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2024年1月 No.347

 

劇団四季の演劇『ジョン万次郎の夢』鑑賞記

秘書課 菅野 瞳 

図01


はじめに
 去る2023年8月8日(火)、東京エレクトロンホール宮城で劇団四季のミュージカル『ジョン万次郎』(図1)が上演され、院長に代わり鑑賞をして来ました。
 劇団四季と言えば、私が抱く勝手なイメージになりますが、華麗? 可憐? そんな印象があります。
 私と劇団四季……悲しいかな、似つかわしくないような(泣)。うーん……私は華々しく着飾ったマダムたちに囲まれて「一人浮いたりしないものか……」とちょっと気弱になりましたが、アメリカに溶け込んだ“ジョン万次郎”の心意気に負けぬよう、しっかり取材をしようと、自らに活を入れました。

 ミュージカルの鑑賞記の前に、通称ジョンマンことジョン万次郎を知らないという方は、そう多くはないと思いますが、本公演の主役であるジョン万次郎(本名:中濱万次郎)について、紹介したいと思います。

ジョン万次郎って?
 ジョン万次郎は、1827年に土佐の国(高知県)の貧しい漁師の家に、次男として生まれました。14歳の時に、長さ8メートルの小舟に乗って仲間と共に出た初漁で、シケに遭い漂流してしまいます。運良く米国の捕鯨船“ジョン・ハウランド号”に救助され、現地で最先端の学問を修めます。

 当時の日本は鎖国の時代で、外国船は日本に近づくことさえも難しく、万次郎たちは日本に帰ることが出来なかったのです。米国にて世界情勢を知るにつれ、閉鎖的な日本の行く末を案じ、漂流から10年後に国を開く力になろうと日本に帰国し、日米の架け橋となる功績を残した人物——それがジョン万次郎です。
 鎖国の日本の扉を開きたい一心で、国や習慣が違っても、相手を信じ理解する心を持ち、また困難にめげることなく、立ち向かう勇気を持ち続けた、ジョン万次郎の世界に誘われようと思います。

いざ! 鑑賞!!
 演劇はまず、ジョン万次郎が漂流してしまうところから始まります。万次郎たちに、偶然通りかかったアメリカ人たちが話しかけます。

「How do you do?」

 これは、皆さんもご存知のように「はじめまして!」という古風な硬めの英語挨拶です。英語など、全く耳にしたことがない万次郎には、「ハイ・ドウ・ドウ」(笑)。馬の掛け声? そして、「Nice to meet you」は、「ナイミーツー(内密)」と、まるで漫才の掛け合いのようですね。
 これには抱腹絶倒。客席が一瞬にして笑いに包まれたのは、想像に難くないと思います。

 このような状況下で、アメリカ人船乗りが話す言葉は全く理解できないけれど、それでも握った手は温かい……万次郎が発したこの言葉が、私はとても印象に残りました。もしかすれば、本日のミュージカルの中で一番面白く感動した場面だったなと、この記事を綴りながら回顧しました。

 船乗り達と親しくなった万次郎は、捕鯨船ジョン・ハウランド号に因み“ジョンマン”という愛称(ニックネーム)をつけられます。アメリカ人船乗りとジョンマンとの友情は、きっとこうゆうものだったのだろうというイメージから、デッキブラシを使って踊る息の合ったダンスシーンはキレも良く、一緒に踊りだしたくなるほどの見応えがありました。

 万次郎を含めた5人の漂流者を、ジョン・ハウランド号の船長であるホイットフィールド船長は、安全なハワイへと連れて行きます。しかしここで万次郎は4人の仲間を残し、自身はアメリカへ渡るという一大決心をするのです。
 万次郎の申し出を快く受け入れた船長と共に、救出から2年後の1843年に、アメリカ最大の捕鯨基地であるマサチューセッツ州のニューベットフォード港に辿り着きます。

 はい、この時です。これがまさに、万次郎が日本人として初めてアメリカ本土の土を踏んだ時でした。アメリカに上陸後、ジョンマンはホイットフィールド船長夫妻が父親母親代わりとなり言葉の壁や人種差別もある中で、めげることなく勉学に励み、人事を尽くしました。

