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2023年5月 No.339

 

東日本大震災シリーズ
追悼の灯火『大川竹あかり』参加レポート

秘書課 菅野 瞳


はじめに
 2023年3月11日(土)、今年で東日本大震災から12年が経ちます。
 私は例年、震災で義母を亡くしているため、主人の地元である岩手県陸前高田市で追悼式に参列していますが、今年は石巻市釜谷にある震災遺構大川小学校で行われる『竹あかり』の点灯式に参加して来ました(図1)。

図01
 図1


竹あかりって?
 この『竹あかり』という行事は、約1カ月前に地元の竹林から竹を切り出し、竹の表面に数百の穴を開け、竹筒の中に発光ダイオード(LED)を入れて竹灯篭を作製します(図2)。

図02
 図2


 今年で2回目となる『竹あかり』は、震災当時の児童数と同じ108本が並べられました。
 震災遺構になった大川小学校のことは、何度となく報道番組で取り上げられていたため、耳にはしていましたが、この地を訪れるのは初めてです。

生々しい被災地の光景に息をのむ
 まだ陽が高いうちに到着し、自分の目でしっかり大川小学校を見渡した後に、竹あかり鑑賞に臨むべきだろうと思い、大自然の中にポツリと佇む小学校周辺を歩いてみることにしました。
 この地を襲った津波の爪痕が処々に残されており、子どもが大好きである筈の学校が、子どもの命の最期の場所になってしまったという、やるせない事実に、居た堪れない気持ちになりました(図3~5)。

図03
 図3

図04
 図4

図05
 図5


 竹あかり点灯の会場に戻ってみると、「んっ?」私はふと、似つかわしくないとは言いませんが、竹と竹の繋ぎ目やメッセージが書き込まれた蠟燭の横(図6)、また献花のために、訪問者各々が抱えられている花束に目が留まりました。

図06
 図6


 皆で申し合わせたかのように、続々と並べられる向日葵(図7)。
 何故この会場にこれだけ沢山の向日葵……?
 ふと抱いた疑問を、決してそのままにしておけない性分なので、その向日葵を一つ一つ丁寧に並べられているスタッフの方に、尋ねてみることにしました。

図07
 図7


笑顔の向日葵
 震災から3か月が経った頃、愛する我が子を失ったお母さんたちが、子どもたちが喜んでくれるようにという親心から、小学校近隣の高台に向日葵の種を植えたのだそうです。
 震災の翌年には、400本に及ぶ向日葵の大きな花が、太陽を向いて元気に咲き、もう会えない我が子の笑顔と重なるのですよと、毎年向日葵の開花を、皆が心待ちにしていることを教えて下さいました。

 余談になりますが、世の中には数えきれない程の花の種類があります。私が存じている花の種類などというのは、ほんの一握りだとは思いますが、そのような中で、私は向日葵という花が一番好きです。

「私を照らして!」と言わんばかりに、いつでも太陽に向き合い、凛とした堂々たる姿勢を見せてくれるが故に、元気を貰える気がします。

 ある方は「震災当時の子どもよりも背丈の伸びた向日葵を見て、それが自分の子どもの成長を見ているようで、とても嬉しい」と言っておられました。
 やぐらの所々に向日葵が散りばめられている所以、これが無事分かったところで、いよいよやぐらに入り、竹灯篭の一つ一つを見ていくことにします。

 今年の竹灯篭は、高さを生かし、来場者が見上げるようなイメージで配置されているのだそうです。
 竹灯篭に包まれるやぐらの中で、少し上を向いてもらい、何か前向きになれるような気持ちになって頂けたらという、竹あかりアーティストの方の想いが込められています。
 やぐらに足を踏み入れ、一つ一つ想いの詰まった竹灯篭や蝋燭に見入っていると、本日の竹あかり点灯予定時刻は「17時45分です」という案内がありました。

 17時30分を過ぎた頃、大川小学校長や竹あかり実行委員会代表から、竹あかりへの想いや、竹あかり作製ボランティアへの感謝が述べられ、大川小学校の校歌をバックミュージックに、いよいよ点灯の時となりました。

