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2022年9月(No.331)

論文「Tibet鉄道(青蔵鉄道)における高所障害の体験」

院長 三好 彰

図0


 この度、日本登山医学会誌に『三好 彰: Tibet鉄道(青蔵鉄道)における高所障害の体験. 登山医学 Vol.41: 40-47, 2021』が掲載されました。
 標高5,000メートルもの高地を走る青蔵鉄道。
 そこで体験した高山病(高所障害)について解説していきます。

I.はじめに
 国内では不可能だが、Tibetなどに旅行した場合標高5,000m前後の高地を移動することがあり、そこではいわゆる高所障害あるいは高山病として知られる様々な人体の変化を体験する。
 著者は2001年以来8回Tibetを訪問しているが、2009年9月に青蔵鉄道を利用する機会があった。本稿ではその経験から主に全大気成分低下に伴う高所障害の呼吸状態について報告する。

Ⅱ.対象と方法
 被験者Aは、2009年の調査に同行したTibet初体験の65歳女性でSAS・いびき・肥満とも既往はない。平地と高地それぞれの覚醒時と睡眠時の経皮酸素飽和度(以下SpO2)と脈拍の測定をKONICA MINOLTA Pulsox-300iΧ®を用いて測定した。
 調査地は別記のa~dであり、図1には青海省からTibet(西蔵)自治区に至る青蔵鉄道の走行路を示した。図1中の①B ③Bは、コンパートメント内での測定中の様子である。
 著者は、鉄道に乗車した西寧市からLhasa市まで1,956kmを25時間で移動した。ルート中、Golmud市(図1-②)からはLhasa市(図1-⑤)まで標高5,000mを超える高地が広がっており、600hPa前後の気圧の中を15時間以上かけて走行した。

図01(修正)
    図1


Ⅲ-1.結果1(図2)
 このグラフは、平地と高地とで比較した被験者Aの睡眠時のデータである。
 平地は中国の西安市、昔の長安と呼ばれた街で、標高405m、気圧973hPaとなっている(図2-表1)。
 対して高地、即ちTibetのLhasa市は富士山の頂上に迫る標高3,650m、気圧657hPaとなっており、SpO2は35.2%まで低下する(図2-表2)。AMS症状は西安市では無症状。Lhasa市では前夜にSteroid使用のため目立った症状は見られなかった。

図02(修正)


Ⅲ-2.結果2(図3)
 青蔵鉄道乗車中(図1)に測定した被験者Aの測定データと地点を示した図で、平地(図2-表1)と比べて図3-②から図3-④にかけてSpO2(青色の線)が著明に低下している。そして図3-②の睡眠中のSpO2低下は、OSAの関与は否定できないまでも中枢性睡眠時無呼吸(Central Sleep Apnea、以下CSA)の出現を示唆する。

図03(修正)


Ⅲ-3.結果3(図4)
 Lhasa市で著者は、呼吸面における高所障害対策として持続陽圧呼吸療法(以下CPAP)装用の有無を被験者Aで比較した。
 CPAPはいびきや睡眠時無呼吸症候群(Sleep Apnea Syndrome、以下SAS)、ことに気道の狭窄をもたらす肥満などに伴う、閉塞性のSASに対して行なわれる標準的治療法である。このCPAPは鼻と口にマスクをあてがい、陽圧で規則的に空気を気道に送り込み、その圧で気道の狭窄を改善、正常な呼吸をもたらすしくみとなっている。

 すると、CPAP非装用時の睡眠(図2-表2、図4-表2)ではSpO2の最大値は79.9%、最小値は35.2%となりOSAの関与は否定できないまでもCSAが推察された。
 一方、CPAP(小池メディカル GK420® オート設定(平均圧10.1cmH2O))装用時(図4-表3)には、SpO2最大値が96.3%、最小値が54.8%にまで上昇した。AMS症状は多少の息苦しさはあれど明確な自覚症状はなく、軽症と判断された。

 だが、平地での図2-表1のごとくSASとは無縁の被験者AがCPAPには不慣れという事情もあり、就寝中にCPAPを外してしまう場面(図4)もあった。
 十分に使いこなせれば、高所障害の睡眠時無呼吸に対してCPAPは有効かと考えられるが、そもそも使うこと自体に慣れが不可欠であり、場合によっては装用のために熟練した医師もしくは技師の同行も必要となる。

