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2023年11月 No.345

 

秋色に染まる晩秋の奈良の旅 2022

院長 三好 彰

図00 奈良公園


 3443通信No.334『日本めまい平衡医学会(奈良)レポ』でもご紹介しましたが、2022年11月に訪れた奈良市内の紅葉の名勝をご紹介させて頂きます。

創業1世紀の”奈良ホテル“
 奈良公園の西南に隣接する奈良ホテルは、1909年(明治42年)創業の老舗ホテルです。かつては興福寺の塔頭・大乗院のあった小高い丘でしたが、1869年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって取り壊され、日露戦争後に来日する外国人観光客を受け入れるための新ホテルとして建築されました(図1)。

図01 奈良ホテル01
 図1 奈良ホテル


 本館は赴き深い木造2階建ての瓦葺き建築ですが、構想段階では洋風建築にするという意見もあったのですが、先に立てられた元奈良帝室博物館が奈良公園の景観にそぐわないと不評だったため、和洋折衷様式に変更されました。
 その歴史上、経営難から民営から国営となった時期もあり、観光客誘致の代表的ホテルとしての価値を高めるために横山大観や川合玉堂などの日本を代表する画家の絵画が飾られるなど、国賓級の利用に適した設備が整えられました。
 館内に保存された資料には、あのアインシュタイン博士や女優オードリー・ヘップバーンが来館した際の写真が残されており、歴史的な著名人と同じ場所に立っている事実に、歴史の面白さを感じました(図2)。

図02 奈良ホテル02
 図2 著名な人物が訪れたことが紹介されています


 当時の上流階級御用達のイメージを味わえる奈良ホテルですが、ホテル南側の聖ラファエル教会(1997年造、図3)で執り行われるチャペル挙式も人気を博しています。
 またホテル敷地の一部には旧大乗院の名残である庭園が残されており、2017年1月から園路が一般公開され、ホテルに近い散歩コースとして利用されています(図4)。

図03 奈良ホテル 聖ラファエル教会
 図3 聖ラファエル教会

図04 奈良ホテル 名勝 旧大乗院庭園03
 図4 一般公開されている旧大乗院庭園 


静寂の名勝“依水園”(いすいえん)
 奈良市内の中心部、東大寺と興福寺の間に位置する依水園には、江戸期と明治期の二つの異なる時代に作られた日本庭園を同時に味わうことが出来ます。
 池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれる形式で、古くは室町時代の禅宗寺院や江戸時代の大名が造成したとされる日本庭園の集大成と呼ばれる庭園です。一般的には、大きな池を中心にその周囲に園路を巡らせて築山と呼ばれる人工的な山や、小島、橋、庭石などを配して、各地の景勝を再現しています。

御用商人の別邸“三秀亭”
 入口から入ってすぐの前園にある三秀亭は、奈良晒(ならざらし)と呼ばれる高級麻織物を取り扱う御用商人・清須美道清の別邸です(図5)。そこから臨む庭園は、周囲に樹木や草木を配置して外界から切り離すようにして作られており、水音が聞き取れるほどの静寂の別世界を味わうことが出来ます。

図05 依水園01 前園「三秀亭」
 図5 依水園 前庭「三秀亭」


裏千家“又隠(ゆういん)”の写しとして建てられた“青秀庵”
 裏千家とは茶道の流派を指した言葉で、諸流の中でも最大流派の一つです。表千家も裏千家も始祖・千利休の流れを汲んでいますが、千家3代目の宗旦が四男宗室を連れて隠居し、その後、宗室に茶室が譲られたことで裏千家が成立したとされています。
 その裏千家の茶室(重要文化財)の写しとして作られたのが青秀庵です(図6)。

図06 依水園02 前園「清秀庵」
 図6 前園「清秀庵」


 周囲を林に囲まれ、木々の囁きを聞きながらお茶を楽しむところを想像すると、思わずホッと溜息をついてしまいそうになります。
 奥に進むと、今月号の表紙写真に使われた“後園”が広がっています。
 前園の隔絶式の庭園とは打って変わって、園外の景色すらも情景に取り込んだ作りになっており、まるで日本のどこかを旅しているかのような園路を辿ると、水車小屋などの様々な演出の施された景色が楽しめます(図7~8)。

図07 依水園04
 図7 真っ赤な紅葉

図08 依水園05 後園・水車
 図8 後園の水車


婚礼前撮り撮影の名勝“吉城園”(よしきえん)
 前述の依水園の西南にある吉城園は、あの万葉集にも歌われた吉城川に隣接している庭園です。自然の起伏を巧みに取り入れた庭には、色鮮やかな紅葉が随所に見られ、変化に富んだ景色を見せてくれます(図9)。
 またこの園では、結婚式を迎える新郎新婦向けの写真撮影のスポットとしても有名で、散った紅葉を集めてハート型にするなどの演出が残されていました(図10)。

図09 吉城園01
 図9 吉城園の園庭

図10 吉城園02
 図10 紅葉で形作られたハート


古都・京都を代表する世界遺産“東大寺”
 東大寺と言えば、ほとんど説明はいらないくらいに有名なお寺です。8世紀に聖武天皇の発願によって創建され、幾度かの戦禍によって焼失するもその都度繰り返し再建されてきました。その中心部に建つ国宝・大仏殿には、像高14.7メートルの毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ。サンスクリット語:ヴァイローチャナ)が納められています。