「3、2、1、点灯ぉ~!」の掛け声と共に、竹灯篭から琥珀色の光が放たれました(図8)。

 お盆時分に、死者の魂を弔うために行われる“灯篭流し”を、私は見たことがないため、灯篭から放たれる光を直接目にするのは、これが初めてです。なんと優しくそして温かい光なのでしょう。

図08
 図8


 この日は、決して外気温が高かった訳でも、竹灯篭の竹が温められていた訳でもないというのに、竹灯篭が灯されたやぐらだけは、瞬く間に温かな異次元空間になりました。
 図にあるような竹灯篭の模様が多くある中で、“不動心”と彫られた一本の竹灯篭が目に入りました。

「不動心」、あまり聞き慣れない言葉ではありますが、私の記憶の片隅でこの言葉が引っ掛かりました。

 野球選手として読売ジャイアンツで活躍され、その後に渡米しメジャー球団のヤンキースで同様の活躍をされた松井秀喜選手の著書こそが、この『不動心』というタイトルです。

 石川県生まれの松井氏は著書のなかで、

「日本海のような広く深い心と、白山のような強く動じない心、自分の原点はここにあり、広く深い心と強く動じない心、即ち『不動心』を持った人間でありたいといつも思っています」と、書かれています。

 この言葉を竹灯篭に彫られた方は一体……? 相変わらずの私のアンテナが反応してしまったので、実行委員の方を探し出し、再度聞き取り調査です。すると、全く予期せぬ答えが返ってきました。

「この不動心灯篭は、安倍元総理の奥様、昭惠夫人も彫られたものなんですよ」

「えぇっ!?」

 これを聞いた私は、相槌すら打つことが出来ませんでした。
 震災遺構大川小学校で行われる竹あかりは、なんと昭恵夫人の第一声から動き出したのだそうです。
 昭恵夫人が、今年で2年目となる竹あかりに込められた願いが、2つあるのだそうです。

 まず1つは、竹あかりの光が、子どもたちの元に届きますように。

 もう1つは、ご遺族の方が抱く想いはそれぞれ違うけれど、この竹あかりを通して何かの形でひとつになってくれればいいな、という願いなのだそうです。

 昨年、初試みとなった竹あかりが想像以上にとても綺麗で目を奪われたので「来年は主人を連れて来ますね」と、昭恵夫人は仰っていたのだそうです。
 私の好きな言葉は『不動心』です、と生前仰っていた安倍元総理。
 まだまだ記憶に新しい、安倍元総理が銃弾に倒れられた、無残な事件が思い出されましたが、皆の想いが一つになって、温かく優しい光を放つ竹あかりは、きっと安倍元総理にも、子どもたちにも届いたであろう、と私は確信しました。

 時間を忘れて、いつまでもいつまでも見ていたかった竹あかり。どうやらこの竹灯篭は、翌年には再利用することが出来ないため、翌日には希望者に贈呈して下さるとのことでした。

 私の尽きることがない物欲が若干疼きましたが、翌日の10時に先着順……では諦めるしかない(泣)。でも恐らくですが、竹灯篭というものは、その時を温かく優しい光で照らし、はかないからこそ、味が出るものなのではないかなと思い直しました。
 帰り際、スタッフの方に「初めて参列させて頂きましたが、本当に素晴らしいオブジェでした!」と、お伝えしました。

 すると、そのスタッフの方は、

「竹あかりのニュースが取り上げられると、あの大川小学校かぁ。悲劇の場所だねと仰る方が沢山いらっしゃると思いますが、大川小学校は未来をひらく場所なのです。“未来をひらく”は大川小の校歌のタイトルで、震災前からのここの合言葉でしてね。確かに悲劇があった場所ではあるけれど、大川小ってどういう場所って聞かれたら是非、未来を拓く場所ですって答えて下さいね、お願いします」と、言葉を返されました。

 もうなんと表現したら良いものか、抑えていた涙を堪えるのが精一杯でした。震災から12年が経ち、私が初めて訪れた、震災遺構大川小学校で行われた竹あかり献灯式は、しっかりと私の心の1ページに刻み込まれました(図9)。

図09
 図9

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