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2022年8月(No.330)

 

山形の”出羽三山神社”に行って来ました

院長 三好 彰


 梅雨明けすぐに猛暑となった6月30日(木)、山形県にある出羽三山神社の一つである羽黒山神社に行って新車のお祓いをして貰いました。
 長引くコロナ禍の制限緩和を利用して、遠出がてらの参拝になります。

図01図02


1.羽黒山神社
 出羽三山神社の一つを成す羽黒山神社は、その名の由来にもある通り山形県の羽黒山に建立されています。
 ちなみに出羽三山とは、羽黒山・月山・湯殿山の三つの山の総称です。かつてこのエリアは出羽国(でわのくに)と呼ばれていたことから、出羽三山と名付けられました。

 その歴史は1,400年以前にも遡り、第32代天皇・崇峻天皇の第一皇子の蜂子皇子が、蘇我馬子から逃れて出家し創建したのが由来と言われています。
 そして蜂子皇子は同年に月山を、その12年後に湯殿山を開き、今日の「出羽三山」となりました。
 この三つの山を巡ることは「生まれかわりの旅」と呼ばれ、羽黒山(現在)・月山(過去)・湯殿山(未来)を巡り参拝することが古より続く信仰に繋がっています(図1、2)。

図03
 図1

図04
 図2


西の伊勢参り、東の奥参り
 戦国の世が終わり天下泰平とうたわれた江戸時代。
 庶民の間ではこれまで出来なかった一大旅行ブームが起きたそうです。その中でも三重県にある伊勢神宮に参拝するお伊勢参り(またはお陰参り)は特に人気で、一生に一度は行きたい場所として注目を集め、江戸中期には年間で20~40万人もの参拝客が訪れたと言われています。
 それと共に人気を博したのが、東の奥参り(湯殿山が“奥の院”と呼ばれたことが由来)と呼ばれた出羽三山への参拝でした。
 松尾芭蕉の著「おくのほそ道」に書かれたことも下地となり、最盛期には江戸から15万人もの人々が歩いて出羽三山を目指したそうです。

山頂でのお祓い
 車両のお祓いは、羽黒山神社の本宮(山頂)の一角にある「車両祓所」で行なわれました。
 有料道路を上り、注連縄(しめなわ)と紙垂(しで)に区切られたスペースに車を止め、いざお祓いをして頂きました(図3)。
 これで安心してドライブを楽しむことが出来ます(図4)。
 なお本殿では山伏たちが神事前のお祓いを受けていました(図5)。

図06
 図3

図04
 図4

図05
 図5


2.弥陀ヶ原湿原(月山)でハイキング
 仙台市では大雨による河川氾濫と土砂災害警報による避難指示が出た翌日、打って変わって好天に恵まれた7月14日(木)に、河北新報トラベル主催の山形・月山にある弥陀ヶ原湿原ハイキングツアーに参加しました。
 出羽三山の一つを成す月山。
 その八合目に広がる弥陀ヶ原湿原は百数十種におよぶ高山植物が一面を覆い、約3,000個とも言われる小さな池が点在する光景は、どこか地上にあるとは思えないミステリアスな情景が広がっています。
 特にこの季節は、黄色い花弁が映えるニッコウキスゲが見頃を迎え、青と緑の高原に更なる彩りを加えていました。
 流石に山頂にある月山神社までは足が伸びませんでしたが、青く霞む鳥海山を臨むロケーションは「すごい!」の一言に尽きます(図6~9)。

図07
 図6 ニッコウキスゲが見頃を迎えています

図08
 図7 中央に見えるのが鳥海山です

図09
 図8 月山神社の鳥居。神社はまだまだこの先です

図10
 図9 山荘に物資を運ぶヘリコプター


3.湯殿山神社
 月山の南西に連なる湯殿山の大鳥居です。
 出羽三山神社の中では、宮城県側から行けば一番近くにあるこの湯殿山神社も、江戸時代までは神仏習合の権現を祀る修験道の場でした。明治時代以降は神山として、大山祇命、大国主命、少彦名命の三神を祀るようになりました。
 現在では雪の積もる冬期間は閉山し、春から秋にかけての参拝を主に受け付けています(図10)。
 大鳥居の南側には月山湖(図11)が新緑をたたえています。

図11
 図10

図12
 図11

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