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2022年4月(No.325)

英国紅茶シリーズ②
ラジオ3443通信「近代に流行った英国紅茶」

 

ラジオ3443通信は、2010年から毎週火曜10:20~fmいずみ797「be A-live」内で放送されたラジオ番組です。
 ここでは2013年5月21日OAされた、英国紅茶にまつわるお話をご紹介いたします。

115 近代に流行った英国紅茶

An:
 三好先生、前回は先生のおみやげの英国の紅茶のお話を伺いました。
 コーヒーとのカフェイン含有量の比較など、非常に含蓄のあるお話でした(笑)。

Dr:
 英国の、緑におおわれた平原を眺め、午後の紅茶を嗜むと、自分の人生まで豊かになったような、そんな気分になっちゃいます。
 でも江澤さん、この英国の緑も紅茶も、わずか150年の歴史しかないんですよ。

An:
 えっそんな先生、英国の美しい自然と紅茶のセットは、何百年もの伝統があるものと、江澤は思ってました。

Dr:
 江澤さん、このOAで以前、ナポレオンとカモガヤ花粉症のお話をしたことがありますが……、憶えてますよね?

An:
 先生あのお話、面白かったです。
 古代から世界の7つの海を制覇した国家、つまりギリシャ・ローマ・ポルトガル・スペインなどが、没落したのにはわけがある。それは海の軍備である、当時は木造の軍艦を建造するのに、1隻当たり山1つもの木材が必要だった。
 だから、軍備のために国中の山の木々を切り倒してしまって、木材が尽きると同時に国家の防衛ができなくなってしまう。それゆえにその国は、滅亡に至る。
 そういうストーリーでした。

Dr:
 で、英国では?

An:
 伝説のネルソン提督が、トラファルガーの海戦でナポレオンのフランス艦隊を撃破したために、当時陸の王者であったフランスは、7つの海にうって出る野望を遂げられなくなった。
 ところがフランスに勝った英国では、それまでの海洋国家のように、国中の木々を切り倒したために、国全体がカモガヤなどの牧草地になってしまった。

Dr:
 その光景が、今私たちの見ている、美しい英国の緑の世界に変化してきたんです。
 後でお話しするような歴史を経て、ですけれども。

An:
 英国の緑と言えば、英国はガーデニングの本場ですもの、ね。
 きっと美しい花々に、英国の緑は彩られているんでしょうね?
 江澤も一度、そんな光景を目のあたりにしてみたいです。
 写真で見る英国も、お伽話の小人の家のような、古い漆喰作りのひなびた家屋と緑の絨毯、そしてカラフルなお花が印象的ですもの。

Dr:
 そうですね。そんな何百年もの歴史を持つ古い家屋は、イイ雰囲気ですよね。
 でもね、江澤さん。
 それに対して英国の首都・ロンドンの街並はどうでしょう?

An:
 ロンドンは大都会だから、でしょうか。石作りの、いかにも女王さまのお住まいみたいな建築物だらけ、ですよね。

Dr:
 ロンドンの中でももっとも古い地区は、「ザ・シティ」と呼ばれていまして。
 世界の金融街の中心と言われた、証券取引所を中心とする1マイル四方の地域です。

An:
 『ザ・シティ』ですから、ホントに街の中の街って感じですね。

Dr:
 この辺りは本当に石作りの堅固な建物が並んでいて、それらしい雰囲気の街並なんですけれど。
 実は1666年の「ロンドン大火」の前は、ザ・シティの家々は漆喰作りの古風な建築だらけだったんです。

An:
 ちっとも知りませんでした。

Dr:
 ロンドン大火以降、木造住宅の建設は禁止されましたので、石作りのアパートだらけになったのが現在のザ・シティなんです。
 ロンドンの現在の石作りの風景は、それ以来のことなんですけれども。1ヶ所だけロンドンでは、シェークスピアで有名なグローブ座という劇場が、漆喰作りの建築物として再現されています。

An:
 そうだったんですか!?

Dr:
 ロンドンとは事情は異なりますが、英国の地方都市も産業革命の始まる前には、木材の乱伐によってそれまでの自然ゆたかな光景は一変し、荒れ果てた雰囲気の風景だらけになってしまったんです。

An:
 今の緑豊かな英国の観光写真からは、想像できませんね!

Dr:
 英国の歴史の本にはこう書いてあります。「すでに16世紀には、・森林の消失・と呼ばれる生態学的危機にみまわれていた。」

An:
 そういう荒廃した英国が、現在の緑豊かな自然を取り戻したのは、いつのことだったんでしょうか?

Dr:
 そのお話が、興味深いんです。
 英国ではそんな経緯からか、園芸つまり植物を植えて育てることに関心が集まり、世界各国から様々の植物が収集されます。
 ガーデニングはですから、この園芸への関心が生んだものなんです。
 スギ花粉症の原因である日本スギが、英国に紹介され、クリプトメリア・ジャポニカと名付けられたのも、この頃つまり19世紀半ばのことでした。

An:
 日本の植物も、当時の英国に紹介されたんですね?

Dr:
 日本だけじゃなくって、英国の植物学者は中国からも植物を採取しました。
 そんな採取植物の中に、お茶があったんです。

An:
 えっ、それじゃ三好先生。英国人の日常生活に欠かせない紅茶は、19世紀半ばに中国や日本から持ち込まれたことになりますね。

Dr:
 それまで水やエールという英国ビールを飲んでいた英国の人々は、紅茶に夢中になります。昼間っからビールを飲んでいては、産業革命以降の機械化された労働になりませんし、水は例えばテムズ河の水でも汚染されていて、伝染病の危険もありました(図1)。
 煮沸された、つまり消毒された熱湯を使用する紅茶は、英国人のニーズにぴったりだったんです。

図01
 図1 井上栄氏「文明とアレルギー病」より
【補足】
 当時のヨーロッパの大都市には上下水道が整備されておらず、家に溜まった糞尿を窓の外に捨てていた。その際、道行く人に「ガーディ・ロー」と注意を促すのがマナー?だった。

 

An:
 この紅茶には先生、すごい歴史が背景として存在するんですね。
 ますます先生お土産の紅茶で、目がサエてきそうです。

Dr:
 江澤さんとお茶すると、私も目玉がバッチリ開きますよ。
 このお話の続きも、どうぞお楽しみに。

Dr・An:
 本日もありがとうございました。

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