巨大な正門“南大門”
 平安時代に創建され、後に大風によって倒壊したものを鎌倉時代に再建したのが東大寺の正門・南大門です(図11)。南側に整備された商店街沿いのまっすぐな参道を歩いていると、緑の木立の先に木造の門が見えてきます。やがて視界一杯に広がる南大門の威容が迫ると、その圧倒するような風格に思わず感嘆の息が漏れ出ます。
 この南大門ですが、外観は屋根が二つある二階建てのように見えますが、実際には吹き抜けの一階建て構造になっています。これは中国・宗から持ち帰ったとされる建築方法で、見た目を維持しつつ経済性と効率性を両立した、当時の日本では画期的な手法だったそうです。

図11 東大寺01
 図11 2階建てに見える南大門


 その門の内側には“阿吽の呼吸”でも良く知られる二尊の金剛力士“阿形像”と“吽形像”が、門をくぐる参列者をギロッと睨みつけていました(図12、13)。

図12 東大寺02 阿形像
 図12 阿形像

図13 東大寺03 吽形像
 図13 吽形像


八角燈籠(はっかくとうろう)
 大変貴重な数少ない東大寺創建当時の遺構です。その表面には楽器を執る音声菩薩(おんじょうぼさつ)が彫刻されており、しなやかに音を奏でる姿や、風になびく天衣が見事に表現されています。とても千数百年前に作られた物とは思えないほどに微に入り細に穿った造形には、畏敬の念を感じずにはいられません(図14)。

図14 東大寺04 八角燈籠
 図14


2度の戦禍に見舞われた不屈の“大仏殿”
 その興りは8世紀頃、前述の聖武天皇の発願によって建てられた大仏を風雨から保護するために建造されましたが、1181年の平氏による南都焼討と、1567年の三好三人衆(院長の祖先にあたる大名三好長慶に仕えた重臣3名)と松永久秀との戦によって焼け落ちました。
 その後、しばらく再建計画が立ち上がるも豊臣家の滅亡、徳川家の外交政策上の理由や、京都の方広寺にすでにあった同規模の大仏殿の有無が、再建の機運上昇に寄与しなかったと考えられています。
 現在の大仏殿は3代目で、東大寺の僧であった公慶の声がけにより喜捨が集められ、1709年に修復が完了しました(図15)。

図15 東大寺05 大仏殿
 図15 大仏殿


宇宙仏“毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)”
 東大寺大仏殿に座し、その半眼で長い歴史を見つめ続けて来た大仏(毘盧遮那仏、図16)は、大乗仏教における如来、つまり最上位の仏様ですが、こちらの大仏はサンスクリット語でヴァイローチャナと呼ばれ、仏の救いの光があまねく世界を照らす、という意味を持っています。

図16 東大寺06 毘盧遮那仏
 図16 奈良の大仏こと毘盧遮那仏


 その左右には、金色に輝く二尊の菩薩が控えています。
 向かって右に、迷う人を救うとされる如意輪観音菩薩(にょいりんかんのん、図17)、左には、智恵を司る虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ、図18)と呼ばれています。ちなみに仏様の位階は、上から如来、菩薩、明王、天部の4段階に別れており、

 如来は、悟りを開いた仏様。
 菩薩は、如来になることが決まった修行中の仏様。
 明王は、言葉(教え)では救われない人々をみる仏様(だから顔がキツイ?)
 天部は、さまざまな形で仏様や仏教を守っている神々。

 と、それぞれに役割が決まっているのだそうです。
 ちなみに前述の南大門に立つ金剛力士像は仁王と呼ばれており、天部に含まれる守護神とされています。

図17 東大寺07 如意輪観音菩薩像
 図17 迷い人を救う如意輪観音菩薩

図18 東大寺08 虚空蔵菩薩像
 図18 智恵を司る虚空蔵菩薩


世界遺産・興福寺と五重塔
 その興りは、藤原鎌足が病に臥せった折に妻・鏡女王が快気を願って造営したと言われています。壬申の乱や平常遷都などによる幾度かの移設を経て現在の場所に移るも、そこから1300年の間に焼失と再建、近代では神仏分離令などによる土地没収などの混乱に見舞われます。
 1998年に古都奈良の文化財としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。
 敷地中央の東側に建つ東金堂(図19)は、病に臥せった聖武天皇の叔母・元正太上天皇の快気を願って創建されました。当時は床や須弥壇などには緑釉薬(りょくゆうやく)と呼ばれる塗り薬を用いた緑色のタイル(焼き)が用いられ、薬師如来が住むといわれる極楽浄土・東方瑠璃光浄土を表していたとされています。
 また、その脇に立つ五重塔(図20)は、建設当時では日本で最も高い塔として注目され、今でも奈良を代表する木造塔として広く知られています。初層の四方には室町時代に作られた薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像の四尊が安置されています。

図19 興福寺01
 図19 興福寺の東金堂

図20 興福寺02 五重塔
 図20 興福寺の五重塔

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