3443通信 No.368
本土最北の下北・津軽2大半島ツアーレポ 1
院長 三好 彰
はじめに
今夏は、仙台でも観測史上最高となる37.4℃という尋常ではない暑さを記録しましたが、その暑さにもめげずに旅行会社企画のツアーに参加して来ました。
今回の目的地は、本土最北の青森県にある下北・津軽2大半島を巡る旅です。
大間のマグロや恐山、秘境とうたわれる仏ヶ浦など以外にも、こんな場所があったの!?という知る人ぞ知る場所に行って来ました。
【1日目】8月12日(火)
ツアーの本来の出発地は東京なのですが、旅行会社の配慮で仙台駅からの途中参加が可能となったため、私は東北新幹線上でツアー一行と合流し、新青森駅へと向かいました。
天気予報では曇もしくは雨の予報だったのですが、現地についてみればアラ?不思議。目の覚めるような青空が広がっていました。
そのため日差しも強く「これは日焼けするな……」と、覚悟を決めます。
新青森駅から専用バスに乗り換え、青森県の北西に伸びる津軽半島を目指します(図1)。車窓から外に目を向ければ、そこには海と空の二つの青が視界一杯に広がっています。そのちょうど境目には下北半島が臨めました(図2)。

図1 津軽半島の先端へ向かう

図2 向かいに見えるのは下北半島
絶景の高野崎
まず訪れたのは、津軽国定公園に指定されている『袰月海岸高野崎(ほろづきかいがん たかのさき)』です(図3~5)。
この高野崎は、津軽半島最北端である龍飛崎の東側にあり、海から飛び出た岩礁に整備された二つの赤い橋『潮騒橋』と『渚橋』を渡って行くと、周囲360度が海に囲まれる絶景地に辿り着きます(図6)。
周辺にはキャンプ場もあり、この季節には磯遊びや釣りなどの楽しむ観光客が訪れるそうです。

図3 高野崎

図4 高野崎西側

図5 高野崎東側

図6 高野崎の先端近く
日本最大の『青函トンネル』入口
高野崎から海沿いを南下しつつ、次に向かったのが龍飛崎との中間地点にある青函トンネルの本土入口を見学しました。
この海底トンネルは、1923年に最初の構想がなされ、1961年から1987年の26年間の工期を経て採掘された日本最大の海底トンネルで、現在は廃止された青函連絡船に代わる交通手段として整備されました。
津軽海峡の海底(水深140メートル)下から、さらに地下100メートルに掘られたこのトンネルは、英仏海峡トンネル(1994年)やスイスのゴッタルドベーストンネル(2016年)が完成するまでは世界最長の海底トンネルとして知られていました。
現在はその入り口部分に公園と展望台が整備(図7)され、トンネルを出入りする北海道新幹線を見ることができます。

図7 青函トンネルの本土入口
風の岬・龍飛崎
青函トンネル入口の見学後、そのまま津軽半島を北上して到着したのは龍飛崎(図8、9)です。津軽半島の最北端にあり、西の日本海、北の津軽海峡、東の陸奥湾と三方向を海に囲まれた龍飛崎は海風が強く、別名で風の岬と呼ばれています。
また、歌手の石川さゆりさんの名曲『津軽海峡・冬景色』にちなんで、龍飛崎灯台(図10)ちかくの『碑の丘』には歌謡碑(図11、12)が建てられています。

図8 龍飛崎からみる津軽海峡

図9 景色とともに地名を見れます

図10 龍飛崎灯台

図11 名曲『津軽海峡 冬景色』の歌謡碑

図12 空・海・花の”三つの青”が映えます
歩行者専用の国道!?
ここ龍飛崎には、とても珍しい日本で唯一の車の通行ができない国道があります。
その名も『階段国道』。
ちゃんと国道339号というナンバリングが振られていますが、実際には人一人が通るのがやっとの階段しかありません(図13、14)。行動を示す青い三角看板がなんともシュールでした。

図13 階段国道

図14 車は……当然通れません(笑)
その段数は362段あり、総延長388.2メートル、高低差70メートルの急斜面でした。
かつて坂の上には小学校や病院があり、近隣には青函トンネルの工事関係者が住まう住宅地もあったため人で賑わっていたそうです。
その後、その坂道は1974年に国道に指定され、通学の安全のために階段が整備されました。一時はこの区間に車道を整備する計画も持ち上がったそうですが、周辺道路が先に整いつつあったこと。さらに学校が廃校となったことで生活道路としての重要性が下がったため、現在の形に落ち着いたのだそうです。
名物タッピYAのお母さん
階段国道の始まりと歌謡碑近くにはいくつかのお土産屋さん(図15)がありますが、その中でも特に有名なお土産屋さんがいらっしゃいます。
真っ赤な上着を羽織り、タンバリンを叩きながら津軽海峡冬景色を歌うその方こそ、お土産屋『タッピYA』のお母さんです(図16、17)。
いつ頃から営業されているのかは分かりませんが、大変元気なお母さんと一緒に記念撮影をしました。いつまでもお元気なまま、ここ龍飛崎に彩りを添えて頂きたいと願っています(図18)。

図15 お土産屋さん

図16 建物の裏になにやら出店が……

図17 龍飛崎名物の母さん

図18 美味しいお土産でした!
道の駅こどもり『ポントマリ』
龍飛崎を後にした私たちは、津軽半島を反時計回りに南下しつつ日本海を眺めながらバスで移動します。
途中、少しだけ開けた砂浜が目の前に広がる道の駅こどもり『ポントマリ』(図19)に立ち寄りました。ポントマリとはアイヌ語で「小さい入り江(港)」を指す言葉で、海を渡った北海道にはこの地名が各所に残されているそうです。

図19 道の駅の目の前に広がる日本海
この津軽地方にもアイヌの人たちが住む集落があったので、その名残なのでしょうか。
道の駅には様々な特産品の他にも活魚水槽コーナー(図20、21)が設置されたり、敷地内にオートキャンプ場、海水浴場が整備された総合交流施設『マリントピア折腰内(おりこしない)』とも呼ばれています。

図20 活魚水槽コーナー

図21 水槽内のカレイ
道の駅こどもりのある小迫岬を超えると、津軽半島の南北に広がる津軽平野が一望できます。その遥か霞の先には、うっすらと頭をのぞかせる岩木山(図22)の姿がありました。

図22 うっすらと姿をのぞかせる岩木山
そして、津軽平野の北端に差し掛かると、青森県で3番目に大きい十三湖(図23)があります。
十三湖は海水と淡水の入り混じる汽水湖のため特産品であるヤマトシジミが生息しています。あの鳥取県の宍道湖とシジミの漁獲量日本一を争っている名産地なのだそうで、毎年4月下旬から9月末までシジミ拾いが楽しめるのだそうです。

図23 海水と淡水の混じる汽水湖・十三湖
季節的にはシジミ拾いの期間ですが、今回は残念ながら立ち寄ることはなく、その日に宿泊する岩木山のふもとにあるホテルへと入ります(図24、25)。

図24 ホテルから見た岩木山

図25 日本海の日の入り
つづく