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2023年11月 No.345

 

朝のスタッフ勉強会18
アレルギーと花粉症のお話18(終)
~医学コミック8巻『愛しのダニ・ボーイ』より~

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 当院では朝礼時にさまざまな資料を用いて、接遇や医学・医療についての勉強会を行なっています。ここでは、いま使用している院長監修のアレルギーに関する医学コミック『愛しのダニ・ボーイ』、その解説についてご紹介の最終回です。
 なお、解説含めたマンガも当院ホームページで無料閲覧できるよう準備中です。

52.アレルギー性鼻炎の対策と治療(7)
 2番目のお話:子どもは花粉症になりにくい。
 これまで私たちの解説から、アレルギーの成立にはアレルゲンの暴露量と暴露時間の関係していることが、ご理解いただけたことと思います。アレルゲンの中でもダニはHDは一年中身の回りに存在しますが、スギなどの花粉はシーズン中だけであってつまり年の内2カ月程度しか身近には存在しません。ですからダニ・HDに比べて、例えばスギ花粉への暴露時間は6分の1です。そうすると、人体がダニ・HDにアレルギーを生じるようになるのにもしも1年間暴露されることが条件だったとするならば、スギ花粉に対してアレルギーを起こすには6年間が必要だという単純計算になります。
 ですから子どもは6歳を過ぎるまでスギ花粉症にはなりにくい、そういう事実はあってもおかしくないのです。

 3番目のお話:ダニのアレルギーになっていると、花粉症になり易い。
 遺伝子レベルでアレルギーになり易い素質はある、つまるそういうDNAを個人が保有していることはありますから、ダニのアレルギーのある個人が後刻スギ花粉症になるということは考えられます。しかしダニ・アレルギーがスギ花粉症を誘発するとは考えられません。このお話の真実の内容は2番目のお話に記したように、アレルギーになり易いDNAを持っている個人は身近なダニ・HDにまずアレルギーを生じ、その何年か後にスギ花粉症になるという意味であると理解するべきでしょう。

 なお、ダニやHDとスギについてアレルギーのある方が冬季、ダニ・HDアレルギーに悩まされていると、スギの少量飛散にも反応して発作がひどくなります。鼻粘膜が過敏状態にあるために、わずかな数のスギ花粉でも過剰反応を生じ易いのです。その意味では、このような方では、冬季のダニ・HDアレルギーのコントロールが、スギ花粉症悪化の予防に役立つと言えそうです。住環境の整備をアレルギー予防の最大策として私たちが力説する所以です。
 異常、本書では、ダニに対するアレルギー性鼻炎やスギ花粉症について、従来伝えられて来た俗説の顕証も含めて解説してきました。
 日本人の国民病とも形容されるスギ花粉症やダニによるアレルギー性鼻炎の有効な対策として本書を活用して頂ければ何よりです。

おわりに
 本書を書いていて、今更ながら10年前のことを思い出しました。
 冷夏で国外から米を輸入せねばならなかった1993年。その余波でスギ花粉飛散の激減した1994年春。反動のように猛暑だった1994年夏と、その結果として史上最大のスギ花粉飛散量を記録した1995年春。

 10年たって、その再現であったかのような2003年夏の寒さ。2004年春のスギ花粉激減。猛暑の2004年夏があって、さて、この春のスギ花粉飛散状況はどうなるのでしょうか。
 花子さんを主人公にした1冊目の花粉症コミックに対して、太郎さんを主役とした8冊目の医学コミックはダニ・アレルギーがテーマでした。
 花粉症などアレルギー性鼻炎については、巷間さまざまのお話が罷り通っていて、ややもすると正確な知識の得にくい状況にありました。その意味で本書は、そうした俗説がもはや通用しないことを読者の皆様にご理解頂く上で、いささかなりともお役に立つのではないかと、愚考致します。

 読者の皆様は先刻ご承知のことと思いますが、これまで出版した医学コミックは当院のホームページで読むことができます。第1刊~第7刊までのコミックを書店で入手しにくい場合には、ホームページ(https://www.3443.or.jp)を活用して耳鼻咽喉科疾患に関する正確な知識を得てください。

あとがき
 まだ医学生であった私が、アレルギー疾患についてその理論と臨床に接したのは、岩手医科大学第3内科の光井庄太郎教授と須藤守夫助教授による名講義が初めてであった。
 30年前のその当時、まさかここまでアレルギーの研究にのめり込むことになろうとは、私自身夢にも思わなかった。

 私がのめり込むことになった最初のきっかけは、1976年に春休みを利用して見学に出掛けた秋田大学耳鼻咽喉科での体験であった。
 戸川清教授始め3名のみのスタッフながら精力的に臨床・研究をこなしていた秋大耳鼻科だったが、その中でも38歳の今野昭義助教授の奮迅振りは際立っていた。一日中悪性腫瘍の摘出手術と再建手術に全力を注ぎながら、休日も返上して鼻呼吸やアレルギー性鼻炎の研究のため、たった一人で研究室に篭っていたのである。

 後から聞いたエピソードではあるが、この時期今野先生は「秋田の猪」というあだ名を蒙っていたそうである。それに関して自分で意識したことはまったく無いのだが、今の私の研究にかける猪突猛進振りは、どう考えてもこの折今野先生に「探求心」という名前のバイ菌をうつされてしまったような気もする。

 今野先生はその後、千葉大学耳鼻咽喉科の教授に昇進なさるが、「探求心」にまかせてアレルギー研究に邁進していた私に、更なる飛躍の機会を与えてくれた研究者がいる。
 それが本書の主役でもある白川太郎・京都大学院教授で、本書にも出て来る寄生虫によるスギ花粉症抑制説の打破に私が力を注いでいた頃、物心両面で私の支えとなってくれた。
 白川教授には、私が主任教授を務める南京医科大学国際鼻アレルギーセンターの客員教授を引き受けて頂いたり、南京医科大学の若手医師の国際的な発展にお力添えを頂いたりしており、御礼の言葉すら無い。

 本書は小難しい医学理論をやさしく噛み砕いた読み易い医学コミックだが、本書を書き上げるまでにここにお名前を挙げた諸先生のご指導が無ければ、本書は完成していなかったに違いない。
 諸先生を始め、本書の出版にご尽力頂いた関係者、そしてぐるうぷ場の皆様に心より感謝申し上げる。

2004年12月13日 18回目の結婚記念日に

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