図04(修正)


Ⅳ.考察
 高所障害もしくは高山病は、呼吸面に関しては気圧低下と低酸素や低二酸化炭素などに対する人体の適応障害と言える。
 文献ではこの場合、気圧低下の進行に伴い、呼吸・循環器及び中枢神経(以下CNS)症状が惹起される、と言われている。
 著者は今回、青蔵鉄道を利用したTibetへの旅行において、呼吸障害を中心として調査を行なった。

 今回の調査に先立って著者は2007年9月21日、やはりTibetの標高4,500mのNamutso湖(図1)に宿泊した。その際同行した、Tibet初体験の47歳男性(被験者B)が宿泊施設における安静時、呼吸面に対する気圧低下(全大気成分低下)の影響から意識レベルの低下や視野狭窄を生じた経験を有している(図5)。この際、純酸素の投与ではSpO2の改善はなく、後述する機序からむしろCSAの増悪が推察された。

図05(修正)


 ただしこの際、被験者Bには血中酸素濃度の測定にパルスオキシメーター小池メディカルWrist SO2®を用いたが、被験者Aで用いたKONICA MINOLTA Pulsox-300i®の検査結果(図5・6)と比較した場合、この簡易機器では本機器メーカーの資料(口頭)によるとSpO2 60%以下の低酸素状態を十分にモニターし得ていないことが推測できた。Wrist SO2®は測定者が覚醒して測定せねばならない現実も、高所移動中にはつらいものがある。

 余談だが著者自身もLhasa市での睡眠中に、自分の呼吸が止まっていることに気付いて、あわてて覚醒したことがある。夢の中で、CSAの呼吸停止を自覚することも現実にはある。
 このCSAの起きるメカニズムを示した(図6)。2)3)4)

図06(修正)


 通常人体は、血中の酸素分圧(以下、PaO2)が低下すると過呼吸になる。すると、血中二酸化炭素分圧(以下、PaCO2)が低下するため呼吸中枢が抑制され、睡眠時には以下の如くCSAが起き易い。高地での気圧低下による大気中の二酸化炭素濃度低下も、同様に呼吸中枢抑制を促進する。
 つまり高地では平地における無意識の自然呼吸は困難で、自分で意識しないと呼吸ができにくくなる。それは覚醒時には容易だが、睡眠時には著者や被験者A・Bの体験のように無呼吸つまりCSAを生じ易い。この状況は、伝説の「Ondineの呪い」4)に例えられる性質のものとなる。

 その場合、呼吸の管理にCPAPは有効だが、使用者の慣れと熟練した医師や技師の介助が必要となる。慣れない高地の体力の低下した状態では、被験者が自分一人で初体験のCPAPを装用することは事実上困難である。
 なお誤解され易いが、高地における気圧低下状態では、大気の成分全体が減少しているので、PaO2とPaCO2の構成比率に変化は見られない。

 さて今回は調査対象としなかったが、高所障害において気圧低下のもたらすもう一つの重要な症状は、人体各臓器の浮腫2)である。
 これはちょうど潜水時の水圧で人体が圧迫される現象の、逆の状況と言える。図7に潜水時に模して、上昇する水圧とそれに応じて縮小するカップめん容器の写真を示した5)

図07(修正)


 それに対しLhasa市では気圧の低下に伴い、図8のごとく平地で入手の密封された容器内の空気が潜水時とは逆に膨張する。当然、人体内の各臓器も高地では膨張し、浮腫から機能障害を来たしていると考えられる。

図08


 その中でも生命にとって最も重要なのは、高所脳水腫2)と称されるCNSの浮腫とそれによる相対的頭蓋内圧亢進(以下IICP)であろう。図9の文献3)では、水平断面CT画像において高所障害症例の脳浮腫による第4脳室の狭小化が示されている。それに加えIICPが進行すれば、図10のに見るように小脳脳幹部のハーニエーションが生じ、呼吸中枢など生命を保持する機能がダメージを受け、放置すれば死に至ることが想像できる。

図09

図10


 著者の今回の実体験では、同行者全員がAcetazolamideの内服を行なっており、加えて被験者AはLhasa市のホテルの医務室でSteroidの静注を受けている。この結果目立った浮腫の症状は自覚されることなく、生命の危機には至らなかったが、IICPは急激に悪化することが指摘されている(図11)6)。高所障害に対する楽観視は禁物であろう。

