3443通信 オンライン  
みみ、はな、のどに関する病名、症状などの用語集

fmいずみ ラジオ3443通信 ピアス11

◆番組情報
fmいずみ797「be a live」にて 毎週火曜10:20〜10:30まで放送中‼

An.:…江澤アナウンサー、Dr.:…三好院長]

fmいずみ ラジオ3443通信 バルト三国(1)目次

194 アンネの日記

An.:  三好先生、前回は読者プレゼントにめまい特集号とピアス・トラブル特集号をご用意いただきありがとうございました。  読者の反響も良くって、こういっためまいに対する知識を教えてもらって良かったという反応がありました。
Dr.:  江澤さん、わかってしまえば簡単なんですが、分かるまではめまいもピアス・トラブルも、謎が謎を呼ぶという事がありますから、正確な医学知識を持つ事は大切ですよねぇ。  それは、江澤さんの重要な任務なんですよ(笑)
An.:  先生、そんな江澤にプレッシャーがかかる事を言わないでください・・・・。ところで先生、それは新しい3443通信ですか? 表紙に美人さんが写っていて、とても良いですね!
3443通信No.260

Dr.:  実は、この8月から9月にかけて、僕たちは海外2ヶ所へ旅行に行って来ました、1ヶ所は、前々からお話をしていたノモンハンで、旧日本がソ連との前哨戦をやった1939年の頃の歴史遺跡なんですよ。  それとほぼ同時なんですけれども、1939年にヨーロッパでソ連が何をやっていたのかと関連して、ノモンハンとは全く逆の西の端に行ってきました。
An.:  まあ先生、ドラえもんのどこでもドアですね! もう少し、先生のいらした場所について教えて下さい。1つはソ連の東にあるノモンハンと、もう一方はソ連の西の端だったんですか?
Dr.:  旧ソ連とヨーロッパとの境目には、小さな国々がいくつかあって、特に第二次世界大戦をはさんで、ソ連やドイツとの所有権争いがありました。その影響で、なかなか独立が果たせなかった国々があるんです。
An.:  へぇ~?
Dr.:  日本は単一民族ですが、ヨーロッパは難民の移動で多種の民族が入れ混じる為に、住んでいる国の国境線の策定が非常に難しくなる事があるんですよ。  日本は、周囲を海に囲まれて陸地が区切られていますから、そういう意味ではオン・ザ・ラインの上といった感じですが、むこうはそうではないようですね。  第二次世界大戦でも、ドイツとソ連の国境線が入れ替わる度に大幅な民族移動が強制的に行われ、大変な混乱をもたらした事実はあるんですよ。
An.:  先生の言うそれは、ロシアの西の境というと、どのあたりでしょうか?
Dr.:  僕らが今回行ったのはバルト三国と言って、ロシアとバルト海に囲まれた小さな3つの国々なんですけれども、それぞれの国名はリトアニア・ラトビア・エストニアと言って、それぞれが大体九州1つぶん位の大きさです。
An.:  ちょっと世界地図でみても、中々探しづらいような特殊な場所のようですが、三好先生はわざわざどうしてそこへ?
Dr.:  歴史的にノモンハンの1939年と、やはりソ連がその年にどう動いたかが密接に関係してくるものですから、これは総合的に後から説明をしていきたいと思っているんですけど。
An.:  先生、そんなに気を持たせないでくださいよ。お腹が空くじゃありませんか!
Dr.:  そう思って江澤さん、このチョコでも食べてお腹を持たせてください(笑)。  話は変わりますが江澤さん。「アンネの日記」という本を聞いたことがありますか? このマンガなんですけれど。
An.:  (笑)先生、まさにどこでもドアですね! まさか私も、あの本がマンガになっているなんて、思ってもいませんでした!
Dr.:  この時代、ソ連の軍事的な侵攻と、ドイツのヒトラーによる領土拡張の野心とがぶつかり合おうとしていて、その合間で本書の著者であるアンネ・フランクのようなユダヤ系の人たち、それとソ連の領土の端っこの戦乱に晒されやすい土地の人たちが、とても悲惨な思いをした事があるんですよ。
An.:  江澤も、それは聞いたことがあります。
Dr.:  こういうソ連やドイツの軍事的な衝突の狭間にあって、日本人がどういう役割を果たしたのかという事について、つい最近まで忘れられがちだったんですけれども、ね。  去年が、戦後70周年という節目の年だったので、そういった日の当たらない部分にもビッグライト(笑)を当ててみようと言う想いがあるんですよ。  そうしますと、このバルト三国という狭いヨーロッパの片隅を中心に、たった1人の日本人が孤軍奮闘でナチスに追われたユダヤ人たちを、1人また1人とビザを与えて日本まで逃がし、その数は合計2000家族、6000人に及んだと伝えられています。
An.:  先生、ビザが2000家族で6000人って、どういう事なんでしょうか?
Dr.:  その当時のビザは、1家族に対して1つ与えられる習慣だったものですから、1人にビザを与えると6000人分の「命のビザ」になったんですよ。
An.:  江澤も、小耳に挟んではいましたが・・・。
Dr.:  最近公開された、唐沢寿明主演の映画や、千畝の奥さんである杉原幸子さんの手記に、詳しく書いてあるんですけどね。  その当時の世界情勢の中で、ソ連は軍事的にヨーロッパに進攻しようとしていました。ドイツ人は、ユダヤ人がドイツ人の住む土地を不当に奪っていると考えており、ユダヤ人を追放する政策をとっていたんです。  ドイツ人のユダヤ追放政策は本来は穏やかなものであって、決して虐殺をしようとしたものではなかったんですけれども。  江澤さん、考えても御覧なさいな。お菓子1つも持たないで隣の国へ出て行けと言われた江澤さんは、無事に生きていられたでしょうか?
An.:  先生、わたしはキャンディーなしには生きていけません!
Dr.:  ドイツ人のユダヤ人追放は、始まりはおだやかでしたが、食料と土地をそれぞれ追放したユダヤ人たちに与えなければならない矛盾に対して、まして戦争がはじまり敵対国と軍事作戦を開始しなければならず、ユダヤ人をどこへ追い出すという事までは、もう考えが及ばなくなっていたんです。  結果的に、ユダヤ人は出ていき、出ていく先は収容所。収容しても食べさせられないなら虐殺をしよう、と言う考え方から、あのユダヤ人のゲットーというものが生まれたんですよ。
An.:  お話は、次回に続きます。
3443通信No.260 3443通信No.260