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2024年1月 No.347

 

水彩画と随筆50

絵・文 渡邉 建介
院長 三好 彰

P.00


はじめに
 私の従弟である渡邉建介先生より、著書「水彩画と随筆」を拝受しました。渡邉先生は2011年に大学を退職後、その記念として描きためた水彩画をまとめた1冊目の画集を出版されました。
 渡邉先生は、生涯を通じて水彩画を描き続けると決心し、2冊、3冊と版を重ねられて2019年に4冊目の発行と相成りました。
 ご自身が訪れた世界各地の風景を、彩り豊かな水彩を用いて情感あふれる作品に仕上げられています。
 本誌では、渡邉先生の珠玉の作品の数々をシリーズでご紹介いたします。

随筆名「巻頭言(同門会誌)」
 今年は東京医科歯科大学耳鼻咽喉科学教室にとって、一大エポックメイキングな年として後々まで語り継がれることになるであろう。何故なら、我々同門会一同の悲願であった教室出身者の教授が誕生したからである。堀口、渡辺、小松崎、喜多村教授そして1999年からは頭頚部外科が独立し初代教授として赴任された岸本教授の多大なご努力で医科歯科大学耳鼻咽喉科は順調に発展してきた事は誰もが認めるところである。

 しかしこれまでの教授は教室出身者ではなかった。耳鼻咽喉科は臨床系の教室で一度も教室出身者から教授を輩出していない稀な教室であった。教授がどこの出身であろうと教室が発展すればどうでもいいのかもしれないが、教室出身者にとっては同門出身者の教授の誕生は長年の悲願だったのである。

 堤教授は私が獨協医科大学に在任中准教授として仕事を共にした仲間なので、彼の優秀さは誰よりも知っていたので今回の人事は私個人にとっても大いなる喜びであった。堤先生の研究分野は眼球運動を数式で表し、それを解析することによりめまい疾患の治療に結び付けようとする日本では誰も手掛けたことのない先端的なものである。数学の不得意な私にとって真に内容を理解する事は出来なかったが、明日の平衡神経学分野の研究でのパイオニアになる事は間違いないと思われる。

 手術の分野でも耳鼻咽喉科のすべての領域で超一流の腕前である。副鼻腔内視鏡手術は勿論中耳から頭蓋底に及ぶ広い領域で、卓抜した手技を持っている。最近では耳鼻咽喉科も細分化が進み耳鼻科すべての領域をカバーする医者が少なくなってきた。その意味では、全国的に見ても彼の右に出る教授は稀である。指導者たるものはあらゆる分野に精通していてこそバランスのとれた臨床医を育てる事が出来ると私は確信している。彼のもとで育った耳鼻科医が日本の耳鼻科をリードする日が必ずやってくると確信している。

 頭頚部外科の教授に就任された朝蔭先生は山形大学を卒業し東京大学耳鼻咽喉科に入局された。長年国立癌センターで研鑽を積まれた後、東京大学准教授としてご活躍中だった経歴の持ち主である。従って伝統ある国立がんセンターの主義を受け継ぐ日本のトップクラスの頭頚部外科医という事が言える。国立がんセンターといえば、医科歯科大学耳鼻科とは深い関係のある病院である。前任の岸本教授も癌センターから赴任されたことは記憶に新しいが、古くは渡辺教授が着任してすぐに小川先生が初めて国立がんセンターで研鑽を積まれたのち途切れることなく教室員は国立がんセンターの研鑽を繰り返した。わが耳鼻咽喉科学教室の頭頚部外科はまさに国立がんセンターの直系の継承者といっても過言ではないのである。その意味で朝蔭先生も違和感なく仕事ができる事と思う。頭頚部外科では国立がんセンターと双璧である有明癌研の頭頚部外科を主催しているのは教室出身の川端先生である。すなわち今や医科歯科は日本の頭頚部外科をリードする拠点になったと言っても過言ではないであろう。朝蔭先生をお迎えして素晴らしい頭頚部外科医が多数誕生することを確信している。

 以上述べたように最高の教授を迎えて医科歯科大の耳鼻咽喉科及び頭頚部外科が飛躍的に発展することは間違いないと思われる。井門会(同門会)としても一肌も二肌も脱いで全力でバックアップしたいと思っている。前回の評議員会で色々なアイデアが出された。金銭的なバックアップをするには井門会でもう少し資金をプールする必要がありそうである。手始めに開院のクリニックの広告を井門会誌に掲載協力していただき掲載料を寄付していただくアイデアが採用された。会員の皆様にはぜひともご協力をお願いする次第である。

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