図11


 文献によっては、最も致命的な高所障害は高所肺水腫とするものも見られる2)。しかし、この文献2)でその症状として挙げられている頻脈・頻呼吸・呼吸困難・チアノーゼ・意識障害は、むしろ脳幹のハーニエーションが大きく関与している可能性を否定できない。
 又、この高所肺水腫に伴うPaO2の低下にも、CPAPが有効とされる2)。併せて、予防的治療は当然不可欠となる。

Ⅴ.まとめ
① 高所障害もしくは高山病における気圧低下に伴う呼吸障害に関し、Tibetにおいて調査を行なった。青蔵鉄道の出発地である青海省西寧市(標高2,280m)からLhasa市(標高3,650m)まで一部区間で標高5,000mを超える地点を含む25時間の行程中、一昼夜の65歳女性被験者のSpO2は最低値38.0%、最高値96.0%、平均値76.3%となった。なおLhasa市では、SpO2最低値が35.2%であった。SpO38.0%と35.2%との測定値は睡眠中の結果であり、OSAの関与が絶無とは言えないまでも、これはCSAの発生が考えられる。

② 加えて被験者の睡眠時の呼吸状態について、平地(西安市)と高地(Lhasa市)との比較を行ない、高所障害の一症状としてのCSAに対する呼吸管理法としてCPAPを試用した。
 この結果、以前試みた純酸素投与よりもCPAPによる持続陽圧呼吸補助が高地での呼吸管理に有効である可能性が示唆された。ただしCPAPの活用には、介助が必要となる。

③ 標高3,000~5,000mの高地での高所障害もしくは高山病のCSAの発現には、
 a. 酸素濃度低下によるPaO2低下のみならず、
 b.それに対する過呼吸によるPaCO2の低下が生じ呼吸中枢が抑制されることもあるが、
 c.そもそも高地においては、大気中の二酸化炭素濃度低下によりPaCO2も低下している事実が呼吸中枢抑制に大きく関与している。
 d.ただし高所における気圧低下の状況では大気自体が減少しているのであって、PaO2とPaCO2の構成比率には、変化が見られない。

④ 高地障害における睡眠時の呼吸障害は、上記の如くCSAであり、伝説の「Ondineの呪い」4)に例えられる性質のものである。

⑤ 予防的治療の効果もあって幸いにも今回は体験しなかったが、高所障害において最も生命に関わるのは気圧低下によるCNSの浮腫(高所脳水腫)で、相対的IICPを生じ、急激に悪化した場合には脳幹のハーニエーションから死に至る危険さえ生じ得ることである。

⑥ 文献的には肺水腫の危険性が指摘されているが、その症状は気圧低下による肺の浮腫と脳幹のハーニエーションに起因している可能性が高い。予防的治療とCPAPの使用が有効ではないだろうか。

文献
1) 杉本 和弘:酸素欠乏・硫化水素危険作業について, 第8回 名古屋大学技術研修会報告 1, 表1, 2013.(http://www.tech.nagoya-u.ac.jp/archive/h24/Vol08/hon_secur/PKAN-1-s.pdf)を元に標高・気圧を算出。
2) 鈴木宏昌:高所障害(high altitude illness: HAI)-その病態メカニズムと治療, 臨床検査: 50: 1251-1259, 2006.
3) 日本登山医学会 高山病と関連疾患の診療ガイドライン作成委員会. 編; 高山病と関連疾患の診療ガイドライン. 中外医学社. 東京. 2017.
4)田中竜馬:人工呼吸に活かす! 呼吸生理がわかる, 好きになる 臨床現場でのモヤモヤも解決. 羊土社. 東京. 2013.
5)科学技術振興機構 深海生物と海の環境学習プログラム:13, 2007.(https://www.jst.go.jp/sis/archive/past/chiiki/h18/1808.pdf)
6)太田富雄, 松屋雅生. 編; 脳神経外科学, 改訂第8版, 金芳堂. 京都. 2001.

 2007年もしくは2009年のTibet調査に同行し、dataの公表に同意した新井寧子(東京女子医大)、及び両調査に同行した中川雅文(国際医療福祉大)、殷敏(南京医科大)、青柳健太・工藤智香(三好耳鼻咽喉科クリニック)各氏の協力に感謝する。

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