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2024年2月 No.348

 

英国紅茶シリーズ23
ラジオ3443通信「江澤・三好丸と大国家・元の旅」(終)


 ラジオ3443通信は、2010年から毎週火曜10:20~fmいずみ797「be A-live」内で放送されたラジオ番組です。
 ここでは2014年1月21日OAされた、英国紅茶にまつわる話題をご紹介いたします。

137 江澤・三好丸と大国家・元の旅
An.
 三好先生、このラジオ3443通信ですが、お話はふんだんなエピソードをちりばめながら、進んでいます。
 でも確か話題としては、英国・紅茶の旅のまっただ中、だったような気がするんですけれど……。
Dr.
 その通りです、江澤さん。
 私たちは今、紅茶の茶器つまりティー・ポットやティー・ボウルの色彩が、なぜ白地にコバルト・ブルーのあざやかな配色なのか、そのナゾを追跡中です。
An.
 そうでした、先生。
 そして私たちの『江澤・三好丸』は、マルコ・ポーロとともにヴェネツィアから、アドリア海へ。そして地中海を経てエーゲ海へと、順風の中、進路をとっています。
Dr.
『江澤・三好丸』の目的地は、モンゴル族の大国家であった元の首都・大都です。
 なお、マルコ・ポーロは途中から上陸し、陸路を旅します。ですから私たちは、マルコの父親であるニコーロの足跡をたどって、もう少し航海を続けましょう。
An.
 先生、私たちはどこへ?
Dr.
 イスタンブール、つまり当時のコンスタンチノープルのボスポラス海峡を抜けて、黒海に入ります。
An.
 黒海に入る手前、ボスポラス海峡の南側があのマルマラ海ですよね?
Dr.
 それに対して、黒海の北岸には、ナイチンゲールで有名な……。
An.
 クリミア半島ですね! 先生(笑)。
Dr.
 ラジオ3443通信の第86回の舞台となった、あのクリミア半島です(笑)。
An.
 地図で見ると先生、クリミア半島のすぐ東側に、冬季オリンピックの行なわれたソチがあります。
Dr.
 黒海近辺は、北国ロシアの一番南端にあって、気候も比較的温暖なので、観光地としても良い場所なんです。
An.
 マルコの父親のニコーロは、やはりクリミア半島を通ったんでしょうか?
Dr.
 クリミア半島を北に抜けて、そこから東へと進みます。
 そしてカスピ海の北方を通過し、天山山脈から現在のウルムチそしてゴビ砂漠を通り、元の首都である大都に到着します。
 ニコーロと一緒に道を辿る私たちも、『江澤・三好丸』からラクダに乗り換えて、長い旅路を体験することになります。
An.
 先生、ロマンチックですね(笑)。
 でも元の首都の大都って、今のどのあたりなんでしょうか?
Dr.
 偶然なんですけれど、現在の北京市と同じ場所に位置していたんです。
 気候や地理が、首都を置くのに適していたんでしょうね。
An.
 ニコーロが、ヴェネツィアから元の首都である大都へ安全に旅することができた。ってことは、逆に……?
Dr.
 そうです。その頃元は、東シナ海からハンガリーまで広大な領地を所有し、治安のしっかりした、大国を築き上げていたんです。
An.
 もの凄い、巨大な国だったんですねぇ!
Dr.
 この結果、ユーラシア大陸の東側の文化である陶磁器が、中近東の文化のコバルトで彩色されることになったんです。
An.
 あぁそうか! 元という1つの国内の情報の移動ですから、文化の交流はすごくスムースなんですね。
Dr.
 そうやって、彩色された陶磁器が紅茶とともに、船舶に積み込まれて英国に届けられたんです。
 だから英国の紅茶の茶器のセットは、白い陶磁器に青い色彩の施されたそれが、現在でも主流なんです。
An.
 ヘェー! 私たちが優雅に、先生のおみやげの紅茶をfmいずみで楽しむことができるのは、そんな長いながーい歴史のおかげなんですね。初めて知りました。
Dr.
 ですから、私たち日本人にとって、元寇のイメージが強烈なモンゴルの遊牧民ですけれど。世界の文化にとって、忘れられない影響を残しているんです。
An.
 そう言えば先生の話題にしておられた、ハンバーグ・ステーキとユッケの、ルーツが同じモンゴルのお食事だった。
 その意味が今、やっと理解できました。
Dr.
 マルコ・ポーロやニコーロの、東西の文化に及ぼす名残として、他にもおもしろいものがあるんです。
An.
 それはなんですか?
Dr.
 本当かどうか、こんなお話もあります。
 マルコ・ポーロが中国で、細長い食べ物をゆでている光景を見たんだそうです。
 この料理の作り方を現地人から教わったマルコは、それを帰国後ヴェネツィアで広めたと言います。
 江澤さん。このお料理は、いったい何でしょうか?
An.
 先生、それはきっと、スパゲッティなどのパスタ料理です!
Dr.
 この伝説には、おまけが付いていまして。なんと『スパゲッティ』というのは、マルコ・ポーロに同行していた船員さんの名前なんだそうです(笑)。
An.
 それじゃイタリアのパスタ料理は、マルコ・ポーロ関係者の名前が付けられた、オリエンタルなメニューだったんですね(笑)?
Dr.
 ですから、私たちが大好きないわゆる『イタ飯』には、1つ間違うと『スパゲッティ』ではなくって、『ラーメン』という名前が付けられていた可能性も、まったくゼロではなかった(笑)……。
An.
 そこは歴史の偶然ですもの、ね!
Dr.
 ところでそのマルコ・ポーロですが、彼自身はそうしたすばらしい陶磁器を、目にするだけで文化としてイタリアに伝えることは、しませんでした。
An.
 それじゃ、有名なマイセンの陶磁器なんて、マルコの足跡とは無関係に生み出されたもの、なんですね?
Dr.
 本日も、ありがとうございました。

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