 そして8年という歳月が過ぎ、世界の動きも知るようになった万次郎は、いつまでも鎖国を続ける日本の状況に心を痛め、自身が国へ帰り、開国のために働こうと決意します。帰国するだけでも命がけであったろう時代に、なんとまぁ~大胆な! アメリカの皆さんから厚い友情を、そしてホイットフィールド船長夫妻からは海よりも深く山よりも高いご恩……。

「これに報いたい!」と逞しく育ったジョンマンの雄姿を、船長夫妻はどれほど誇らしく思ったことでしょう。

 日本の開国に尽力を尽くすと宣誓したジョンマンに、父親がわりの船長は、「開国だけでなく、人の心を開いて欲しい」と、はなむけの歌を送ります。人の心を開いて欲しい……なんて素敵な言葉だろうと思ったのは、きっと私だけではないと思います。これが第1幕のラストシーンになりましたが、皆が明るい未来を見据えて歌う劇中歌は、透明感のある歌声で、とても感動的なものでした。

ピンチはチャンス!? ジョンマン・スピリット
 休憩を挟み第2幕は、何とか命がけで日本に戻った万次郎、通称“ジョンマン・スピリット”を描いたストーリーです(図2)。漂流から10年という時を経て、日本への上陸をはたした万次郎ですが、待ち受けていたのは取り調べにつぐ取り調べの日々でした。アメリカという国は領土的な野心もなく、平和を愛し民主的で自由な国だと、いくらアメリカの進んだ文明の話をしても、分からず屋の役人たちには聞き入れてもらえません。

図02
 図2


 そのような中でただ一人、万次郎の話を聞き励まし続けてくれた人物がいました。それが劇中にも登場する、島津斉彬です。
 さらには、勝海舟や福沢諭吉といった誰もが知る偉人達も登場しますが、右記に示した偉人達と万次郎との関係性を簡単にご説明します。
 自身が抱く熱い想いを、なかなか受け入れてもらえずにいた万次郎は、塾を開き西洋のことを教え広めていました。その万次郎のもとに咸臨丸(かんりんまる)という軍艦の艦長の、アメリカへ渡航しようとしている勝海舟のお遣いで、福沢諭吉がやってくるのです。
 勝海舟は、日本人の操縦による初めての太平洋横断を成功させた人物で、航海に万次郎を通訳として抜擢したのでした。万次郎と幕末動乱の時代に活躍した偉人たちとの関係をみれば、万次郎が幕府の開国に影響を与えた人物の一人であったことは、間違いありません。

 本日の演劇は、万次郎が咸臨丸に乗船し、再びアメリカへ赴くまでの作品になっている為、ここで演劇の幕が下りました。流石に劇団四季プロデュースの作品は、予想以上に完成度が高く、もっと見ていたいと思わせる素晴らしいものでした。
 劇団四季のミュージカルにも、そしてジョン万次郎、いえ、中濱万次郎という人物の人間味に、どっぷりとはまらせて頂いた、有意義な時間でした。

 私が、このミュージカル鑑賞をきっかけに、知り得ることになった豆知識を一つご紹介します。
 皆さんが英語を習い始めた時に、ABC即ちアルファベットを覚える為、必ず習得する英語の歌があると思います。はいそうです、皆さんご存じの『ABCの歌』です。この歌は、5カ国語のバージョンがありますが、日本に初めて持ち込んだ人物は、ジョン万次郎だと言われているのだそうです。

 誰しもが歌えるあのABCの歌は、きっと人の心を開く柔軟剤の役割を果たしたのかもしれません。

 最後になりますが、昨今では日本開国の功績者である万次郎を、是非NHKの大河ドラマにして欲しいという声も上がっているようです(高知県土佐清水市の観光情報サイトより)。サイト内には、賛同者募集のリンクが張られていますので、一人でも多くの方に、ジョン万次郎を知って頂ければなと思いました(図3)。

図03
 図3


■ジョン万次郎を体がドラマに!!
 http://www.cciweb.or.jp/tosashimizu/sign/(署名活動|高知県商工会議所連合会)

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図 河北記事

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