3443通信 No.370
ラジオ3443通信「昆明市の昔と今」
ラジオ3443通信は、2010年から毎週火曜10:20~fmいずみ797「be A-live」内で放送されたラジオ番組です。
ここでは2012年11月27日OAされた、学校健診にまつわる話題をご紹介いたします。
96 昆明市の昔と今
An.
三好先生、今回は先生の中国調査旅行の舞台となった雲南省の、気候風土のお話が伺えると聞いていました。
雲南省って、どういう所なんでしょう?
江澤も、先生のお話を伺って、一度行ってみたいような、ウキウキした気分になってます。
Dr.
私も昆明市は14年ぶり、3回目の訪問でして。久しぶりの光景を、とても楽しみにしてました。
An.
14年ぶりですって! それじゃあ現地の風景も、ずいぶん変化したんじゃないんでしょうか?
Dr.
14年前の昆明市はようやく、いわゆる『改革・解放』路線が始まったばかりでして。それまで外国人が自由に中を歩き回ることは、できなかったんです。
でもその路線のお陰で、私たちも昆明に調査旅行に行きやすくなったんです。
An.
それじゃあ、昆明の街はまだそんなに整理されてなかった?
Dr.
私たちの行った1998年は、『花の万博』(図1)が昆明市で開催される直前でして。街全体が観光都市として、再開発される途上だったんです。
でも、その頃の昆明も『春城』の名にふさわしい、美しい都市でした。

図1
An.
1998年というと、どんな時代だったんでしょうね。
Dr.
私が、今でも憶えているのは、その時期中国でもカップ・ラーメンが発売されたことでして。
An.
ウフッ、先生はいつでも食べ物の記憶が最優先なんですね!?
Dr.
今では、あの広い中国の至る所で、現地の人たちがカップ・ラーメンをすする姿を目にしますが、それは1998年以来なんですよ。
An.
時代の変化が手に取るように、分かります。
Dr.
その昆明市ですが、14年でその地理的な意味がかなり変わりました。
An.
と、言いますと?
Dr.
私たちの中国のイメージですと、やはり北京市や上海市のような、国を代表する大都市がすぐ頭に浮かぶんですけど。中国はとにかく広大な土地ですから、私たちの想像できない一面を持ってます。
An.
先生、それは昆明市についてのお話ですよね?
Dr.
以前、中国の三大ストーブ・シティという言葉を、ご説明しました。
An.
南京市・武漢市・重慶市の、三都市のことでしたよね。
Dr.
その中の重慶市は、昔つまり第二次世界大戦当時のことですけれど。蒋介石が国民党政府を置いた場所なんです。
An.
知りませんでした。
Dr.
当時、日本軍が中国に攻め入り、蒋介石は重慶市まで政府を移動したんですけど。その蒋介石政府を、米英が軍事援助するために『援蒋ルート』というものがあったんです。
An.
それは、どういう・・・・・・。
Dr.
当時、英国領だったビルマ。今のミャンマーのことですけれど。
An.
江澤は、文学少女でしたから。『ビルマの竪琴(たてごと)』は、読んだことがあります。
Dr.
インド洋からそのビルマを通って、中国に入り昆明市を通って重慶市に至る経路。それが『援蒋ルート』のメイン・ロードなんですけれど。
An.
インドもその当時、まだ英国領だったんですもの、ね。
Dr.
逆に言えばそのルートは、中国から南アジアやアフリカに出て行くときの、最短ルートにもなってまして。
その意味から現在の重慶市や昆明市は、中国の南西部に開かれた巨大な交通ルートの拠点なんです。
An.
それじゃ、結構重要な地理的ポイントなんですね?
Dr.
重慶市は2年前に行った折、街自体は当然として、空港が巨大であることにびっくりしたんです。
An.
中国にとって、重要な拠点なんですもの、ね。
Dr.
ところが今回利用した昆明市の空港が、この春に開港したばかりの、真新しい空港だったんですけど。重慶空港とそっくりの作りで、やはり巨大な空港なんです。
An.
昆明市も、『改革解放』時代とは打って変わって、重要な拠点として見直されているんでしょうか。
Dr.
実際、私たちが今回調査旅行で利用した道路も、中国南東部の広州市つまり広東料理の本場から、昆明市を通ってミャンマーのヤンゴン市まで抜ける、ロング・ドライブ用の道の一部でした。
An.
先生、地図で確認するとすごい距離ですよね。その道路は広東省の広州市から、雲南省の昆明市を通じて、ミャンマーのヤンゴン市まで通じているんですから。
Dr.
私たちがこの道路を観光していると、広州市の工場で作られた新車が、運搬トラックに山と積まれて、ミャンマーへ向かって次々走っているんです。
An.
昆明市は今では、単なる少数民族の多い観光都市ではなく、中国の大動脈の一部を成す重要な都市に位置付けられているんですね。
Dr.
さすが1を聞いて10を知る江澤さん。
この中国の、南アジアからアフリカにかけての海の道。これは今まで話題にしていた7つの海とは違った意味で、重要な海路つまり海の通り道だったんです。
そしてこの海路は、明の時代の中国の大航海つまり船旅で、すごく有名なんですよ。
An.
三好先生のホームページに、そのことが書いてありましたよね。コロンブスやヴァスコ・ダ・ガマの大航海時代より70年も前に、鄭和(ていわ)という将軍が、2万7800人もの軍隊を率いて、アフリカの東海岸まで遠征したお話しですよね。
Dr.
次回は、そのお話の続きです。