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2023年3月 No.337

 

英国紅茶シリーズ⑬
ラジオ3443通信「紅茶とアヘン戦争」


 ラジオ3443通信は、2010年から毎週火曜10:20~fmいずみ797「be A-live」内で放送されたラジオ番組です。
 ここでは2013年8月6日OAされた、英国紅茶にまつわる話題をご紹介いたします。

126 紅茶とアヘン戦争
An.
 三好先生、前回は劣悪だった英国の住宅事情が、交通網の整備で飛躍的に改善した。そんなお話を伺いました。
 具体的に言うとそのとき英国では、どんな光景が展開されていたんでしょうね?
 江澤は、とっても興味があります。
Dr.
 英国の地方都市の住宅も、庶民のそれはまぁそんなに立派な家屋じゃなかったんですけれど。
 産業革命が進行して、住居が都市部と農村部とに区別されるようになると、都市部の人口の過密化が生じます。
 具体的な例として、『英国生活物語』には、次のように記されています。
「1880年代のスピトルフィールズのある家では、9部屋あるうち各部屋に平均7人が寝泊りしていて、しかもベッドは1部屋の1台しかないという有様で、人間が多いのに住宅が少なすぎたのである。」
An.
 日本の一般家庭も、「ウサギ小屋」(笑)とか言われて、決して恵まれていないんですが・・・・・・。
 当時の英国の都市事情も、かなりのものだったんですね!
Dr.
 産業革命の進行によって、当初英国の社会が富裕層と労働者階級とに、明確に2分されたこともあって。労働者階級の生活は、つらいものがあったようです。
An.
 でも最終的には、産業革命の成果が英国社会すべてに行き渡り、国家全体の繁栄は労働者階級にも及ぶんですよね?
Dr.
 さすがは1を聞いて10を知る江澤さん。産業革命の成果は、いわゆる商業革命と結びついて、英国産の綿製品が世界各地へ輸出されるようになります。その結果、富は労働者階級にまで行き届くようになります。
 大体それは時期的には1850年前後が、1つの目安じゃないかと私は思っているんですけど。
An.
 その数字は、先生、どんな根拠で?
Dr.
 先にお話ししましたように、産業が機械化し英国の工場法改正により半ドンが立法化されたのが、1850年なんです(笑)。
An.
 つまり1日中働き詰めでなくっとも、産業の生産性や労働者の給料は落ちなくなった(笑)!?
Dr.
 あの有名なマルクスとエンゲルスが、英国の労働者のみじめな状況をレポートした『イギリスにおける労働者階級の状態』という論文を、1845年に発表しているんですけど。
 実はそれから5年後には、英国社会の実態は論文の内容とはかなり異なるものになっていたんです。
An.
 ちっとも知りませんでした。
Dr.
 そしてそれを契機に、英国の人々は紅茶やレジャーを、身近な息抜き法として楽しむようになるんです。
An.
 でもそのためには、紅茶がぜいたく品ではちょっと困ります。
Dr.
 そんな風に、社会的ニーズが高まった紅茶なんですけど。当時の中国つまり清の国ではお茶の木は門外不出でして。
An.
 英国の植民地には、お茶の木はなかったんですね?
Dr.
 江澤さんはアヘン戦争って、知ってますよね?
An.
 ええっとたしか……。そうそう、英国が清の国にインド産のアヘンを大量に送り込んだため、国内で中毒者が激増したんでしたよね。
 そのため清の国が、アヘンの輸入を禁止して、広東の港に停泊中の船に積んであったアヘンを、すべて焼き払いました。
 このため英国が清に対して宣戦布告をし、負けた清の国はひどい目に遭います(図1)。

図01
 図1 イギリス艦隊と清国艦隊による海戦を描いた絵


Dr.
 英国が清の国にアヘンを売り付けたのは、中国のお茶を英国が輸入し過ぎ、大変な貿易赤字になったためです。
An.
 つまり紅茶が、アヘン戦争の原因だったんですね!
Dr.
 それくらい、当時の英国の人々にとって、紅茶は必需品になっていたんです。
 でも清の国からのお茶の輸出はごく限られたものでしたから・・・・・・。お茶の葉ではなく、お茶の採れる木そのものが必要だったんです。
 そして英国のプラント・ハンターである、ロバート・フォーチュンって人が、お茶の木を中国から持ち出して英国の植民地で栽培します。
An.
 先生、やっとロバート・フォーチュンのお話に戻りましたね(笑)。
Dr.
 この人物は実は、別の意味で私たちの研究とご縁がありまして。
An.
 と言いますと?
Dr.
 私たちは、当初日本にしか存在しないとされていたスギ花粉症を中国で発見しました。その中国産スギは、他ならぬこのロバート・フォーチュンが研究対象としており、彼の名前が中国産スギの学名になっているんです。
An.
 ホントですか!?
 ちょっと江澤には、にわかには信じられないような・・・・・・(笑)
Dr.
 このお話は、また後ほど。
 フォーチュンが持ち出してインドで栽培するお茶とは別に、中国の雲南省に近接するインドのアッサム地方に、お茶は自生していました。
An.
 先生が調査に行って来られた雲南省は、お茶の名産地ですもの、ね。
Dr.
 江澤さん良くご存じのプラマプトラ川が、アッサム地方を潤しています。
An.
 チベットのラサ市の、ポタラ宮の傍を流れるヤルツァンポ川ですか(図2)。

図02
 図2 チベット・ラサ市のポタラ宮とヤルツァンポ川


Dr.
 アッサム地方は、その下流に存在するんですが、下流はプラマプトラ川と呼ばれます。英国はこれらの地域でお茶を栽培し、英国に運びます。加えて1869年には、スエズ運河が開通しますから。
An.
 紅茶はどんどん英国へ運び込まれ、庶民の味覚として定着するんですね!
Dr.
 江澤さんへのおみやげの紅茶にも、こうした長い歴史がしみ込んでいるんです。
An.
 良く味わって、紅茶を頂きます。
Dr・An.
 本日はありがとうございました。

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