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3443通信 No.363

寒河江のひな祭りを鑑賞してきました

院長 三好 彰

図01図02
図1、2

 


 毎年3月3日は、女の子の成長や幸せを願うひな祭りの日です。
 その由来は諸説あり、古代中国の川で身を清める風習が日本に伝来した際、人に変わって草や藁の人形に穢れを移して川に流したという説や、平安時代に上流階級の子女の遊びとして紙人形を使った“ひいな遊び”が由来だとする説もあります。

 さて、山形県寒河江は江戸時代に徳川幕府の天領(直轄地)に指定されていた経緯があり、また紅花交易によってもたらされた京文化の影響もあって、ひな祭りの盛んな地域でした。
 毎年、深雪の消える4月3日(旧暦の3月3日)には“月遅れのひな祭り”が開催され、その2日前には寒河江の大通りに節句市が開かれ、おひな様やお供え物の海産物や野菜類が売りに出されていたそうです。

 今回は、寒河江市で2月15日から5月6日まで開催される『寒河江雛まつり』の会場となる『寒河江八幡宮参集殿』と『料亭 慈恩寺陣屋』に展示されたお雛さまを見学して来ました(図1、2)。

寒河江八幡宮参集殿
 寒河江市内のほぼ中央に位置する寒河江八幡宮は、およそ900年前の西暦1060年に源頼義・義家奥州平定の祈願するために建てられたが始まりです。その勧請以来、寒河江の総鎮守として現在に至っています(図3)。
 その本宮に隣接した参集殿に『八幡さまのひな飾り』は飾られています(図4)。

図03
図3 寒河江八幡宮。参集殿はその左奥にあります

図04
図4 5段の雛飾り


 江戸時代の初期に作られた寛永びなに始まり、中期の享保びな(図5)、後期の古今びな(図6)といった由緒正しいお雛さまや、和紙の原料となる繊維を煮溶かして固めた粘土人形の紙塑人形(しそにんぎょう)(図7)、木材を一刀彫りした奈良人形(図8)、紙粘土で作られた五人囃子(図9)、キューピーびな(図10)などの約150体以上にもおよぶお雛さまが展示されていました。
 なかには、フランス式陸軍大礼服に身を包んだ明治天皇と昭憲皇后を模したという貴重なお雛さま(図11)も展示されていました。
 これだけのお雛さまが勢ぞろいするのはまさに圧巻で、こうした人形の持つ独特の雰囲気に呑まれてしまいました。

図05
図5 歴史深さを感じさせる享保雛

図06
図6 古今雛

図07
図7 紙塑人形

図08
図8 奈良人形

図09
図9 可愛らしい五人囃子

図10
図10 キューピーお雛さま

図11
図11 明治天皇と昭憲皇后のお雛さま


 また、こちらの参集殿には、2024年7月に竣工したばかりの隨神門(図12)が建っていますが、その建築にまつわるお話をまとめた冊子が設置されています。

図12
図12 竣工したての寒河江八幡宮の隨神門


先祖から繋がるご縁
 お話の発端はいまから約100年前、福島県桑折町で繊維工場を営んでいた角田喜一氏が、工場の火災に見舞われ財を失ってしまい、ほぼ体一つで寒河江に辿り着いた折、寒河江八幡宮の宮司と出会いました。
 全てを失った角田氏(と妻)に、宮司は土地と家を借し渡し、角田氏は見事に再興を成し遂げられました。

 それから時が過ぎて1993年、角田氏の息子である裕一氏の元に古くなった参集殿建築の話が舞い込んできます。
 八幡宮の御恩返しを一族の使命と思っていた裕一氏ですが、時はバブル崩壊後の景気が低迷した時代のため、参集殿建築に掛かる費用を全て有志で賄うことが困難な時でありました。

 しかし、地元の有力な総代が徐々に少なくなり、このまま座していても建築はままならないと決意した裕一氏は奮起され、事務局おこしから奉賛金集めに奔走され、2007年に参集殿の改築が成されました。話が持ち上がってから15年後のことでした。

 数年後、お世話になっていた宮司さんが亡くなり、その後を継いだ宮司さんも2017年に相次いで亡くなるという不幸が重なってしまいます。
 傷心の裕一氏でしたが、宮司さんの遺言にご自身の生命保険の一部を使って隨神門を作って欲しいと言う願いが書かれていたと知ったことで、奉納精神を奮い立たせて建築計画に着手することを決意します。

 新型コロナウイルス感染症により社会に大きなダメージが残される中、その空いた時間を逆に利用して隨神門の縮小模型を作るなどのシミュレーションを重ねました。
 伝統建築に拘らず、現代の技術を1000年先に送るというコンセプトのもと、ローコストかつ低負担で実現可能な方法を研究。建物自体をいくつかのユニットに分けて製作し、現地で一気に組み立てる工法が取られました。

 そして計画発端から16年後の2024年7月14日、隨神門は竣工祭を迎えることになりました(図12)。
 これが冊子『寒河江八幡宮 参集殿 隨神門 建築物語』のあらすじです。

 二つの大きな建築物を建てるまでの苦労譚にご興味のある方は、ぜひ手に取ってみて下さい。

料亭 慈恩寺陣屋
 市街中心から北西の山裾にある料亭『慈恩寺陣屋』では、綺麗な庭園を見ながらの食事やお茶を楽しめるので、深緑や紅葉の季節に足を運び、目とお腹のダブルで楽しめる場所になっています。
 そして併設された『ひなの小道美術館』には、江戸時代後期に作られた古今雛を中心にしたお雛さまが展示されています(図13~23)。

図13 L1010650のコピー(慈恩寺陣屋)
図13 宮廷や公家の祝い事に飾られた御所人形

図14
図14 運を招くつるし雛

図15
図15 京の御所を模した御殿飾り

図16
図16 能人形

図17
図17 古今雛で揃えられた御殿飾り

図18
図18 楽しげな雰囲気の吊るし雛

図19
図19 艶やかな着物

図20
図20 疱瘡除けや学業成就に効がある道教の神・鍾馗さま

図21
図21 博多人形『松竹梅』

図22
図22 室町時代の猿楽師・世阿弥の作『井筒』の主人公

図23
図23 日本神話の神・豊玉比売(とよたまひめ)


トルココーヒーでお茶タイム
 お雛さまの見学を終えて、寒河江川沿いにある道の駅『寒河江チェリーランド』に立ち寄りました。すると、その敷地内になにやら丸いドームが特徴的な建物が目に入りました。
 そこは道の駅寒河江に併設されたトルコ館です。
 オスマントルコ時代をイメージさせるこの建物は、サクランボの原産地であるトルコのギレスン市と姉妹都市提携を結んだのをきっかけに建築されました。なんと建物に使用されている大理石・タイル・金具類は全てトルコのものを使用しているとか。

 施設にはトルコ製の陶器やガラス製品、銅製の工芸品のほか織物や写真などが展示されており、異国情緒がたっぷりと感じられます(図24)。
 私はそこの副館長であるオズデンさんと知り合いまして、本場のトルココーヒーを付け合わせのチョコレートとともに頂きました(図25、26)。
 いつか、西洋と東洋の文化の交差点であるトルコにも行ってみたいと思います。

図24
図24 異国情緒たっぷりのトルコ館

図25
図25 コーヒー豆を煮だすトルココーヒーはチョコレート共に

図26
図26 コーヒータイムで一息いれます

図27
図27 お土産で購入したコーヒーカップのセットです

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