3443通信3443 News

3443通信 No.372

 

野村万作・萬斎『笑いの芸術』鑑賞レポ

秘書課 菅野 瞳 

図01a図01b


 去る2024年9月20日(金)、東京エレクトロンホール宮城(旧名称:宮城県民会館)にて上演された『笑いの芸術狂言公演』(図1)を鑑賞して来ました。

 本公演は、宮城県民会館の開館60周年を祝っての開催となります。
 現在は名称が変わっていますが、私世代にとってはこの会場(図2)はやはり“宮城県民会館”というのがしっくりきます(笑)。老朽化が進み、2028年には移転が決まっていますが、地元民に愛される会場での狂言公演……どんな笑いの渦に包まれるのでしょうか(記事の掲載順の都合により、少し前のイベント紹介になります)

図02
図2 ほぼ満席の館内


 本日の公演は3本立て。まずは、言葉遊びの軽快な味わいが楽しめる『舟ふな』からスタートです。
 よく狂言というものは、庶民の日常生活を明るく描いた喜劇だと言いますが、この演目は、改めてそれを実感させられる内容になっています。

どっちでもええわ!な『舟ふな』
 皆さんは日常の些細なことで、口喧嘩になったことはありませんか? 朝食は、パン派かご飯派か? 明治製菓のチョコレート菓子は、きのこの山派か、たけのこの里派か(笑)。作中では何てことはない、川を渡る乗り物が“ふな”それとも“ふね”なのか……の大論争が繰り広げられます。
 主人と太郎冠者が、西宮見物に出掛けて神崎川に立ち寄ります。この大きな川をまさか歩いて渡る訳ではないな? いいえとんでもない。待っていればそのうち乗り物がやってきます。

 そうこうしていると、遠くの方に舟の姿を見つけます。

「すぐにあの舟を呼びよせい!」という主人の声に、太郎冠者が「“ふな”やぁ~い、“ふな”やぁ~い」と大声を張り上げます。
「おいおい、汝は今何と呼んだか? あの乗り物は“ふな”ではなく“ふね”と呼びなさい」とたしなめます。

 これに対し太郎冠者は、古歌を引き合いに出し、“ふな”が正しいと言い張ります。“ふな”と詠む古歌を聞いた主人は、なるほどと頷きはするものの、“ふね”と詠む古歌を聞かせ応酬します。

 次々と“ふな”が入る古歌を引き合いに出す太郎冠者に対し、ネタ切れとなってしまった主人は、同じ歌にアレンジを加え詠み続けますが、苦戦を強いられます。考えに考えぬき、はっ!と閃いた主人は、誇らしげにある歌を口にします……が、その歌には、“ふね”の後に“ふな”と詠む一節があり、自分で自分の首を絞めてしまうという、軽妙な言葉遊びが繰り広げられるお話です。

人の業を詠む『月見座頭(つきみざとう)』
 続いての演目は『月見座頭』です。座頭とは、盲目の人を言いますが、仲秋の名月の夜。一人の座頭が十五夜の月夜を見ることは出来ずとも、せめて虫の音を楽しもうと野辺へ行き、様々な虫の音色に聞き惚れていると、月見をしに来た若い男に出会います。
 そこで二人は歌を詠み合い、次第に意気投合し酒宴になります。

 若い男が“天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも”と詠めば、座頭は“きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣方敷独りかも寝む”と返します。
 あれ……? ここで私は、二人が詠み合ったという歌に懐かしさを覚えました。あっ!とお気付きになられた方がいらっしゃると思います。そう、この歌は二首共に、百人一首になります。

 綺麗な月を眺めると、風情を感じ、歌など詠みたくなりますね……と、各々が考えた歌を詠むのかと思いきや、詠み合った歌は、まさかまさかの百人一首。学生時分に、少しでも百人一首をかじったことがあれば、誰しもが聞き覚えのある一句です。

 あ~言えばこう言うとはよく言ったものですが、こんなやり取りを繰り返し、十二分に酒宴を楽しんだ二人は、和やかに別れます。これにて演目は終了とはならず、ここからの大どんでん返しがこの演目が異色の座頭狂言と言われ、名曲として高く評価されている所以になります。
 誰が予想するでしょう。歌えや踊れやと、楽しいひと時を過ごした二人でしたが、若い男は帰りの道中に変貌します。いそいそと戻って来ては座頭にぶつかり、散々の罵倒、突き倒しをし、挙句には杖を手の届かない場所へ投げ捨て立ち去ります。座頭は、先程酒を酌み交わした男と、今のこの男がまさかの同一人物だとは気づく由もなく、全く情けのない人もいるものだと、最後は我が身の境遇を嘆くというお話です。

 この演目は、前半の和やかな雰囲気から一転し、人間心理の不条理さを描き、観客に様々なことを考えさせるという、独特な狂言です。こんなむごい事件を起こすなんて信じられないと、凄惨な事件を引き起こした犯人の日常生活を語る近隣住民の姿を、ニュースなどで目にしたことがあろうかと思います。これもまた、一人の人間の中に存在する善と悪の二面性。陰と陽・光と影……ふとそう考えた時に、この演目もまた、日常によくあることなのかもしれないなと感じ、妙に親近感を覚えました。

その勢いはどこへやら……『千切木(ちぎりき)』
 そして本日最後の演目は『千切木』になります。この演目もまた、現代の話と言っても違和感のない、どの時代においても、妻は強し!を立証するかのようなお話になります。
 
日頃から皆の嫌われ者である主人公の太郎は、皆が集い催される連歌の会に誘いを受けず、臍を曲げます。どこから嗅ぎつけたのか、会に乗り込んだ太郎は、ここぞとばかりに鬱憤を晴らそうと、目に入るもの全てにケチをつけます。いよいよ腹に据えかねた一同は、皆で示し合わせ、踏んだり蹴ったりと、太郎を打ち据えます。これまたどこで聞きつけたのか、夫が恥をかかされていると知った妻は、太刀と棒(千切木)を持って太郎の下に現れ、男が踏みつけられるなんて一生の恥。死ぬ思いで討ち果たしてきなさいと仕返しを促しますが、それをしぶり、挙句の果てにはお前さんが行って来てくれと情けない始末。

 ならば一緒に……と意を決した夫婦は、仲良く一軒一軒に報復をしかけます。

 ところが、どちらに殴りこみをかけても、留守・留守・留守。留守続きの家を回った太郎は、威勢が良くなり、棒をぶんぶんと振り回して強気な発言を繰り返します。それを横で見ていた妻は、血気盛んな夫の姿に次第に気分上々となり、最後は夫婦仲良く家路に就くというお話です。
 妻に尻を叩かれ、重い腰を上げるという、どちらのご夫婦にもありそうなお話に、深く深く共感しました(笑)。

 3公演を全て鑑賞した後には、グッタリになってしまった私ですが、人間社会について考えさせられる狂言は、やはり純粋に面白く、いつの時代にも通ずるものだなと痛感しました。日本人の心が育ててきた財産であり、変わることなく大切に継承されてきた伝統芸能に触れて心が洗われました(図3)。

図03
図3 フィギュアスケーター・羽生結弦氏からのお祝いの花

[目次に戻る]