワウソの住む湖」と「雌のカワウソの住む湖」という意味があるそうです(図13)。
 地名の由来というのは、意外と単純な事から名付けられているんですね。
 またこの地方は、マンモスの故郷とも呼ばれており、近辺ではマンモスの化石が多く発掘されたのだそうです(図14)。
 実は、私たちの住む日本でもマンモスの化石は発見されています。これは氷河時代に海が凍って水位がさがり、中国と日本が陸続きになっていた為ではないかと考えられています。
 院長の研究では、日本と中国のスギ花粉症患者は、双方の国に生えるスギにアレルギー反応を起こし、つまり両国のスギは同一であり同じく氷河時代に陸続きで植生していた事が示唆されています。

(図11)地下通路 (図11)地下通路

(図12)青い空と草原 (図12)青い空と草原

(図13)ホロン湖岸にて (図13)ホロン湖岸にて

(図14)院長の数倍の大きさ (図14)院長の数倍の大きさ

○昼 食

 満州里の手前18㎞にあるジャライノールという町で昼食をとります。

〇米粉の平麺の黒酢かけ(図15)

 冷菜として選んだのは、プルプルとした食感とコシのある米粉の平麺料理です。その麺ののど越しの良さと黒酢のコクを楽しむ料理です。

〇焼き豆腐とホタテの炒め物(図16)

 このお店でのお気に入りだった料理です。豆腐はサクサクとしており、そこにホタテ、玉ねぎ、赤唐辛子、ニンニクを炒め物が加わって、ご飯との相性抜群です。ご飯おかわり!

〇青菜のニンニク炒め(図17)

 こちらはとてもベーシックな中国料理です。熱した鍋にニンニクを入れて香りを出し、葉野菜をサッと塩で炒めた逸品です。シャキシャキとした歯ごたえとシンプルな味付けが飽きを感じさせません。

〇長ナスの肉味噌炒め(図18)

 とても長いナスを肉味噌で炒めた料理です。上にかかっているのは香菜とパプリカです。トロリとした肉味噌がナスに良くからみ、どっしりとした味付けですが、野菜中心の為か胃のもたれは感じさせません。

〇ホロン湖の鯉の煮付け(図19)

 すぐ近くにあるホロン湖でとれた鯉の煮付けです。日本の煮付けとは違い、ニンニク、唐辛子、ネギ、八角で味付けがしてあります。少しピリリと辛いですが、淡白な白身がその辛さを相殺してくれます。

〇タンメン(図20)

 少し太めの麺によるタンメン(タンはスープの意)です。具材は細切りの牛肉、香菜、トマトで、麺はモチモチとした食感です。スープは少し油が強めですが胡椒と黒酢の風味が印象的です。

〇肉団子と豆腐浸し(図21)

 見た目が日本的なこの料理は、牛肉の団子がコクをつけ加えています。豆腐のツルリとした口当たりに続いて、トロミの付いた醤油ベースのタレが余韻を残します。
 満腹になった一行は、目前まで近づいた満州里へと足を向けます。

つづく

(図15)米粉の平麺の黒酢かけ (図15)米粉の平麺の黒酢かけ

(図16)焼き豆腐とホタテの炒め物 (図16)焼き豆腐とホタテの炒め物

(図17)青菜のニンニク炒め (図17)青菜のニンニク炒め

(図18)長ナスの肉味噌炒め (図18)長ナスの肉味噌炒め

(図19)ホロン湖の鯉の煮付け (図19)ホロン湖の鯉の煮付け

(図20)タンメン (図20)タンメン

(図21)肉団子と豆腐浸し (図21)肉団子と豆腐浸し