3443通信3443 News

2023年3月 No.337

 

東日本大震災シリーズ
映画「たゆたえども沈まず」鑑賞レポ

秘書課 菅野 瞳

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 たゆたえども沈まず……早口言葉にしてみると、思わず噛んでしまいそうなフレーズですが、このフレーズに、ピンっとくる方がいらっしゃるかもしれません。
 アート小説の執筆で有名な原田マハさんが、美術商林忠正や画家のフィンセント・ファン・ゴッホと、その弟で画商のテオについて描いた著書のタイトルです。読書が苦手な私は、無論読破していませんが、このフレーズはなぜだか耳に心地良く残りました。たゆたえども沈まず……どんなに揺れはしても(不安定でも)、決して沈まない(へこたれない)、そんな意味をもつフレーズです。我慢強くない私ではありますが、負けん気の強さは人一倍ということを考えると、このフレーズに惹かれたのは納得がいきます。2021年、東日本大震災から丁度10年が経った年に、テレビ岩手のカメラが撮り続けた、1850時間の真実の記録「たゆたえども沈まず」というドキュメント映画が完成しました。

 この作品は2021年に、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリー部門で大賞を受賞しており、2022年にはDVD版が発売され、映画館に足を運ぶことが出来なかった私も、鑑賞の機会に恵まれたので、早速鑑賞レポートを綴ろうと思います。

世界を震撼させた巨大地震
 忘れもしない2011年3月11日、午後2時46分、これは東日本大震災の発生日時です。リアス式海岸で有名な南三陸地方では、この大規模な震災が起こる2日前に、三陸沖を震源とする震度4の地震があり、60センチに達するかもしれないという、津波注意報が発令されていたことをご存知でしたでしょうか?
 私はこの映画を鑑賞し、初めて知り得ました。以前私は3443通信No.322にて、岩手県陸前高田市を訪問した際の記事を認めました。その記事の中で、古来より三陸沿岸地方で言い伝えられている“津波起きたら命てんでんこ”という教訓があると書きました。

 これは繰り返しになりますが、津波が起きた際、家族が一緒にいなくとも気にせず、てんでばらばらに高所に逃げ、まずは自分の命を守りなさいという教えです。
 この映画では、てんでんこの教えが、更に深く示されています。まずは何より“自分の命を最優先”に考え、津波に備えて高台を目指し、ひたすら逃げること。

 そして第2に、いつ津波がきてもいいように準備をしておくこと。温故知新・用意周到。昔は布団に入り眠りに就く際には、必ず枕元に着替え等を用意したのだそうです。そして3つ目は、避難場所や待ち合わせ場所を、家族間で話し合い確認しておくこと。

 この3点をしっかり伝承していたが故に、市内の小中学生ほぼ全員が津波の難を逃れ、多くの人々に“奇跡”と呼ばれている地域があります。

 その場所とは、岩手県釜石市にある鵜住居(うのすまい)地区です。地区内にある釜石東中学校では、2009年に、防災授業の一環として、防災ビデオが製作されていました。

「地震がきたからといって大したことはないし、その後に津波注意報が発令されたからといって毎度津波は住民を脅かすこともないし、肩透かしをくらっているよね」
「地震が、津波がきたからと言って、わざわざ逃げるだなんて、くだらないくだらない……」

 このような他愛もない生徒同士の会話から、防災ビデオは始まります。

「それではダメなのです! てんでんこの教えを思い出して下さい!」

 という神様の声を聴いた生徒が、防災への意識改革を促していくというストーリーで、中学生ならではのユニークさも相まって、万人に優しい、そして何より温かみ溢れるビデオになっています。
 このビデオ製作から数年後に起きた東日本大震災。釜石の奇跡を起こす芽となった防災ビデオの偉大さは、計り知れないなと思いました。

 釜石の奇跡と同様に、私の心に響いた知られざるエピソードが、他にも紹介されています。
 それは、北リアス・南リアスをそれぞれ網羅し、地域住民の足として走り続けている、三陸鉄道にスポットを当てたエピソードです。

 三陸鉄道は、東日本大震災において駅舎や橋など計317カ所で被害が確認されました。幸いにも、運転手や乗客に犠牲者はなかったものの、震災前日まで地域の人々の笑顔をつないでいたレールが、怪我人やご遺体、悲しみを運ぶ姿に変貌した光景は、言葉にならなかったと言います。岩手県下閉伊郡にある田野畑村島越地区。この地区には、震災がくる何十年も前から、三陸鉄道への謝意を抱き、始発電車が到着する前に、駅舎を掃除し続けているおばあさんがいます。

「ここいら住民の足として走ってくれる三陸鉄道……それだけでも助かっているのに、震災時は津波をかぶって私たちを助けてくれた。この駅舎があったお陰で、ここいら住民は皆助かったんですよ」と、三陸鉄道へのこの上ない謝辞を述べています。

 岩手県宮古市から久慈市(北リアス線71キロメートル)、釜石市から大船渡市(南リアス線37キロメートル)の2路線からなる三陸鉄道は、区間運転ではあったものの、震災から5日後には運転を再開し、移動手段のない被災地にいち早く芽生えた復興のシンボルとなりました。
 地域住民の足であり続けようという三陸鉄道の心意気に、また運転を再開させたこの電車を、災害復興支援列車と称し、当面の間無料で運行をさせたというエピソードに、更なる感動を覚えました。

 恐らく、万人が知り得ない被災地でのエピソードは、この他にも沢山あるのだと思いますが、最後に1つだけ紹介したいと思います。

 岩手県陸前高田市に、震災から6年が経過しても尚、夫の死が受け入れられず、消息不明の夫を一日千秋の思いで待ち続ける妻がいます。
 誰に何を言われようとも、自分自身の中で気持ちの整理がつくまでは、どうしても死亡届は出したくない、出してしまったら、自分の存在価値がなくなってしまう……そう言い続け、待ちわびる夫に向け手紙を綴り続けています。何度も何度も書いたであろう「待っています」の言葉。
 6年かかって、ようやっと死亡届を書き始めたものの、書き慣れた夫の名前だけが、どうしても書けなかったと話す姿に、胸が締め付けられました。

 この映画を鑑賞し終えた私が、一番最初に思ったこと。
 自分がいかにあの震災の事を分かっていなかったかということです。悲しいくらいに原型を留めていない三陸地方には、何度となく足を運び、当時の状況を分かっているつもりでいました。でも、私が知っていたことは、ほんの一握りに過ぎないのだなと思い知らされます。東日本大震災を取り上げたフィルムの中で、この作品以上に真髄をつき、現場の臨場感が溢れ出る作品はないのではないかと思います。地元のテレビ局だからこそ出来た細かな取材、撮影記録から、被災地の現実とそこに生きる人々の想いが、これでもかというほどに込められた作品だと感じました。テレビ岩手が撮り続けた、被災地の真の声・真の姿を、目をつぶることなく、一人でも多くの方に見て頂きたいなと思いました。

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 被災した石巻市の大川小学校(2023年1月6日 院長撮影)

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 海外から日本を応援する東日本大震災の応援歌「pray for japan」は、イギリス在住の院長の娘さんたちのグループが作成した楽曲です。

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